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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

光州・新昌洞遺跡 韓国最古、紀元前1世紀の絹織物を確認

2012年12月13日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立光州博物館は11日、発掘20周年を迎えた光州・新昌洞遺跡(광주 신창동 유적)特別展「2,000年前のタイプカプセル」を準備する過程で、出土織物を分析した結果、紀元前1世紀頃に生産された国内最古の絹織物(비단、緋緞)を確認したと11日発表した。 これまでは、百済武寧王陵(6世紀)で出土した絹織物片が最古とされてきた。
 調査対象となった布切れは、①幅2cm x長さ3cm、②幅5cm x長さ6cmの2点。 調査結果、①が絹糸で軽くて薄い絹織物である穀(곡)(注1)、絹織物は捩じれが強い強撚糸を使って平織で製織した。 ②は麻織物と分析された。 ともに、これまで確認された韓半島で最古の絹織物と麻織物という。
1995年と1997年調査で、紡錘車(가락바퀴)、糸巻き(실감개、絡子)、ボディーなどの製織関連道具と布切れ、麻の実などが出土されていた。このような遺物からみて、今回確認した絹織物と麻織物は外部から流入したものでなく新昌洞遺跡で直接蚕の繭や痲で繊維を撚って糸を作り、織機を利用して多様な種類の織物を生産したことを見せる証拠としている。
 新昌洞遺跡特別展「2,000年前のタイプカプセル」は12月25日~来年3月3日まで開催される。 今月27日には「新昌洞の木器と漆器」を主題に国際学術シンポジウムも用意される。
[参考: 聨合ニュース、ソウル新聞]

(注1)絹織物の穀(곡)の意味がよくわからない。一般的に「穀」とは籾のついたままの穀物の意味であるが。

過去の関連ニュース・情報
 新昌洞遺跡
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韓国康津郡・月南寺址 高麗時代創建と伝わる以前の百済時代(6~7世紀)の瓦が出土

2012年12月04日 | 韓国の遺跡・古墳など
 民族文化遺産研究院は3日、康津郡城田面月南里月出山(강진군 월남리 월출산)南側山の斜面にある月南寺址(월남사지)を発掘調査し、その結果、瓦当と平瓦をはじめとする6-7世紀頃の百済時代瓦を収集し、既に百済時代に創建した寺刹があったことが分かったと発表した。
月南寺は高麗時代の高僧・真覚国師、慧(1178~1234年)が創建したと伝わり、それ以前を遡る文献記録や考古学的証拠がなかった。
 また、月南寺址三層石塔(宝物298号)は、やはり高麗時代に制作されたものと考えられてきたが、百済様式をたくさん備えた模塼塔であり、建設時期を再検討する契機になるものとみられる。
 全南で百済寺刹はこれまで発掘された前例がなく、百済仏教史上および6世紀頃の全南一帯に対する支配体性を再考するにおいても重要な発見である。
 百済時代の出土品: 瓦当・平瓦当・平瓦・・・全南では初出土
 高麗時代の出土品: 高さ23㎝の金銅製風鐸、石の茶磨(茶臼、ほかの事例では江華 禪源寺のみ)、青磁椅子と花盆、香炉、椅子、薬棒、陶板など多様な陶磁器遺物。中には己巳(1329年)と刻まれた平鉢も見つかった。また、建物壁面を飾った建築材料である陶板が多量に出土した。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2012.2.21 韓国康津郡・月南寺址 試掘調査で12~13世紀の遺構が出土

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韓国・益山市王宮里遺跡 百済宮廷後苑の池・水路など発見

2012年11月27日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立扶余文化財研究所は26日、全北益山市史跡第408号王宮里遺跡北側の後苑空間を調査した結果、苑池とみられる水溜りをはじめとして環水溝、曲水路などを見つけたと発表した。
 幅3-4m規模の環水溝は後苑の中心部を取り囲んでいて、西側は池に連結され、池底一部では丸い砂利石と造景用怪石が見つかった。後苑の西側地域で発見された曲水は環水溝より小さく幅が50-60㎝程度。
 王宮里遺跡は百済武王(600-641)時期に造成された王宮城である。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
2010.11.28王宮里遺跡 百済宮廷後苑の水路と北門跡を確認
 王宮里5層石塔の北側丘陵地帯から、半楕円形状の水路に囲まれた後苑(南北約240m、東西71m)を確認。
2009.10.29王宮里遺跡 百済宮廷後苑を発見
 7世紀百済時代の宮城内後苑と曲水路、歩道・石垣施設および建物跡などを確認。
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全南高興郡・野幕古墳 古代日本の古墳と類似の形式を見せていることが判明

