【ヘッド・ハンター】
Pedro MARTINEZ
ドジャースでエースに君臨していた兄ペドロを追うように
1992年に同チームに入団したペドロ。
93年にメジャーに定着し、リリーフ投手として65試合に出場
防御率2.61 10勝 2セーブをマーク、
兄と共にチームの勝利に貢献するも
オフにエクスポズへトレード移籍の運びとなる。
エクスポズ1年目の94年、先発に転向し防御率3.42 11勝をあげると
95年は防御率3.51 14勝をマーク、96年も兄ラモンと投げ合うなど防御率3.70 13勝と
チームに欠かせないエース級の投手に成長を遂げた。
が、ペドロの伸びしろは、こんなもんじゃなかった。
97年、投手コーチのボビー・クエイヤーからチェンジアップの強化を勧められたペドロは
見事これに成功。落差の大きな新チェンジアップを軸に、
投球の幅が格段にアップし、防御率1.90 17勝を記録。
サイ・ヤング賞を受賞し、
一躍、超一流投手の仲間入りを果たす。
150キロ後半の豪速球に加えコントロールは抜群。
キレ味鋭いハードカーブに件のチェンジアップを織り交ぜ
時には打者を威嚇すべく頭付近をえぐるように投げ込む。
付いたニックネームは『ヘッド・ハンター』
才能を満開に開花させたペドロを打ち崩すのは容易では無かった。
98年にレッドソックスに移籍すると
防御率2.89 19勝でチームのポストシーズン進出に貢献。
99年は防御率2.07 23勝をあげ、最優秀防御率・最多勝・最多奪三振・二度目のサイ・ヤング賞を受賞。
2000年も防御率1.74 18勝で、最優秀防御率・最多奪三振・三度目のサイ・ヤング賞と
まさに八面六臂の大活躍を見せた。
「呪いなんて俺は信じない。バンビーノの奴をここに連れて来い。ケツにぶち込んでやる!」
レッドソックスはバンビーノことベーブ・ルースを放出して以来、
ワールドシリーズ制覇から遠ざかっていた。
あと1勝で世界一というチャンスを4回迎えて全て逃しているような事実も
『バンビーノの呪い』の神秘的な信憑性を高めていた。
闘争本能剥き出しのペドロは、レッドソックス入団後、
当然の如く、チーム最大の仇『バンビーノ』に噛み付いた。
01年は怪我で途中離脱し18試合の登板に終わったペドロだったが
02年は防御率2.26 20勝、03年は防御率2.22 14勝…と看板に恥じない投球を披露。
そして04年ペドロは、防御率3.90 16勝と調子を崩したものの、チームはリーグ優勝。
カージナルスとのワールドシリーズでも1勝をあげ、レッドソックス86年ぶりの世界一に
大きく貢献し、前述の公約(?)を守った。
05年からはニューヨークメッツに移籍。
ボソックス時代の圧倒的な投球は若干影を潜めるものの
正確無比のコントロールとキレのある変化球は健在、
06年に通算200勝、07年に通算3000奪三振を記録した。
09年、フィリーズに移籍。
チームのリーグ優勝に貢献するも、
ワールドシリーズではヤンキースの松井秀喜の打棒の前に屈し、
2敗を喫し、そのまま現役を引退した。
通算476試合 防御率2.93 219勝 3154奪三振。
メジャーの歴史でも屈指の右投手で、
マウンド上では、打者に牙をむく鬼神のような獰猛さを見せたが
実際は悪フザケが好きな、陽気なドミニカンであった。
Pedro MARTINEZ
ドジャースでエースに君臨していた兄ペドロを追うように
1992年に同チームに入団したペドロ。
93年にメジャーに定着し、リリーフ投手として65試合に出場
防御率2.61 10勝 2セーブをマーク、
兄と共にチームの勝利に貢献するも
オフにエクスポズへトレード移籍の運びとなる。
エクスポズ1年目の94年、先発に転向し防御率3.42 11勝をあげると
95年は防御率3.51 14勝をマーク、96年も兄ラモンと投げ合うなど防御率3.70 13勝と
チームに欠かせないエース級の投手に成長を遂げた。
が、ペドロの伸びしろは、こんなもんじゃなかった。
97年、投手コーチのボビー・クエイヤーからチェンジアップの強化を勧められたペドロは
見事これに成功。落差の大きな新チェンジアップを軸に、
投球の幅が格段にアップし、防御率1.90 17勝を記録。
サイ・ヤング賞を受賞し、
一躍、超一流投手の仲間入りを果たす。
150キロ後半の豪速球に加えコントロールは抜群。
キレ味鋭いハードカーブに件のチェンジアップを織り交ぜ
時には打者を威嚇すべく頭付近をえぐるように投げ込む。
付いたニックネームは『ヘッド・ハンター』
才能を満開に開花させたペドロを打ち崩すのは容易では無かった。
98年にレッドソックスに移籍すると
防御率2.89 19勝でチームのポストシーズン進出に貢献。
99年は防御率2.07 23勝をあげ、最優秀防御率・最多勝・最多奪三振・二度目のサイ・ヤング賞を受賞。
2000年も防御率1.74 18勝で、最優秀防御率・最多奪三振・三度目のサイ・ヤング賞と
まさに八面六臂の大活躍を見せた。
「呪いなんて俺は信じない。バンビーノの奴をここに連れて来い。ケツにぶち込んでやる!」
レッドソックスはバンビーノことベーブ・ルースを放出して以来、
ワールドシリーズ制覇から遠ざかっていた。
あと1勝で世界一というチャンスを4回迎えて全て逃しているような事実も
『バンビーノの呪い』の神秘的な信憑性を高めていた。
闘争本能剥き出しのペドロは、レッドソックス入団後、
当然の如く、チーム最大の仇『バンビーノ』に噛み付いた。
01年は怪我で途中離脱し18試合の登板に終わったペドロだったが
02年は防御率2.26 20勝、03年は防御率2.22 14勝…と看板に恥じない投球を披露。
そして04年ペドロは、防御率3.90 16勝と調子を崩したものの、チームはリーグ優勝。
カージナルスとのワールドシリーズでも1勝をあげ、レッドソックス86年ぶりの世界一に
大きく貢献し、前述の公約(?)を守った。
05年からはニューヨークメッツに移籍。
ボソックス時代の圧倒的な投球は若干影を潜めるものの
正確無比のコントロールとキレのある変化球は健在、
06年に通算200勝、07年に通算3000奪三振を記録した。
09年、フィリーズに移籍。
チームのリーグ優勝に貢献するも、
ワールドシリーズではヤンキースの松井秀喜の打棒の前に屈し、
2敗を喫し、そのまま現役を引退した。
通算476試合 防御率2.93 219勝 3154奪三振。
メジャーの歴史でも屈指の右投手で、
マウンド上では、打者に牙をむく鬼神のような獰猛さを見せたが
実際は悪フザケが好きな、陽気なドミニカンであった。
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