死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

横浜の母との別れ

2017-04-15 17:00:48 | こどもたち
子供たちが通っていた学童の先生がおととい亡くなられました。

普通に考えると、学童の先生なんて子供が小学校に通っている、それも低学年の間だけのお付き合いって感じなのですが。
私にとって、先生は横浜の母のような存在で。
息子が1年生の時に知り合って、12年。学童を卒業して4年、ずっと仲良くさせてもらってました。
子供たちが、親にも友達にも誰にも相談できない悩みをぶつける相手は先生でした。
つらくなるとフラっと学童に立ち寄り、先生に相談する。
私も子育てに息詰まるときには相談する、おしゃべりする。そんな大切な存在でした。

息子の高校の卒業式の帰りに学童にご報告に行き、その時も先生は普段通りで。
一緒に写真を撮って、また今度ご飯食べに行きましょうねなんて話をしていたのですが。

2週間前、学童のもう一人の先生から電話があり、
「先生が入院されました。がんが見つかり、もうどうにもできない状況です。あと数日だと思われます」
とのこと。
ついこの間卒業の報告に行ったばかりだったのに、1週間前まで学童にいたのに。

それから学童に行き、現役の役員やほかの先生たちと相談し、先生にビデオレターと千羽鶴、お手紙を送ろうと。
夜の間にメールやラインで保護者や子供たちに呼びかけ。(もちろんそんな重篤な状況だということは伏せて)

土日で延べ100人近くが学童を訪れ、録画したり千羽鶴を折ったり。わいわいがやがや過ごしました。
卒業生たちは再会を喜び、近況報告をしたりして、先生がくれた久しぶりの楽しい時間でした。
それをご家族にお渡ししたのが火曜日。
もう先生は意識も混濁した状態だったらしいのですが、手紙を読み上げると反応したり、なくなる当日もビデオを流すともう意識がないのに、返事をしたりされたそうです。
そして、連絡をもらってからわずか2週間で旅立ってしまいました。

ご家族ともお話をしたのですが、まさかこんなに子供たちに愛されて、必要とされているとは思っていらっしゃらなかったそうで、本当にびっくりしたとおっしゃってました。

お別れは月曜日と火曜日。私は仕事を休んでお手伝いに行ってきます。
今日はその打ち合わせでまた学童に行ってきました。
先生のカップにもコーヒーを入れて、打ち合わせ。まだ信じられません。

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