2012年11月26日 | 韓国の遺跡・古墳など
 全南道は26日、国立羅州文化財研究所が調査した文化財史料第218号(2001.09.27指定)「高興 野幕里 野幕古墳」(고흥 야막리 야막고분、全南高興郡豊陽面野墓里 461-4)は、古代日本の古墳と類似の形式を見せたことが分かったと発表した。
 野幕古墳は西南海岸一帯の古代沿岸航路で確認されている倭系石室を採用した古墳と同じ形態を見せ、墳丘表面に葺石を敷いていた。
 出土遺物は中国製青銅鏡(注1)、倭系鉄製甲冑(三角板革綴板甲(삼각판혁철판갑)、三角板革綴衝角付冑(삼각판혁철충각부주))、剣、大刀、矛、矢尻などの武器類と広口小壷、管玉と勾玉(注1)など装身具類を含み約150点に達する。
(注1) 青銅鏡は裏面に双頭龍文を配置し、その間に位至三公の文字を刻んだ「双頭龍文鏡(位至三公鏡)」で、3-4世紀中国魏末から西晉時代に落陽を中心に北方地域で主に製作されたと見られる。
 出土品から、築造時期は5世紀前半と見られる。
 27日に発掘現場で説明会が開催される。
[参考:聨合ニュース]

(注2)記事では、「環玉」と「曲玉」としている。



キーワード:고흥 야막 고분 현장 설명
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京畿道高陽市・ミョクチョルサン遺跡 漢城百済時代4世紀頃の土城

2012年11月14日 | 韓国の遺跡・古墳など
 高陽市と中央文化財研究院は、漢江北岸ほとりにある高陽市一山西区大化洞(二山浦IC付近)の高陽ミョクチョルサン遺跡(고양 멱절산유적)1次発掘調査により、漢城百済時期の土城を立証する跡と遺構を確認したと発表した。
 発掘調査では土城の城壁一部や、住居跡、大型竪穴遺構ほか、漢城百済時代典型的な打捺文土器などを発見した。
 時期は4世紀頃程度、規模は城壁総周囲200m程度のソウル、オリンピック公園内夢村土城の縮小版と推測されている。
[参考:京仁日報、聨合ニュース]
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羅州市・五良洞窯跡 窯11基を追加発掘、5世紀後半~6世紀初期にかけての甕棺製作場所と再確認

2012年11月07日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立羅州文化財研究所は7日、史跡456号・羅州五良洞窯跡(나주 오량동 요지)(注1)に対する第6次発掘調査の結果、窯11基、廃棄場4基、古墳2基など合計17基に達する遺跡を確認して、大型甕棺片をはじめとする関連遺物を多量に収集したと発表した。
 特に、本来窯の天井構造がどのようだったかを知ることができる窯内部堆積物や、底でアーチ型窯の天井彫刻とか天井を作る時に使った木材の支え跡などが収集された。
 窯構造や出土遺物から、五良洞窯跡の遺跡は5世紀後半~6世紀初期にかけて栄山江流域甕棺古墳に使った大型甕棺を製作した場所とみられる。 これまでの発掘調査で現れた甕棺窯は半径10km以内に集中分布することが明らかになり、さらに、甕棺以外の他の土器を焼いた窯は見つからなかった。 したがって、五良洞窯跡の遺跡が三国時代栄山江流域大型甕棺の生産と流通の中心地であることを傍証し、甕棺古墳社会の性格把握に重要な学術的糸口になると評価される。
 研究所は個別の窯に対する正確な年代決定のために放射性炭素年代測定(AMS)と光ルミネッセンス測定(光刺激発光、OSL)等の多様な年代分析をする予定という。
[参考:聨合ニュース]

(注1)史跡456号は、これまで、羅州 五良洞 土器 窯址(나주 오량동 토기 요지)と記していたが、今回「土器」が外して明記されている。

過去の関連ニュース・情報
 2008.7.3 羅州市五良洞 甕棺を割って築造した 甕槨墓 初めての発見

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済州市高山里遺跡 韓国最古、新石器時代草創期の村遺跡、竪穴住居26棟などを確認

