少し時間ができたので、天童へ2時間だけ行ってみました。将棋の駒の産地として有名なところです。
天童の街をつらぬく道路は、松並木になっていました。松の並木道というのは、ちょっと記憶にないなあ。珍しいのではないでしょうか。
明治の洋風建築の旧東村山郡役所です。今は、資料館になっています。
旧東村山郡役所があるあたりの本通りに面した建物は、建物自体は新しいのに、外観を懐古調にしています。市として、そういったまちづくりでもしているのでしょうか。
天童藩は、織田信長の次男の家系が治めたのだそうです。ということで、織田信長を祀った建勳神社が建てられていました。
珍しことに、神社の内部に入ることができます。中には、信長の肖像画が飾ってあります。この肖像画は、ホントかウソか、来日した南蛮人が写実的に描いた信長像なのだそうです。ゆえに、信長の実際の顔貌に最も近い肖像画とも言われていると、説明書きにありました。
建勳神社から丘を登りました。
途中、建勳神社の旧社殿があった位置に碑が立っていました。元の社殿は、今の場所よりももっと登った、丘の中腹にあったようです。
丘の頂上付近には、将棋供養塔があります。
供養塔の下に、天童市の春の行事である人間将棋の会場があります。なんだかインドのファーティプル・シクリを思い出しました。
建物に曲線が使われて、妙に近代的なのが天童駅です。
この駒の形をした入口が、将棋博物館です。天童駅に併設されています。せっかくなので300円支払って入ってみました。内部は、将棋の駒の歴史や作成方法、書体などについての展示があります。そもそも天童で将棋の駒がつくられるようになったのは、この地にやってきた織田藩の家臣たちが、内職として駒づくりをしたことからなのだそうです。
さて、天童から山形へ帰ってきて、昼食は駅前のお蕎麦屋さんへ。山形も蕎麦どころの1つということなので。
「ゆうぜん」というお店です。
冷たい蕎麦。
暖かい蕎麦もあります。
それで注文したのは、山形らしく板そば(950円)です。木枠の入れ物に入ってきます。
細めで、比較的白っぽい色の蕎麦です。蕎麦らしいコシがあります。そして、量がかなりあります。つけ出汁は、濃口の関東系です。
蕎麦ではお腹がすくかと思いましたが、これで十分すぎるほどでした。
天童の街をつらぬく道路は、松並木になっていました。松の並木道というのは、ちょっと記憶にないなあ。珍しいのではないでしょうか。
明治の洋風建築の旧東村山郡役所です。今は、資料館になっています。
旧東村山郡役所があるあたりの本通りに面した建物は、建物自体は新しいのに、外観を懐古調にしています。市として、そういったまちづくりでもしているのでしょうか。
天童藩は、織田信長の次男の家系が治めたのだそうです。ということで、織田信長を祀った建勳神社が建てられていました。
珍しことに、神社の内部に入ることができます。中には、信長の肖像画が飾ってあります。この肖像画は、ホントかウソか、来日した南蛮人が写実的に描いた信長像なのだそうです。ゆえに、信長の実際の顔貌に最も近い肖像画とも言われていると、説明書きにありました。
建勳神社から丘を登りました。
途中、建勳神社の旧社殿があった位置に碑が立っていました。元の社殿は、今の場所よりももっと登った、丘の中腹にあったようです。
丘の頂上付近には、将棋供養塔があります。
供養塔の下に、天童市の春の行事である人間将棋の会場があります。なんだかインドのファーティプル・シクリを思い出しました。
建物に曲線が使われて、妙に近代的なのが天童駅です。
この駒の形をした入口が、将棋博物館です。天童駅に併設されています。せっかくなので300円支払って入ってみました。内部は、将棋の駒の歴史や作成方法、書体などについての展示があります。そもそも天童で将棋の駒がつくられるようになったのは、この地にやってきた織田藩の家臣たちが、内職として駒づくりをしたことからなのだそうです。
さて、天童から山形へ帰ってきて、昼食は駅前のお蕎麦屋さんへ。山形も蕎麦どころの1つということなので。
「ゆうぜん」というお店です。
冷たい蕎麦。
暖かい蕎麦もあります。
それで注文したのは、山形らしく板そば(950円)です。木枠の入れ物に入ってきます。
細めで、比較的白っぽい色の蕎麦です。蕎麦らしいコシがあります。そして、量がかなりあります。つけ出汁は、濃口の関東系です。
蕎麦ではお腹がすくかと思いましたが、これで十分すぎるほどでした。
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