カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

ラ・ベットラ・ダ・オチアイ

2012年05月09日 | 東京
「穴子、以上の穴子。」

築地で穴子丼を戴こうかという考えもあった、だからおそらくはその想いから連想されて、やはり穴子が食べたかったのだろう、このイタリアンでも穴子を使った前菜を注文したのではあるけれども、もし何も知らずにいたならば、これが穴子だとは一見してもわからない、もしかすると、ひと口食べてみてもわからなかったかも知れない、それくらいに意外な料理がこの穴子の前菜だった。

どこをどう見ても、これまでに戴いたことのある穴子料理とはちょっと違う、それ程に、ひと手間ふた手間かかったその料理は、予想していたよりも遥かに提供に時間がかかった、それは事実ではあるけれど、それだけ待った甲斐のある、いや、もっと待っても惜しくない、本心からそう思える、そんな出来栄えの料理であった、流石である。

肉厚でふっくらと、しかし、しっかりとした食感をも保ち、穴子特有の風味はかなりほんのりと、正直、魚であることすら、ちょっとわからないくらいのその料理は、何と言っていいのか、これまで食べていたものとは次元の違う食べ物のようにすら感じさせる。
もう、この一品の提供、それだけで、ちょっと無理をしてでもこの店を訪れた甲斐があったと感じ入ってしまった、時間的にもおおよそ固いと思われる対案を蹴ってまで、駄目で元々と訪れてみて、やはり、本当によかったと、掛け値なしにそう思えたものである。

然程広くはない店内には、満員以上とも思える人が犇き、しかし、時間を争うような雰囲気の人物はそれでも居らず、皆が本当に食べることを楽しみに来ている、そう感じられる空気が、文字通り、充満している。
大袈裟を承知で言うのなら、客と同じ数の店員が犇いている、そんな印象さえ受ける給仕の多さ、調理人の多さでもある。

これだけの数の調理人を擁していて、それでも料理の提供が早い訳ではない、それというのは、本当にその料理一品一品に、一人づつのシェフが付きっ切りで手間隙を掛けて調理しているという、その証左なのだろう。

そして本当に、そうなのだろうと思えるような内容の温かい料理が、結果、提供されることになるのだから、その為に少々時間がかかろうが、待つ立場としても、何も不満を感じることもない、むしろ、次の料理への期待が膨らみ、待ち遠しいくらいである。

その日、その大勢のシェフの中に、有名人でお忙しいご当人が居られたのかどうかは定かではないけれど、たとえ彼が他のどんな商売に手を広げていたとしても、この本店の料理、それさえしっかりと守られていたならば、結局は誰もその遣り方に迂闊に難癖を付ける訳には行かないだろう、そう思わせる、ただ単に完成度が高いだけでは勿論ない、実に実のある、そして温かみのある、そんな料理の数々であった。


ラ・ベットラ・ダ・オチアイイタリアン / 宝町駅新富町駅銀座一丁目駅
昼総合点★★★★ 4.5