2012年10月10日 | 韓国の遺跡・古墳など
 済州文化遺産研究院は9日、済州市翰京面高山里遺跡(제주 고산리 유적)を発掘調査した結果、平面円形の竪穴住居(움집)26棟を確認したと発表した。新石器時代の人々が定着して形成した村遺跡では最も古い証拠としている。
 高山里遺跡で初めて確認された高山里式土器(고산리식 토기)と命名した新石器時代草創期土器と隆起文土器、模様のない土器などが出土した。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 高山里先史遺跡 試掘調査で1万年前の遺構や遺物が多量出土 けつ状耳飾も

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ソウル市松坡区・風納土城 出土した多数の中国製施釉陶器は初め酒を入れていた

2012年09月22日 | 韓国の遺跡・古墳など
 ソウル市松坡区風納洞の風納土城から多数出土した中国製施釉陶器は、これまで王室用の塩辛を保管するのに使われたものと推定されていたが、中国南京師範大・王志高教授は百済学会国際学術会議で発表する研究論文で、当初中国から輸出される時には酒が入っていたと分析した。 さらに、王教授は、風納土城でこれまで出土した大型施釉陶器の製作時期は東晋中後期から南朝初期、すなわち4世紀後半から5世紀中後期のようだとし、浙江省徳清窯で製作されたとみている。
[参考:聯合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
2008.713 風納土城・木塔址は深さ4mの井戸だった
 この井戸に隣接する196号遺構から、大型施釉陶器が約20点出土した。
2008.7.1 風納土城・木塔址 井戸のようだ
 この井戸に隣接する196号遺構から、8年前の調査で中国製施釉陶器시유도기が多数出土した
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金海大成洞古墳群88号墳と91号墳のその後

2012年09月16日 | 韓国の遺跡・古墳など
 金海市大成洞古墳博物館による金海大成洞古墳群7次発掘調査が2012.6.4から始められ、現在も進行中?である。
 日本の歴史を探る上でも関連のあるとても重要かつ大きな発掘成果であるが、残念ながら日本では新聞に取り上げられていないし、日本の考古学者・歴史学者などからの発信もされていない。 ところが、日本の考古学者・歴史学者も多数訪れているという。 いかに「歴史」といえども、大事なニュース性があるのであれば、早い対応(発表など)を望むところである。
 韓国の「新聞」「ニュース記事」より、6月4日以降、現在までの簡単な発掘調査経緯を追ってみた。

6月4日 発掘調査を開始
8月8日 現場説明会を開催
 今回の発掘調査結果、竪穴式石槨墓5基、木槨墓2基が発見された。 この中、88号および91号木槨墓は規模からみて支配者階層の墓と推定され、特に特に91号墳は墓の規模と出土遺物からみて王級墓に該当する。
 91号墳墓は4世紀第2四半期築造と見られ、龍文金銅辻金具、金銅鈴など慕容鮮卑系の遺物が出土した。
 88号墳は4世紀第3四半期築造とみられ、巴形銅器2点、銅鏃など倭系の遺物が出土した。
8月16、17日 2日間で約10人の日本の考古学者が大成洞古墳群を見学した。
8月20日 大成洞古墳博物館に嶺南・九州考古学共同研究会所属の日本考古学者約40人のほかに、日本から来た研究者を併せて70名余りが訪問して第7次学術発掘調査結果を確認した。
 この日までに、88号墳では巴形銅器が計8個見つかった。 巴形銅器が6個相次いで出土した場所では木製盾と箭筒の痕跡も確認されている。
 91号墳で発見した馬具、馬鈴、銅鋺(青銅器)等の三燕時代の遺物に関する関心が高い。 日本では5世紀後半古墳時代に三燕の影響を受けた遺物が発見された。 この遺物を基に、倭と三燕が直接交流したという説と伽耶か新羅を経由した間接交流がなされたという二種類説があるが、ともに根拠が充分でなかった。 しかし91号墳で4世紀前半三燕遺物が発掘されて伽耶を通じた交流が確認されたわけだ。…としている。

9月10日までに91号墳で龍文様が透彫された金銅製腰帯金具が出土した。 一方、88号墳墓では巴形銅器の出土が合計12個に達したという。

今回、韓国のメディアが、出土した遺物の漢字表記で違和感を覚えたものが2つあったので挙げておくことにする。
① 金銅辻金具(금동십금구)→ 金銅十金具と表記している。
② 巴形銅器(파형동기) → 波形銅器と表記している。

