天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

南京

2015-05-01 13:52:48 | 歴史

日本の横浜と神戸の中華街はどちらも当初南京町とよばれていました。

神戸南京町の誕生は、明治元年の神戸港開港からといわれて当時の清国は日本と条約非締結国であったため、

外国人居留地に住むことが出来ず、その西側に隣接する現在の「南京町」のあたりに居を構え、雑貨商、豚肉商、飲食店などを始めたことから、

中国人が多く住む町として「南京町(なんきんまち・なんきんちょう)」「南京街(なんきんがい)」と呼ばれるようになったのです。

昭和初期には「南京町に行けば何でもある」と評判になり、「関西の台所」として大いなる繁栄をみせました。

しかし、昭和20年の神戸大空襲で元町一帯は全焼。戦後はバラックが立ち並ぶ闇市となり、やがて外国人バーが林立する裏通りに変貌してしまいました。

昭和50年代になり、南京町一帯が神戸市の区画整理事業の対象となったことから、
商店主たちが「南京町を復活させよう」と南京町商店街振興組合を設立。

かつての繁栄を取り戻すために中華街としての町づくりをスタートさせました。

名称を「南京町(なんきんまち)」に統一し、ハード、ソフト両面にわたって整備を重ね、今の「南京町」を作り上げたのです。

もし南京市民を虐殺していたならば、日本でこの町名がいまだに残っているはずがないのです。



ここで東史郎裁判を紹介します。

東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、 日本の軍人(召集兵)。
1937年に召集された後、陸軍第16師団に所属し、南京攻略戦などに参加した。京都府出身。戦後は町会議員などを務める。

東日記は日本軍の残虐性が見て取れる南京大虐殺の重要資料とされている。


東史郎裁判を紹介した中国寄り、つまり東寄り
の方の文を引用します。

《中国では広く知られている東史郎南京事件裁判ですが、日本では知る人は少ないようです。
東裁判とは、 1987年に出版された東史郎の従軍日記中の南京占領下の上官の残虐事件
(中国人を袋に入れ、ガソリンをかけて燃やし、 袋の紐に手榴弾を結び付け沼に放り込み手榴弾を爆発させた)の記述に対し、
その上官が東さんを名誉毀損を理由に提訴した裁判です。東京高裁は、この記述を虚偽と判断した。

かつて、文芸春秋社が「ナチ『ガス室』はなかった」という精神科医、 西岡昌紀氏の文章をその発行雑誌「マルコポーロ」の95年2月号に掲載して、 アメリカのユダヤ人団体の抗議を受け、ついには、 その雑誌の廃刊にまで追い込まれた事実がある。

ユダヤ人たちに対して、歴史改竄主義者たちが、「600万人の虐殺などなかった」、 「アウシュビッツのガス室は存在しなかった。ホロコーストもなかった」、 「ナチスによるジェノサイド神話はイスラエルによる政治宣伝にすぎない」 などというとき、 ユダヤ人たちが烈火のようになって怒るのを日本人は知っているであろうか。》

彼ら東史郎寄りの〈虐殺あった〉側の主張は被害者証言を裁判で恫喝する事が真実を闇に葬ることになり、歴史修正は許されない。
形は個人の名誉毀損裁判であるが、本当の目的は、南京大虐殺の歴史の事実を隠すためである。

となるだろうか、ここでまず注意が必要なのですが本当の被害者は亡くなっている、と言うことと、東日記にはそれを証明する証拠が無いのです。

今、この南京大虐殺は本多勝一の創り出した虚構であることが常識化していますが、この東史郎裁判は〈南京大虐殺マボロシ派〉とまで揶揄された一人の弁護士と上官本人が起こしています。



高池勝彦弁護士です。
高池氏は下記の裁判を担当しています。

・夏淑琴ニセモノ裁判   <高池勝彦>側の敗訴
・南京百人斬り競争裁判  <高池勝彦>側の敗訴

・沖縄戦集団自決裁判(大江健三郎と岩波書店との名誉毀損)
 地裁、高裁 <高池勝彦>側の敗訴 

東史郎裁判は勝訴したものの他の裁判は敗訴しています。

どのくらい困難な裁判かと例を挙げれば

20年前に痴漢の冤罪で犯人とされた者と告発した女性、その両者の死後犯人の無実を証明しなければならない位困難であるのです。

更にその困難に輪を掛けているのが上記のナチスのホロコーストになぞらえて本家が覆らない限り南京の呪縛は覆せないかの様にカモフラージュしているのです。

ドイツはヒトラーと取巻きだけに罪を被せ国民は被害者となることで一件落着でしょうが、

戦争責任を国全体でとった我が日本だけがホロコーストの呪縛を一手に背負うことになっているのです。

歴史認識で中韓に攻め寄られても胸を張って否定出来る子供を育てなければ日本の未来は無いでしょう。

そのヒントとなるものが冒頭述べた日本の南京町にあるような気がしてなりません。




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