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file .243 Ken BOYER 【ケン・ボイヤー】

2008-04-10 | ABC
【チームリーダー】
Ken BOYER

言わずと知れた、クリート・ボイヤーの兄であり、
メジャーリーグ史、屈指の名三塁手である。

投手としてプロの道に足を踏み入れたボイヤーだが、
その打撃力を買われ、三塁手として
1955年、メジャーデビューを果たした。
56年、打率.306、26本塁打、98打点をマーク、
その才能を開花させ、さらに好守を連発。
瞬く間にスタン・ミュージアルに次ぐ、チームの主力打者になる。
以後、58年には打率.307、28本塁打、90打点、
60年は打率.304、32本塁打、97打点、
61年は打率.329、24本塁打、95打点..と
58年~61年まで、4年連続で打率.300、20本塁打、90打点以上を打ち、
さらに、64年まで7年連続で20本塁打、90打点以上をマーク、
6年連続オールスター出場、
ゴールドグラブも3度受賞するなど、
リーグを代表する三塁手として、その名をおおいに馳せた。

64年、ボイヤーは打率.295、24本塁打、119打点で
打点王と、シーズンMVPを獲得。
弟のクリートが在籍するヤンキースとのワールドシリーズでは、
第4戦で、劇的な逆転満塁本塁打を放つなど、
2本塁打、6打点の活躍でチームの世界一に大きな貢献を果たした。

65年、打率.260、13本塁打、75打点に終わったボイヤー、
この年を境に衰えが見え始める。
66年にメッツに移籍し、チームトップの61打点を叩きだすが、
往年の活躍ぶりからは、ほど遠く、
69年、ドジャースで現役生活にピリオドを打った。

若かりし頃、チームの顔だったミュージアルから、
練習法や、野球に対する姿勢など、多くを学んだボイヤーは、
ミュージアル引退後、師の教えをティム・マッカーバーやルー・ブロックら、
多くの後輩たちに伝授した。

怪我をおしてプレーする事もしばしばで、
何故、その怪我で毎日プレー出来るのか...とチームメイトに聞かれたボイヤーは
こう答えたという。
「俺なんかに5万ドルもの年棒を払ってくれる職場が他にあるかい??」

引退後、コーチや監督を歴任するが、
81年、ガンのため、51歳の若さで死去。
通算打率.287、282本塁打、1141打点。
信じられない事に、未だ野球殿堂入りを果たしていない。


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