カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

R Valentino

2012年08月25日 | 兵庫
「生きる、速さ。」

あまりにもきびきびした人は苦手である、それは、そのはきはきした態度がむしろ嘘くさいとか、そこに在る嘘をもしかして自分自身気付いていないのではないかとか、そんな非難がましいことを、まるで自らに対する言い訳であるかのようにくどくど述べるつもりなどでは実はなくて、おそらくは、単に自分がもたもたしているから、ただそういうことなのだろう、きっとそうに間違いない。

そう、もしかせずとも、これこそがまさに絶妙と言い得る間なのかも知れない、先の料理の皿が空けば即座に新しいカトラリーが用意され、慇懃なサーブで以って、さっと次の料理が提供される。

どんどんと調理するペース主導で無神経に機械的な勢いで以ってそれらの料理が運ばれてくるという訳ではなく、さり気なく眼の端で客の食べ終わるその頃合を見計らい、皿が空けば即座に反応しなければならないというそんな心掛けまでもが明らかに見て取れる、そしてだが、申し訳ないことに、それが実は息苦しい、どうしても、早く食べるようにと要求されているような、そんな気になってしまう小心者の自分が、賑わう周囲を余所に、ぽつねんと其処にいる。

質もそこそこのオイルを惜しみなくふんだんに使った茸たっぷりのパスタなど、予め一人前を二皿に厨房でシェアしてサーブされるという手際の良さではあるのだけれど、それさえもが食事時間短縮の為のひとつの技なのではないかと勘繰ってしまう、そんな外国人給仕の気の利き様である。

そして更に言うならば、そんな妄想に囚われてしまった身にとって、その惜しみないオイルの量というのが、そのサーブと同じく、過剰なことのようにまで思われてくるのであるから、これはもう実際、誠心誠意にサービスする給仕の方が気の毒なような、そんな状況ですらある。

世間一般の価値観からすれば、おおよそこの料理店には改善されるべき点など何ひとつない、おそらくは。

言うまでもなく、世間のスピードについていけないような人物の気持ちなど、世の中、省みられなくて当然なのだから。

ちょっと、この料理店が流行り過ぎていて、その食事というもの、そのものが、怒涛のように流されているという印象を受けずにはおれない、そうだとしても、それでも勿論のこと、そういう賑やかで華やいだ雰囲気というのは一概に否定されるべきことでは全くない。

詰まるところ、それより何よりそれ以前に、自分自身の望んでいるゆったりとしたリズムというものが、先ずこの店には存在しない、単にそれだけのことなのだろう。

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