【Mr.30・30】
Bobby BONDS
68年、憧れのウィリー・メイズと同じ、
ジャイアンツでデビューしたボンズ。
初安打を満塁本塁打で飾る..という
ド派手なデビューを果たし、85試合に出場、打率.259をマークした。
翌69年、打率.259、32本塁打、45盗塁と
二年目にして、いきなり30/30を達成、
パワーのあるリードオフマンとして、
早くもチームの看板選手の仲間入りを果たす。
70年は、200安打を記録、打率.302、26本塁打、48盗塁と
スピード、パワーに加え、確実性も見せつけたが、
一方で、当時のメジャー記録である
シーズン189三振を喫するなど、粗さも目立った。
ちなみにこの記録は、2004年に、レッズのアダム・ダンが更新した。
71年、打率.288、33本塁打、102打点、
73年には、39本塁打、43盗塁....と、2度目の30/30をマーク、
看板通りの活躍を続けていたボンズ。
75年、ヤンキースへトレード移籍すると
その後、エンゼルス、ホワイトソックスをはじめ、
毎年のようにチームを変えたが、
そんな中、トレードマークの30/30を3度マークするなど、
どのチームでも変わらず、スピードとパワーを見せつけた。
81年、35才のボンズは、カブスで現役を引退、
通算1886安打、332本塁打、1024打点、461盗塁をマーク、
メイズや、アンドレ・ドーソンと並ぶ、
「スピードのあるスラッガー」の先駆者的存在といえよう。
ちなみに生涯1757三振は堂々、歴代11位の大記録(?)である。
引退後は、ジャイアンツなどでコーチに就任、
93年~96年の間は、最愛の息子バリーとは、コーチと選手として
同チームに在籍した。
2003年、肺癌と脳腫瘍のため57才の若さで亡くなった。
Bobby BONDS
68年、憧れのウィリー・メイズと同じ、
ジャイアンツでデビューしたボンズ。
初安打を満塁本塁打で飾る..という
ド派手なデビューを果たし、85試合に出場、打率.259をマークした。
翌69年、打率.259、32本塁打、45盗塁と
二年目にして、いきなり30/30を達成、
パワーのあるリードオフマンとして、
早くもチームの看板選手の仲間入りを果たす。
70年は、200安打を記録、打率.302、26本塁打、48盗塁と
スピード、パワーに加え、確実性も見せつけたが、
一方で、当時のメジャー記録である
シーズン189三振を喫するなど、粗さも目立った。
ちなみにこの記録は、2004年に、レッズのアダム・ダンが更新した。
71年、打率.288、33本塁打、102打点、
73年には、39本塁打、43盗塁....と、2度目の30/30をマーク、
看板通りの活躍を続けていたボンズ。
75年、ヤンキースへトレード移籍すると
その後、エンゼルス、ホワイトソックスをはじめ、
毎年のようにチームを変えたが、
そんな中、トレードマークの30/30を3度マークするなど、
どのチームでも変わらず、スピードとパワーを見せつけた。
81年、35才のボンズは、カブスで現役を引退、
通算1886安打、332本塁打、1024打点、461盗塁をマーク、
メイズや、アンドレ・ドーソンと並ぶ、
「スピードのあるスラッガー」の先駆者的存在といえよう。
ちなみに生涯1757三振は堂々、歴代11位の大記録(?)である。
引退後は、ジャイアンツなどでコーチに就任、
93年~96年の間は、最愛の息子バリーとは、コーチと選手として
同チームに在籍した。
2003年、肺癌と脳腫瘍のため57才の若さで亡くなった。
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