保守論客西部邁は『「靖国神社は「英霊」を祀る場所であり、そして「英(ひい)でた霊」とは「国家に公式的な貢献をなして死んだ者の霊」のことを指す』と解説している。
『故東条英機をはじめとするA級戦犯と(占領軍から)烙印を押された我が国の旧指導者たちに英霊の形容を冠するのは、歴史の連続性を保つという点で、是非とも必要なことと思われる」
「A級戦犯と名付けられている(戦勝国によって殺害された)人々の霊(なるもの)が英霊でないはずがない」』
『ファシスタたらんとした者』 中央公論新社、2017年で英霊に触れている。
『国家に公式的な貢献をなして死んだ者の霊』とはその祭神246万余柱全てであるが、西部は合祀問題でまだまだ異論の多い昭和殉難者を「A級戦犯と名付けられている人々」とあえて表記し、また「烙印を押された旧指導者」と共に特記することでこの『英霊』の言葉自体が【歴史の連続性を保つ】つまり日本が日本である為のキーワードとしている。
確かに英霊とは「霊魂。特に,戦死者の魂を敬っていう語。」の他に「すぐれた人。また,その魂。」との意味も含まれ、西部がとりわけA級戦犯に触れた真意は英霊を区別しているのではなく、殊更に敵国、占領軍から烙印を押された事を強調するためであり、合祀が問題化する事自体に歴史の連続性が破壊されてしまう警鐘を鳴らしているのだ。
祭祀主である天皇が戦犯に憎悪して親拝を停止するという巨悪の歴史捏造が連続性を破壊する為に仕組まれたのである限り日本国民はそれを阻止する為に分け隔てなく全ての戦没者が『英霊』であるということから始めなければならないことを西部邁は示唆しているのである。
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