過去の関連ユース・情報
 2012.8.9大成洞古墳群 4世紀の木槨墓2基を発見 うち1基は鮮卑族との交流を示す遺物が出土

2020.11.19追記
2013.08.30から大成洞古墳博物館で大成洞古墳群の重要遺物が初公開された。
一年前に4世紀大王級墓である88号墳と91号墳から、龍模様が彫られた立派な金銅製遺物など合計150点余りの重要遺物が出土したが、この遺物がたくさんの写真資料とともに展示された。
龍模様のある金銅製遺物は韓国で発掘された遺物中最も古いことが確認され、大成洞の4世紀代古墳で発掘されたという事実は、その当時この地域が先進地域であり、中国・倭との交易中心地だったことを語っているとしている。
最初に91号墳から出土されたという龍文金銅製腰帯装飾は88号墳からの出土に変わっている?

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韓国公州市・宋山里古墳群29号墳 未整理遺物保存処理過程で、鉄製大刀に金象嵌を発見

2012年08月14日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立公州博物館は13日、公州市錦城洞の宋山里古墳群29号墳(송산리 고분군 29호분)から出土した鉄製大刀の刀身両側に、鳳凰・草花・雲気の模様を金線で刻んだ金象嵌(금상감)があることがわかったと発表した。
 日帝強制占領期間に発掘された未整理遺物を保存処理するためのX線透過撮影過程で確認された。
 百済象嵌大刀はこれまで、公州水村里・天安龍院里・瑞山副長里・高敞鳳徳里などで10点ほど確認されているが、いずれも銀象嵌で、金象嵌は初めてという。
 29号墳は武寧王陵(7号墳)とほぼ同じ時期の5世紀末ないし6世紀始めとみられる。
[参考:聨合ニュース]

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29号墳の場所:武寧王陵(7号墳)の南に6号墳があり、その西にあったらしい。
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金海市・大成洞古墳群 4世紀の木槨墓2基を発見 うち1基は鮮卑族との交流を示す遺物が出土

2012年08月09日 | 韓国の遺跡・古墳など
 金海・大成洞古墳博物館は7日、大成洞古墳群に対する第7次学術発掘調査を行った結果、4世紀前半に作った王陵級大型木槨墓2基(88号墳と91号墳)を確認したと発表した。
 2つの古墳は木槨長さが8mを超える超大型級木槨墓。 88号墳からは銅矛、銅鏃、鉄鏃、巴形銅器(4脚)などが出土。91号墳からは、銅鍑、銅盆、銅碗、馬具(金銅辻金具(注1)、金銅馬鈴など)など、北方の鮮卑族との交流を示す遺物と筒形銅器が出土。
 金官伽耶で既に4世紀前半に金銅製馬具を使っていたことは、これまでの通説を変える発見となる。
[参考:聨合ニュース]

(注1)金銅辻金具(금동십금구)
大成洞古墳群7次学術発掘調査諮問会議での本遺物には、「금동십금구(金銅十金具)」と記している。したがって、新聞記事も同じ表記をしている。これまでは、「십금구(辻金具)」の表記を多く使用してきている。ハングル語の「십」は「十」であり、「辻」は中国語にはなく和製漢字(国字)である。


過去の関連ニュース・情報
 大成洞古墳群
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韓国寧越郡・正陽山城 統一新羅時代集水井発見

2012年07月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 寧越郡は、寧越邑正陽里鷄足山(계족산)南側裾にある5~6世紀三国時代の山城・正陽山城(정양산성、史跡 第446号)の第3次発掘調査で集水井(집수정)を確認したと24日発表した。
 これまで、韓国の山城で確認された統一新羅時代水門施設の中で最も完ぺきな形態の入水口施設という。
 集水井は平面形形状が正方形で北側を除いた残りの石垣は崩れたりしているが、排水路の役割をする水門施設は入水口、導水路、門座、水門石、上部水門枠まで完ぺきな形態で発掘された。
[参考:聨合ニュース]
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韓国・済州市・高山里先史遺跡 試掘調査で1万年前の遺構や遺物が多量出土 けつ状耳飾も

