寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

住職の嫁

2011-03-08 02:31:24 | 

卒業式でのこと

 

それぞれのクラスに戻ってのHR
このクラスには、確か当山とご縁のあるMさんが居られるはず

 

ご門徒さんではないが
葬儀以来、月忌と法事を勤めさせていただいている
初七日のあと、一度だけお会いしてるんだけど
私もどなたがMさんだったか見分ける自信もなかった
子供さんと一緒に居る所を息子が「あの人がMさん」って教えてくれたので
ちょっと一口挨拶をさせていただいた

 

そしたら

「あぁ・・・・ご主人にはお世話になっています」って

 

 

なんかさ、こう田舎にすんでると
大抵は私が○○寺の坊守だということは知られてるし
住職知ってるならそのペアとして坊守の私も知られていて当然なところがあって
実際に法務を通して、関わっているのは住職だけでも
それはイコール、住職の所属するお寺との関わりだし
それはイコール、住職の配偶者である私、坊守との関わりでもある
・・・・・と疑う事無く思っていた訳だ
「お寺さん」・・・・ってのはお寺の家族を含めたものだと思い込んでいたし
実際、そういう付き合いが出来ていた

だけど
法要等、お寺に出向いてくる事の一切無い彼女にとって
お寺は法事を勤めてくれる僧侶のことであり
「坊守」という人間と言うか、職分は存在しないんだよなぁ~

寺院という基盤があって
そこを拠点として、信仰っちゅうか宗教の活動が僧侶と門信徒との間に相互にあって
初めて、住職とか坊守とかは存在するのね
・・・・なんて今更ながら思ったり・・・・・。



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6 コメント

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Unknown (紅緒)
2011-03-09 20:27:02
おひさしぶりです。
息子さん、卒業おめでとうございます。

私もなんか解るなあ。
家のほうは、女性が表に出ちゃいけないってのが
今でも少し残っていて(女人禁制のなごりか)
ほとんど裏方の仕事ばかりなので
なかなか壇信徒のかたとお話する機会もないの。

でたまたま廊下でお会いした方に
奥さんを奥に隠してるからなぁ。
となんかいや~な感じで言われたことあった。
できれば表に出たいのにと思っちゃった。


色々考えさせられますね。

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『私』と『坊守』 (かっぱえびせん)
2011-03-10 11:54:14
どういう角度でコメントしたらいいのか、ずっと考えていました。

ここらあたりでは、門徒さんとのコミュニケーション、親しみ関係作り(上手い表現が出来ない)は、坊守の最大の役割…に近い感じがあります。でも先日は組内で『前に出るなと言われている』という話しを聞いて驚いていたところでした。

私にとって『坊守イコール私』ではないし、『坊守としての私』は、『私の極一部』。私を『坊守』だとは知らない人たちとの関係は大事にしたい。肩書き、職種を通して見られたくない。新しく知り合いになった人とは、『坊守』であることを伏せてお付き合いしたいけど、何だかんだですぐバレる。

『坊守』であることは、坊守にならせていただいたご縁は、本当にありがたいことで、イヤだとか恥ずかしいとか言うことでは全くありませんよ。勿論!
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Unknown (ふう)
2011-03-10 15:28:30
なんて言うかさ、話がちょっとずれると思うけど、私はうらやましいなぁ、,っておもうよ。

お寺に出向かない人にとっては『坊守』って存在は、ほとんど気にとめる事もないでしょうが(私も夫のとこの住職さんは道であったらご挨拶できるけど、奥さんは25年たった今でもお顔わからないもの
けど、お寺と深く関わっている門徒さんにとっては坊守さんの存在ってとっても大きいでしょ。
住職通り越して『坊守さんおらんか!?』って言ってこられる方も多いんじゃない?

信仰とか宗教とかって話からは随分遠いんだけど、妻とお母さんしかしてこなかった私は、それこそ私の存在って何かなぁ、,,って、考えてしまうこの頃だわよ。深く考えると重くなりそうだけど。

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紅緒さんへ (花子)
2011-03-11 01:39:54
ありがとうございます
高校嫌い・・・・辞めたい・・・・ってずっと言ってたから
ちゃんと卒業できてホッとしてます
でもね、「嫌だ嫌だ」といいながら、卒アルや友達との雰囲気なんか見てると、学校楽しそうやん!って思った。良かった・・・ウルッ(涙)って感じです

真宗は女人禁制ではないけど
やっぱり女性は一歩下がって・・・・内助の功・・・・みたいなとこあります
最近は少しずつ変わってきてるとは思うけどね
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かっぱえびせんさんへ (花子)
2011-03-11 01:57:32
そうだよね
「坊守」という看板をいつも意識して掲げてる必要はないよね
「坊守」だと知ってる人に対しても、坊守の部分も含めて、「私」としてお付き合いできたら良いなと思います。

ただ、今回のケースのように
法事の時だけ僧侶を派遣してもらうという感覚
その一点だけに特化した関係においては
「坊守」という存在は必要無いよなぁ~って思ったのです
そして、これからは確実にそういう関係が増えてくるような気がしたので
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ふうちゃんへ (花子)
2011-03-11 02:13:27
>お寺と深く関わっている門徒さんにとっては坊守さんの存在ってとっても大きいでしょ

・・・そうなのよ、そこなのよ
ご門徒さんとの関わりが、段々希薄、疎遠になってくると、こちらでは法事は殆ど自宅でお寺ですることは少ないので、法事に呼ばれた僧侶だけとの何年かに数時間だけのお付き合い・・・・みたいな感じになるケースがあるのよね
地元で家を継ぐなんてことに縛られなくなってきた昨今、段々そういうケースも増えてくるんだろうなぁ・・・・って思ったり
そして、そんなお付き合いのなかで「坊守」としてできることって何だ?・・・・って考えちゃったんだよね
得度して、当山所属の僧侶としての関わりなら作れるかもしれないけど、そうではない「坊守」はどうなんだろう?・・・ってね

「妻」や「母」としての存在意義って私はなんか逆に肩肘張らずに受け入れられる気がしてる
「坊守」っていうのもそれぐらい自然に受け入れられるといいのかもしれないなぁ
でも、私はふうちゃんの「悩みどころ」がすごく好きなのだ・・・・っていつも思う
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