夏休みにはるさんと歴史漫画を読んでいました。
その時に、はるさんの五月人形の兜が島津義弘モデルだと知り、当然嬉しくなりました。
関ケ原の合戦にも参加していたので、この地方にも島津家のゆかりの地があるとの事。
宣言下ではありますが、屋外なので人と接する事もないので行ってみる事に。
まずは上石津町の「琳光寺」
島津義弘が九州へ戻る際、義弘の陣羽織を着て戦いお亡くなりになった家老「長寿院盛敦」の墓があるとの事。
碑がありました。
次に近くに義弘の甥っこ豊久がしんがりを務め、犠牲となった坂「烏頭坂」(うとうさか)にも寄る事に。
今となっては「普通の坂」ですが、当時はすさまじい戦いがあった事をイメージしました。
近くの敷地には豊久の墓
と碑がありました。
また、「薩摩ベンチ」と呼ばれる
鹿児島から(治水工事を含め)姉妹都市を結んだ記念に贈られたベンチも。
背は、関ヶ原山脈のシルエットになっていました。そこには島津家の家紋!
今回は、島津軍のいた西軍目線での散策。
リーダーの石田三成の陣地「笹尾山」をメインに周る事に。(無料駐車場があります)
着くと山の上には光成の旗が掲げてあり、急にワクワクしてきました。
笹尾山、登り口。
馬防柵や
合戦旗も再現されており
当時の戦いをイメージできます。
光成の陣地は展望台になっており、とにかくカッコいい。
そこからは関ヶ原全体と周りの山々も見渡す事が出来、リーダーとして最適な場所だなと感じました。
奥の矢印の山には毛利軍や吉川軍・傍観組の陣地があり、そちらからもこちらの合戦の様子がよく見渡せた事でしょう。
この(笹尾山)すぐ麓に、決戦の地がありました。
結構近い範囲で、戦いが行われていたことが分かります。
石田と徳川の合戦旗の前にて。
そこから600mほどのところに、島津軍の陣地跡があります。
遠くから見ても良く分かる。
かっこいい。
碑もありました。
今は林になっていますが、この場所に1300人も集結できないので421年前は野原だったのかな?と想像します。
この碑は豊久の陣地。
九州から1300人も、しかも徒歩で、よくやって来たなと思います。
たどり着くだけでも大変なのに、そしてこれから合戦・・・。
私なら戦いどころじゃないな・・・ふぅ~
島津軍陣地の目と鼻の先(100~200mほど)のところが、なんと開戦地。
こんないい場所に陣をおきながら、当初戦いを見守っていたとは。(一応西軍ですが)
開戦地のお隣は小西行長陣地。
今回、様々な家紋、合戦旗を知りました。
コンパクトな場所にたくさんの史跡があって、散策にはもってこい。(無料駐車場もいくつもあります!私たちは歩きましたが)
今回周ったところ。
島津軍の関が原での合戦の様子や辿った場所も分かり、良かったです。
次回は、東軍目線で徳川家康、三重県にゆかりのある本多忠勝、藤堂々高虎などを中心に見て周りたいと思います。
夕ご飯
いいお天気なので、お庭で♪
色々盛り合わせ。
・リボンのマカロニ、トマトソース
・クリームシチュー
・鶏胸肉のチーズ焼き
・ソーセージ、ポテトフライ
・人参マリネ
・ピーマンとかにかまのサラダ
・生ハム
・モヤシサラダ
・サラダ
たくさん歩いて史跡を巡り、ワクワクしっぱなしで元気モリモリ、帰宅後張り切って夕ご飯を楽しく作る事が出来ました。