寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

学習会案内文できたっ!

2010-11-27 01:50:56 | 

来年1月の担当学習会

案内文完成!

 

社会的差別に苦しむ人に対して、「信心は現実を引きけることだ、与えられた人生を引き受けなさい」と応える時、この教えはどのように働いてきたのでしょか。
それは、次の三つのことを引き起こす
・苦しむ人はそれ以上語ることをしなくなる、語る場を奪う。
・苦しみや悲しみの原因に向き合うことをしなくなる。
・教えるもの(私はわかっている)と教えられるもの(あなたはわかっていない)の二つに分けてしまう。(今年、二月に行われたハンセン懇交流学習会より) 
「ありのままを受け止める」という教えは、どうしようもない現実に苦しむものに時に「救い」「力」をあたえてくれるものであるが、一方でそれは理不尽な差別を肯定させるものではなかったか。  社会的差別の現実を信仰の課題として捉えることができず、差別されるものに対して、「その理不尽な現実」を受け入れるということを前提に 「救われる」ことを説いてきた責任は大きい。今回、差別の現場、教学の立場から、3名の発題を受け、話し合いを深めたいと思います。  

どんな話が飛び出すか・・・・とても楽しみです!


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2 コメント

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すごいですね~ (koba)
2010-11-27 20:12:14
う~ん。テーマが深い。

というか難しい。

例の解推のHP制作の件で依頼を受けた時にそういう関係の資料をもらって読みましたが、
あれはかなりのレベルの議論だなーと感じました。
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kobaさんへ (花子)
2010-11-28 01:24:05
難しいですよね
訊く所によるとO派は教学派と声明作法派と社会活動派に分かれているそうです
全てのものは平等である・・・・これは仏教でははっきりしてるけど、『現実」はそうではない
それをどう捉えるのか
これは現在進行形の信仰の課題・・・・ですよね?

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