カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

イル ギオットーネ

2013年04月04日 | 京都
「じっくりと、味わって欲しい。」

とりたてて朝が早いという訳でもない、そんな人間にとって、実質、其の日の始まりというのは昼ご飯である、そんな感覚は、日々無きにしも非ずである。

そんな一日の始まりに、運良く此の店のランチを戴けた時の感覚、其れは、普段のルーティン・ワークに揉まれるばかりではあまり聞くこともない、ちょっと為になるいい話を、然程期待していた訳でもなく、思いがけず耳にした、そんな喜びに似ていなくもない、そんな気がした。

仕事の合間、急いでかき込むような食事内容ではないにせよ、まさに京都の中心街と言える此の界隈で気軽に戴ける此の価格帯のランチとしては、やはり此の味わいというのは其の評判通りに頭ひとつ抜けている、そんな感想を抱かされる。

惜しげもなく調味料を使い、しかし、素材の味は相殺されず、不思議と活きている、大胆で大雑把な調理かと思いきや、其れでもじっくり味わってみれば、普段届くことのない味覚の壷に、仄かに何かが感じられるような、そんな気がする。

其れは勿論、此の店のシェフの調理に関する知識、そして技術の積み重ねによる賜物であり、人員的な層の厚さによるところでもあるだろう、だから其の出来を、一概に周囲の他の店と比較するのは公平ではない、そして実際、其のお洒落で気軽な雰囲気に呼び込まれ、何か期待するものを間違えたままに、此の店の扉をくぐる人物が続出してしまっている、そんな嫌いもなくはない。

つまり、其の作り手の思惑というのが、普段の食事とは一味違うものを味わって欲しい、もっと言えば、食べる人の味覚をより啓蒙して行きたいと願っている其の料理を、其のつもりで味わう前提のない者に、そう易々と理解できる訳はない、其れは料理に限らず、どのような類の表現であれ、そのような危険性は必然的にある。

ひとつ、個人的な思い出話をするのなら、生前、少々西洋かぶれの嫌いのあった其の祖父は、単純に其のポリシーを家庭での料理にも反映させ、どのような料理であろうとも、大概は出されればとりあえずと、ウスター・ソースをたっぷりかけてしまう、其のような傾向のある無邪気な人物だった。

家族の為にと、其れなりに心をこめて、飽きさせない料理をまめに作っていた其の祖母は、細かい調理の手間を完全に無に帰してしまう其の無神経を、陰でこっそり嘆いていたものだった。

其処に意図的な悪意など欠片も存在しなくとも、其のような思い遣りのない食べ手の好き勝手が、日々作り手の努力を無下にし、其の心を傷つけている、そんな現実というのは、家庭に限らず、どのような場面でも、残念ながら否応なしに目に付いてしまうものなのである。

イル ギオットーネイタリアン / 四条駅(京都市営)烏丸駅五条駅(京都市営)
昼総合点★★★★ 4.0