宇垣纏海軍中将は終戦の詔勅後の特攻を決行したことで有名ですが、戦後の彼への誹謗抽象或いは否定的な論評を分析することで、数多くの部下達の特攻を見送った中将としての心境に近付けると思い、今回はその事と宇垣と言えば陣中日記の『戦藻録』の欠落部分が何故紛失したのかをその部分の出来事から逆説的に紛失理由を推測しようと思います。
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『すでに戦争は終わってるんですから、戦後処理と国家の再建を考えなければなりません。
そんなときに自分ひとりで死にに行くのならともかく、列機を引きつれ無駄死にさせたってのはエゴの極みです。
百歩譲ったとしても、認めてもいいのは操縦員と2人だけで単機の出撃までです。』
『大西中将は一人で死にました。しかし宇垣さんは部下を連れていったので後に批判されています。たしか部下の遺族も抗議したような…』
『一人で腹を切って責任を果たし、自分が死に追いやった部下たちの後を追うというのは美談。
でも、
自分が乗る航空機を若い搭乗員に操縦させて、若者たちを巻き添えに特攻するのは個人的なわがまま。』
『おそらく自分の娘婿と部下数名と沖縄に向かったからでしょう。若者を巻き添えにしたと。宇垣は操縦が出来なかったのでやむおえないのですが、それなら割腹しろという所ではないでしょうか。』
『既に戦争は終わり、天皇の玉音放送もあり、海軍総隊から戦闘停止の命令が出ていたにも拘わらず、部下に特攻機の準備を命じ、彗星二型艦爆11機で出撃。大変軽はずみで思慮のない行為でした。戦争が終わってこれから日本の再建の為にがんばってもらうべき若者を道連れにした宇垣の勝手な行動は許されません。そしてこの特攻攻撃は完全な失敗に終わりましたが、もし成功していたら停戦協定違反に怒った米軍の報復爆撃で死ななくてもいい日本人が更に沢山死んでいたでしょうね。
宇垣特攻を知った海軍総隊司令長官の小沢治三郎中将は「陛下の終戦の大命をなんと心得るか。私情で部下を道連れにするなどはもってのほかである。死ぬのなら一人で死ね!」と激怒したそうです。隊長の中津留大尉は若妻と生まれたばかりの子供を残して死にました。中津留大尉は一人息子でしたが、父親は「海軍は息子を返してくれ」と泣いたそうです。この様に宇垣の道連れになって16名の若者が戦争が終わったあとに無駄に死にました。』
『靖国神社に今でも合祀されていない。』
『草鹿龍之介は宇垣を「木で鼻をくくったような冷淡な男」と評しているが、宇垣の死に触れた草鹿は「彼もまた偉い武人であった」と評している』
冒頭に戦後の彼への誹謗抽象或いは否定的な論評を分析することで、数多くの部下達の特攻を見送った中将としての心境に近付けると思い・・・と書きましたが、批判文を読み進めるうちに、私と同じ思いの反論文を見つけましたので今回はこちをご覧下さい。手抜きして申し訳ありません。
vol.2から頑張ります。
【宇垣中将の心境ですが、そもそも、この戦争に反対の立場であり、自分の本心(開戦反対)と軍人としての(あくまで勝利を目指す)矛盾を最終的に解決してくれるであろう、死を迎える事で安著の心境に達した、って感じではないでしょうか。
特攻隊の後を追う事が出来る、と言うのもあったでしょう。特攻に対しては批判的であったので尚更、先に亡くなった特攻隊員に対して責任を感じていたでしょうしね。
また、戦死した山本五十六大将との関係で、開戦当初からしばらくは山本五十六大将に無視されていた様な感じでしたが、宇垣中将は一貫して忠実に補佐しており、山本大将の方はともかく、宇垣中将は山本大将を尊敬し好意的な感情を持って居た様で、その山本大将の戦死に責任を痛感していて、特攻隊の後を追うのと同時に山本大将の元に挨拶に行ける、と言う感情もあったと思います。
それともう一点、宇垣中将は家庭人として愛妻家であり、昭和15年頃に最愛の知子夫人を亡くし、その後も日記にしばしば夫人に対する愛惜が記載されています。いよいよ特攻隊の後を追うに当たって、山本大将同様、最愛の妻の元に行ける、と言う事で自然と微笑みが浮かんだのではないでしょうか。
補足
別の方が宇垣を「非情」とおっしゃってますが、この第五航空艦隊の指揮権が特攻を前提としたもので、それは軍令部からの命令です。ですから、特攻艦隊の司令長官としては、誰であろうと特攻の前提を崩す様な発言・進言を許すことは特攻の是非とは別に容れられるものではありません。皆が「自分に自信があるから」と言い出しかねない。そんな事になれば、指揮系統が崩壊してしまいます。経緯が記録されていると言う事は多勢の中での話しでしょうから、大勢の人間が聞いている場所で、それを許せる訳ないでしょ。それを「非情」と言うのはいかがなものかと。
あくまで特攻や最後の出撃の是非とは別です。】
如何でしょうか私も【最後の方】の意見に近く、賛同します。失礼ながら更に補足すれば、
現在では靖国神社に合祀されております。
2機は米軍キャンプの直前で体当たりを回避して自爆し6機は、米艦にまさに突入する直前に、やはり突撃を回避して自爆。残る6機は、沖縄にたどり着く前にエンジン不調で、不時着しています。自爆した8機には、18名が搭乗。全員が散華されております。
山本五十六大将が撃墜された日、別の機に搭乗し宇垣も怪我を負っています。(海軍甲事件)
手に持った単刀がこの時形見にもらったものです。
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