天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

12/13南京大虐殺追悼式典

2017-12-08 17:21:06 | 時事
ネットで南京大虐殺追悼式典なるものを発見した。勿論日本語に訳されているので、日本人が書いたか、訳されてアップされたものだ。

検索しなければ知り得なかったこの追悼式典は80周年を記念して開催されるであろう。

式典自体ではない、事件と称される日からであるつまり、1937年の12月13日の南京陥落の日である。

以下に二つの追悼式典に関する記事を貼ったが2014年と2015年のものであることがわかるばかりか、それぞれ第一回の二回の式典に関する記事であった。

今まで何をしていたのかと、明らかに後手後手の追悼式典である。








12月13日は南京大虐殺の犠牲者を悼む初の国家追悼日だ。同日午前10時には、南京の中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館で国家追悼式典が行われた。式典には中国共産党中央委員会総書記、国家主席、中央軍事委員会主席の習近平氏が出席して、重要スピーチを行った。主な内容は次の通り。人民網が伝えた。

本日、私たちはこの場所で南京大虐殺の犠牲者を悼む国家追悼式典を行い、無辜の犠牲者を追悼し、中国侵略日本軍に殺戮されたすべての同胞を追悼し、中国国民の抗日戦争の勝利に命がけで貢献した革命の烈士たちと民族の英雄たちを追悼し、中国国民の平和発展の道を歩もうとする揺らぐことのない崇高な願いを表明し、中国国民の歴史を胸に刻み、過去を忘れず、平和を大切にし、未来を切り開くという揺るぎない立場を宣言する。

歴史は時代の変遷によって改変されるものではなく、事実は巧言やごまかしで消滅するものでもない。南京大虐殺という悲惨な出来事には確実な証拠が山のようにあり、改ざんすることはできない。南京大虐殺という悲惨な事実を認めない人があるなら、それがどのような人であれ歴史に否定され、30万人に及ぶ無辜の犠牲者達の魂に否定され、13億の中国国民に否定され、世界中の平和と正義を愛する人々に否定されることになる。

歴史がわれわれに教えてくれるのは、平和は勝ち取るべきものであるということ、平和は守るべきものであるということだ。人々が平和を大切にし、平和を守ろうとする時にだけ、人々が戦争の痛ましい教訓を読みとろうとする時にだけ、平和の実現に向けて希望を抱くことが可能になる。

われわれが南京大虐殺の犠牲者のために国家追悼式を行うことは、善良なすべての人々に平和を願い、平和を守る気持ちをもってほしいからであり、過去の恨みを引き延ばすためではない。中日両国国民は子々孫々に至るまで友好関係を保ち、歴史を鏡とし、未来志向で、人類の平和のためにともに貢献していかなくてはならない。(編集KS)

「人民網日本語版」2014年12月13日





2015年

南京大虐殺犠牲者国家追悼式、際立った「平和」の要素


若者の代表が「平和宣言」を読み上げ、市民代表が平和の鐘を鳴らし、平和の鳩を解き放った――。13日午前に行われた南京大虐殺犠牲者国家国家追悼式は「平和」の要素が様々な場面で見られ、南京大虐殺の犠牲者を悼む中国人の思いを表すとともに、平和な暮らしに対する切なる願いを示すものともなった。

13日は、南京大虐殺の犠牲者の78周年の記念日であり、2回目の南京大虐殺犠牲者国家追悼日となった。中国侵略日本軍南京大虐殺犠牲同胞記念館の前には午前8時頃、国家追悼式に参加する各界の代表が早くも集まっていた。冷たい風の吹く中、人々は厳かな表情で国家追悼式の開始を静かに待っていた。

昨年の第一回の国家追悼式とは異なり、今年は開始前、犠牲者の追悼のために設置された鼎に刻まれた160文字の銘文を読み上げる映像が流された。侵略の罪を告発し、死者への痛切な悼みが示されると同時に、「前事を明らかにし、後人の戒めとする。永遠に忘れず、平和を祈願する。中華の夢をかなえ、民族を復興する」で終わる銘文は、中国が国家追悼式を行うのは平和を願うためだということを再び示すものとなった。

