goo blog サービス終了のお知らせ 

comfortable life style

日々の気になる出来事、お気に入りをライフワークの写真にまとめた日記

関ヶ原の合戦 史跡巡り①[西軍編]

2021-09-20 | 子育て・お出かけ

夏休みにはるさんと歴史漫画を読んでいました。

その時に、はるさんの五月人形の兜が島津義弘モデルだと知り、当然嬉しくなりました。

関ケ原の合戦にも参加していたので、この地方にも島津家のゆかりの地があるとの事。

 

宣言下ではありますが、屋外なので人と接する事もないので行ってみる事に。

まずは上石津町の「琳光寺

島津義弘が九州へ戻る際、義弘の陣羽織を着て戦いお亡くなりになった家老「長寿院盛敦」の墓があるとの事。

碑がありました。

 

次に近くに義弘の甥っこ豊久がしんがりを務め、犠牲となった坂「烏頭坂」(うとうさか)にも寄る事に。

今となっては「普通の坂」ですが、当時はすさまじい戦いがあった事をイメージしました。

近くの敷地には豊久の墓

と碑がありました。

また、「薩摩ベンチ」と呼ばれる

鹿児島から(治水工事を含め)姉妹都市を結んだ記念に贈られたベンチも。

背は、関ヶ原山脈のシルエットになっていました。そこには島津家の家紋!

 

今回は、島津軍のいた西軍目線での散策。

リーダーの石田三成の陣地「笹尾山」をメインに周る事に。(無料駐車場があります)

着くと山の上には光成の旗が掲げてあり、急にワクワクしてきました。

 

笹尾山、登り口。

 

馬防柵や

合戦旗も再現されており

当時の戦いをイメージできます。

 

光成の陣地は展望台になっており、とにかくカッコいい。

 

 

そこからは関ヶ原全体と周りの山々も見渡す事が出来、リーダーとして最適な場所だなと感じました。

奥の矢印の山には毛利軍や吉川軍・傍観組の陣地があり、そちらからもこちらの合戦の様子がよく見渡せた事でしょう。

この(笹尾山)すぐ麓に、決戦の地がありました。

結構近い範囲で、戦いが行われていたことが分かります。

石田と徳川の合戦旗の前にて。

 

そこから600mほどのところに、島津軍の陣地跡があります。

遠くから見ても良く分かる。

かっこいい。

 

碑もありました。

今は林になっていますが、この場所に1300人も集結できないので421年前は野原だったのかな?と想像します。

この碑は豊久の陣地。

九州から1300人も、しかも徒歩で、よくやって来たなと思います。

たどり着くだけでも大変なのに、そしてこれから合戦・・・。

私なら戦いどころじゃないな・・・ふぅ~

 

島津軍陣地の目と鼻の先(100~200mほど)のところが、なんと開戦地。

こんないい場所に陣をおきながら、当初戦いを見守っていたとは。(一応西軍ですが)

 

開戦地のお隣は小西行長陣地。

今回、様々な家紋、合戦旗を知りました。

 

コンパクトな場所にたくさんの史跡があって、散策にはもってこい。(無料駐車場もいくつもあります!私たちは歩きましたが)

今回周ったところ。

 

島津軍の関が原での合戦の様子や辿った場所も分かり、良かったです。

次回は、東軍目線で徳川家康、三重県にゆかりのある本多忠勝、藤堂々高虎などを中心に見て周りたいと思います。

 

夕ご飯

いいお天気なので、お庭で♪

 

色々盛り合わせ。

・リボンのマカロニ、トマトソース

・クリームシチュー

・鶏胸肉のチーズ焼き

・ソーセージ、ポテトフライ

・人参マリネ

・ピーマンとかにかまのサラダ

・生ハム

・モヤシサラダ

・サラダ

 

たくさん歩いて史跡を巡り、ワクワクしっぱなしで元気モリモリ、帰宅後張り切って夕ご飯を楽しく作る事が出来ました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ここ二日の夕ご飯の記録 | トップ | 撮影でした »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

子育て・お出かけ」カテゴリの最新記事