2012年07月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 済州文化遺産研究院は24日、韓半島で旧石器時代を終え新石器時代に入った1万年前頃の済州市高山里先史遺跡(고산리 선사유적、史跡412号)のうち約2万7千㎡で23ヶ所のトレンチ調査を実施した結果、3ヶ所のトレンチ以外の残り全てで住居跡などの遺構と各種土器・石器類遺物を多量に収集したと発表した。
<主な出土状況>
■円形住居跡10数基、竪穴遺構80数基、集石遺構10数基
■高山里式土器(고산리식 토기)、隆起文土器と無文様土器
■鏃、尖頭器、削器などの整形石器(完成品)
■けつ状耳飾(결상이식)1点
 ケツ状耳飾は、同じ済州では三陽洞遺跡(삼양동 유적)で出土したことがあり、江原文岩里遺跡(강원 문암리 유적)でも2点が収集されている。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報 <けつ状耳飾>
2011.5.4 釜山広域市加徳島新港予定地から、新石器前期代の人骨14体と玉製品4点が出土
 玉玦(옥결、けつ状耳飾)が4点出土
2011.2.17 釜山広域市加徳島新港予定地から、8千年前の新石器時代共同墓地を確認し、人骨26体が出土
 出土した玉玦は江原・文岩里遺跡で出土した玉玦と同じように、これまで韓半島で発見された最も早い時期の玉製品
2010.10.5 大田原市・片府田富士山遺跡 縄文時代草創期(約1万3千年前~1万年前)のけつ状耳飾が出土

(キーワード) 玦状耳飾、けつ状耳飾:결상이식、玉玦:옥결
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韓国・江原道高城郡・文岩里遺跡 新石器時代中期の耕作遺構(畑)を発掘 東アジア初

2012年06月29日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立文化財研究所は26日、江原道高城郡竹旺面の「高城文岩里遺跡(고성문암리 유적)(史跡 第426号)で、新石器時代中期の耕作遺構(畑)が見つかったと発表した。 一緒に出土した土器片などから紀元前3600〜3000年ごろの畑作の跡とみられ、中国、日本でも発見された例がない東アジア最初の新石器時代畑遺構と推定されるとしている。

 発掘された畑(밭)は2層に分かれ、上層(1260㎡)は典型的な畝(이랑)畑の形態を帯びるが、青銅器時代(BC1500?~BC400年)の畑の形態と比較した時、畦(두둑)と畝間(고랑、うねあい)の幅が一定でなく、畝が並んでつながっていない古式的形態である。
 下層(1000㎡)は複合区画の畑の形態で原始的な姿を帯びている。 新石器時代中期(紀元前3,600年~紀元前3,000年)の土器片(短斜線文土器(짧은빗금무늬토기): 櫛目文土器のひとつ)、磨製石鏃とともに新石器時代住居跡1基が確認され、年代が推定された。

 これまで韓国で確認された畑遺跡中、最も古いものは青銅器時代のものだった。 韓半島の新石器時代農耕に対しては石器(石鍬、掘棒、耜(スキ)属、石皿、石棒など)と炭化穀物(粟(アワ)、黍(キビ))を根拠にその存在が推定されていた。
[参考:2012.6.26聨合ニュース、2012.6.27産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
2008.12.10 中国浙江省・田螺山遺跡 世界最古のイチョウの木器、楽器か?
 約6800年前の地層から、楽器とみられるイチョウの木器が見つかる
2008.11.29 中国浙江省・田螺山遺跡 6000年前の茶畑か、栽培起源示す
 6000-5500年前の地層から世界最古の茶畑とみられる遺構が見つかる。
 田螺山遺跡(浙江省余姚市)は約7000年前の初期稲作文化の集落跡である。

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京畿漣川・無等里第2堡塁遺跡 馬鞍装後部に固定して飾る蛇行状鉄器が出土

2012年06月01日 | 韓国の遺跡・古墳など
 ソウル大博物館は31日、京畿漣川郡旺澄面無等里第2堡塁遺跡(연천 무등리 2보루 유적)で高句麗時代6~7世紀のものとみられる蛇行状鉄器(사행상철기)が出土したと発表した。
 蛇行状鉄器は馬鞍装後部に固定して飾ることで、これまで高句麗古墳壁画だけで見ることができた。 高句麗双楹塚古墳壁画には蛇行状鉄器末端に翻る旗を飾る姿が表現されている。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2011.5.17 京畿漣川・無等里第2堡塁遺跡 高句麗時代の札甲が出土
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