78人の若者代表による「平和宣言」の読み上げは、今回の国家追悼式の重要な活動の一つとなった。会場の人々は、感情のこもった若者らの朗読の声に感動を誘われた。南京市第一中学の郭寧さんは、「先輩方が負った傷を思うと胸がしめつけられるが、私たちは恨みを重ねていてはならない。平和を願ってこそ、悲惨な歴史の再演を防ぐことができる」

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それでは「お口直し」にアパホテルのホームページの客室設置の書籍に関するページを呼んでいただきたい。


アパホテル

客室設置の書籍について


弊社ホテル客室に設置している『本当の日本の歴史 理論近現代史』等について、南京大虐殺を否定するものだとして批判的に取り上げる動画がインターネット上にアップされたことをきっかけに、昨日からご意見やお問い合わせをいただいていますので、ここで弊社の見解を述べさせていただきます。

 ご指摘のあった書籍は、本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日本語の他に、英語訳も付いています。

 本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。 

『本当の日本の歴史 理論近現代史学』P6
二、南京三十万人大虐殺

 中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。
 そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発して、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。
 一九三七年七月七日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留していた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になった(盧溝橋事件)。この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇(りゅうしょうき)が指示したものであることを、彼自身が告白している。事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。
 しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。
 上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。



理論 近現代史学

数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史が、理論近現代史である

「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々

1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』は唯の一人分も無い。」(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。平成十九年十二月二十日付産経新聞)。この一点だけ捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な作り話であるかは既に立証された様なものである。(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば、「三十万人」という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。)

2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「三十万人」ということになっているが、日本軍が南京を制圧した昭和十二年十二月十三日当時、南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかったという記録があり、併せて、約一カ月後、昭和十三年一月十四日の時点では、人口が五万人以上増えて、約二十五万人~三十万人になっていたという「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著『南京事件の総括』二十九頁)。

3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無かったという。何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。

4.「南京大虐殺記念館」等に展示されている写真は、全て合成写真または、「通州事件」等、中国人が日本人を虐殺した写真を始めとする、全く別の写真であることが、東中野修道教授(亜細亜大学)によって証明されている。もしも、南京大虐殺なる事が真実であるならば、その証拠写真が一枚も無いはずがない(東中野修道・小林進・福永慎次郎共著『南京事件「証拠写真」を検証する』草思社)。 (所謂)「南京大虐殺なること」が有ったと問答無用で決めつけたのは、「極東国際軍事裁判」、(所謂)「東京裁判」の中である。それでは同裁判の内容は一体如何なるものであったのか?  東京裁判を傍聴した冨士信夫氏は、『南京大虐殺はこうしてつくられた』(展転社)の中で、「南京大虐殺」なることが全くの虚構であることを裁判記録として記している。

5.朝日新聞は昭和十二年十二月二十日の朝刊半頁を費やして、『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載している。この風景こそ虐殺否定の何よりの証拠と言えよう(『南京大虐殺の総括』三十二頁)。

6.「南京に大虐殺が有ったと言う様な記録は、中国側の第一級公式資料である何應欽上将の軍事報告の中にさえ、その片鱗も見出せない。」(『南京事件の総括』八十二頁)。

7.「当時、朝日、東日、読売、日経、など全国紙の各支局を始め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣していた。これらのプレスマンが異口同音に言うことは、『東京裁判で、南京でのあの様な事件が有ったと聞いて驚いた。』」(同百十一頁)。

8.「中国国民党が、作り話を含めて、日本軍の不法行為を糾弾する為に、一九三八年七月七日、国民党の中央宣伝部が「印刷」した蒋介石の『国民に告ぐる書』のどこを探しても、そこには『南京大虐殺』の文字は見当たらない」(同二百九十六頁)。

その他、多々ある。



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