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file.074 Will CLARK 【ウィル・クラーク】

2006-05-12 | ABC
【ザ・スリル】
Will CLARK

1984年、ロス五輪の代表メンバーとして銀メダル獲得に貢献し
さらに翌年、大学野球においても最優秀選手に選ばれるなど、
85年のドラフトの目玉だったクラークは、
全米2位でサンフランシスコ・ジャイアンツに入団し、
86年、メジャー初打席でノーラン・ライアンから
ホームランを打つ派手なデビューを飾る。

若くして積み上げた実績からくる自信と、生まれ持った闘争本能は
一時、「横柄で生意気な奴」との評判をもたらしたが、
クラークは、チームに勝利をもたらすクラッチヒットを打ち続け、
サンフランシスコのファンから絶大な支持を得る事になる。

87年に打率.308、35本塁打、91打点を放つと、
88年、打率.282、29本塁打、109打点で打点王、
89年には.333の高打率に加え、23本塁打、111打点を稼ぎ、
チームのリーグ優勝に貢献、
カブスとのチャンピオンシップでは
第5戦で、ミッチ・ウィリアムスから決勝タイムリーを放つなど、
打率.650、2本塁打、8打点の大活躍。
が、ワールドシリーズでは、打率.250打点0に終わり、
チームも0勝4敗でアスレチックスに敗れ去る。

その後も、91年、打率.301、29本塁打、116打点をマークするなど
勝負強い打撃が冴え渡り、
チームの中心選手としての地位を揺るぎないものにする。
当時のチームメイト、ボブ・ブレンリーは
クラークを『ザ・スリル』と呼び、
これは彼の最も有名なニックネームとなった。

92年以降、ホームランの数こそ減少するが
勝負強い安定した打撃は変わらず、
94年からレンジャーズ→オリオールズ→カージナルスと、
活躍の場を移しても、そのクラッチ・ヒッターぶりを存分に見せつけた。
98年は打率.305、23本塁打、102打点。
キャリア最後の年となった2000年は、
89試合でリタイアしたマグワイアの代役としてカージナルスに移籍、
移籍後の51試合で打率.345 12本塁打 42打点の大活躍、
マグワイアの穴を埋めて余りある活躍をみせチームを地区優勝に導き、
選手生活の終わりを華々しく飾った。

クラークの父親はプロのハスラーである。
彼は、勝負師だった父親の遺伝子を見事に受け継いでいたのである。


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