東京帝国大学教授で戦後、最高裁判所長官を務めた横田喜三郎は昭和6年10月5日付けの「帝国大学新聞」に於いて当時の日本軍に対する批判を掲載しています。
また戦後の昭和24年の著書『天皇制』においては、積極的な天皇制否定論を提唱しました。
横田氏は晩年、政府高官に就任すると、過去の天皇制否定論を自身の地位の都合の悪いものとして隠蔽するようになり、東京中の古本屋を回って著書『天皇制』を買い集め、かつての天皇否定論の痕跡を消そうとしました。
小室直樹・渡部昇一共著『自ら国を潰すのか』(徳間書店)に於いて
「日本の国際法研究から戦争研究を追放したこと」
「東京裁判を法理論的に承認したこと」について小室は横田を厳しく論難し、
両氏は対談で「横田喜三郎、これほど犯罪的という形容が相応しい学者は他にいない」
として横田を厳しく批判しています。
横田氏の軍に対する批判は当時としては全くの異端、反体制側の軍部に対する批判なのですが、横田教授の宅には「国賊」「売国奴」「不遥国賊、覚悟しろ」などの脅迫状や非難の手紙、ハガキが多数舞い込んだ時代であり、いかに新聞や国民が戦争遂行に軸足を置いていたかが理解できると思います。
当然の事ながら敗戦によって天地がひっくり返った訳ですし、ある種革命的とも言えるのですから国賊は一転して英雄となるのです。戦後日本に多大な影響を与えたことは東京裁判の翻訳者としての顔と近現代史の解釈として左派に作用した顔で強く影響を与えたのです。
では横田氏の東京帝国大学新聞と満州事変と国際連盟の論文とそれに対する右翼の反論を抜粋しましたのでご覧下さい。
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帝国大学新聞
「軍部は最初から全く自衛のため止むを得ない行為であると主張した。しかし、厳正に公平に見て果して軍部一切の行動が自衛権として説明され得るであろうか。鉄道の爆破が事実であるとして、破壊しつつある軍隊に反撃を加えることは確かに自衛権の行使であろう。あるいは、その軍隊を追撃して北大営を占領したことも自衛権だといえばいえぬこともなかろう。しかし、北大営に対する攻撃とほとんど同時に秦天城内に対して攻撃を開始したことまで、自衛にために止むを得なかったといい得るであろうか。まして、鉄道の爆破に基く衝突(十八日午後十時半)から、僅(わず)かに六時間内外のうちに、四百キロも北方の寛城子を占領し(十九日午前四時四十分)、二百キロも南方の営口を占領した(同五時)ことまで果たして自衛のために止むを得ない行為であったといい得るであろうか。」
(日本の戦争はなんだったか 吉岡吉典 20頁)
満州事変と国際連盟という論文では
「わずか数メートルの鉄道が破壊されたと伝えられる事件をきっかけとして、ほとんど南満州の
要地が日本の軍隊によって占領され、さらに軍部の独断で、朝鮮から国境をこえて出兵するというまでに事件が拡大した。
軍部は、最初から、まったく自衛のためやむを得ない行為であると主張した。しかし、厳正に公平に見て、はたして軍部のいっさいの行動が自衛権として説明されうるであろうか。鉄道破壊に基づく衝突から、僅に六時間内外のうちに、四百キロも北方を占領し、二百キロも南の営口を占領したことまで、はたして自衛のために止むを得ない行為であったといいうるであろうか。しかも、これらの占領は、ほとんど抵抗なくして行われたことを注意しなければならぬ。……
最初の衝突や北大宮の占領は自衛行為であるとしても、その後の行動までがすべて自衛権によって是認され得るかいなか、十分間題になり得る」
右翼の反論
こうした横田教授の批判に対して、右翼団体から激しい非難、攻撃が加えられました。「世論に脅えて逃走した帝大の売国教授、毒筆の主、横田喜三郎上満へ、 当局糾弾の声喧し」
「売国言論を引用、支那猛烈に逆宣伝、学府に巣食ふ国賊を葬れ、と憂国の士、極度に憤慨」の大見出しを新聞につけ、横田教授を非難しました。
「国内における紛争は一切水に流して、挙国一致を以て此の空前の大困難に当らねばならぬのであるにも拘わらず、国立帝大教授ともあろう公人が浅薄なる根拠と、明らかに不達の意図に立ってわが皇軍の行動へ奇怪なる云為を及ぼす事は許し難い反逆の大罪である」
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かつてはマルクス主義の読書会(ベルリン社会科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者として知られた横田氏は東京裁判の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与え、「国際法の革命」と論文で述べています。
レーニンの主張した革命的祖国敗北主義は、
戦争への協力を拒否し、その混乱や弱体化に乗じて革命で政権を掌握させるべきとしました。具体的には、反戦運動で厭戦を高揚させることで自国の戦争遂行を妨害したりるすることです。
これは戦争犯罪である戦時反逆となるどころか、国家権力に「共産主義者=売国奴、敵国のスパイ」という格好の攻撃材料を提供することになるのです。
ですからこの右翼の批判、横田氏の思想を攻撃する事は今考えても売国奴に対する批判と同一のものであり、日本の戦後はこの右翼思想が抑え込められ横田氏の弟子達によって明治政府からの日本軍は完全否定され、まさしく敗戦が革命となり、まるで戦勝国の手先のように歴史学、憲法学に色濃く影響し君臨するのです。
それは〈戦争は犯罪では無いが、負ける戦争は犯罪となる〉のように時に矛盾し、時に日本にとって一方的な大罪であったかのように、自虐的戦争観、自虐史観として占領軍がチョコレートを配るかのように日本人の心に深く定着していったのです。
彼の主張にもあるパリ不戦条約違反からの日本軍の貶めは言わば内部告発のようなものであり、
ザル法に近いこの条約には侵略の定義さえ定まっていないばかりか、現にこの条約を利用して米国は最初の一発を日本に撃たせて太平洋戦争に突入したのです。
彼のような東大インテリは独善的で権力に阿る傾向があり、言うなれば自虐史観の祖というのが相応しいでしょう。
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