佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

かゆいところに手が届くと

2008年04月24日 23時34分19秒 | 健康・病気
 
 真っ赤になります。
 
 
 私の身体の調子のバロメーターなのですが、
調子が悪いと、身体が非常にかゆくなります。
調子が悪いというのは、主に偏った食事から来ます。
野菜をあまり採らなかったり、
カロリーの高いものばかりを飲み食いすると起こります。
そう、だから、私が甘党というのは、
身体には非常にリスキーなんです(苦笑)。
 
 
 忙しくなるとこういう食生活に陥ります。
例えば、昼食をずっとパンにしたりとか。
夕食でも野菜を採らないとか。
炭酸飲んだりとか。
ケーキ食べたりとか。
事実、この日記「書き」ながら
身体も「掻いて」います(笑)。
かゆい~っ!!
 
 
 で、僕は皮膚が弱いんですね。
昔からすぐミミズ腫れになりました。
だから掻いただけ真っ赤になります。
今日も午前中一時的にやたらかゆくなりました。
で、一度掻き始めると止まりません。
で、落ち着くんですけど、
しばらくするとまたかゆくなる。
これはその時の食事によるんでしょうね。
 
 
 母親の体質ですね、これは。
とにかく、はっきり出ます、身体に。
海外に行った時が本当に大変でした。
日程の真ん中を折り返す時から
身体のかゆみが止まりませんでした。
掻いただけ腫れるし大変でした。
原因は飛行機やレストランの食事です。
飲み物がジュースばかりになったり、
チーズとか乳製品、あと油ものですね。
海外の食事というのは、自然とそれが増えて、
直ぐに身体に表れます。
そう言う意味では、昔からの日本食というのは、
日本人に(というか僕に)本当に合っているのだと思います。
そういう食事だけ採っていれば良いんですが、
いかんせん、僕は甘党です(笑)。
ケーキとパンは高カロリーの典型ですからね。。。
好きなものに限って、、、ということです。
 
 
 経験上、
飲み物を変えるだけでも違うと思います。
水やお茶ですね、良いのは。
でもこれから飲みたくなるんですよね(笑)。
お酒を飲まなくても、炭酸とか甘い飲み物が。。。
うーん、まだかゆい。。。(涙)
 


ゆず

2008年04月23日 23時55分49秒 | ポピュラー
 
 大きくなりましたね。。。
 
 
  
 「SONGS」泣けました。
二人だけの「栄光の架橋」良かった~。
あ、一応ファンです(笑)。
アルバム今日取りに行きましたが。。。
 
 
 僕がファンになったのは「アゲイン2」の頃からですが、
近しい人にファンがいて、
色々と話や曲を聞いたり、
僕自身前のCDを買ったりしております。
 
 
 路上を飛び出して、
2人だけの音→多数のバックを抱えることになり、
下手をすれば前のファンから見放され、
変わりすぎてしまえば、新しいファンの取り込みも
出来なくなるところ、
ゆずは、すごく良い形に変わっていったと思います。
それは、ゆずという本質を見失わなかったからだと、
今日見ていて思いました。
2人だけでも、オケを従えても、
ゆずはそれを取り込めるだけのスケールを有してました。
でも、ゆずの世界は変わっていない。
ここに至るまでいろいろあって、
それは「トビラ」などをはじめとして、
オリジナルアルバムに刻まれてきていますが、
うーん、本質を見失わないように、それがどこにあるか、
常に探していたからだと思います。
 
 
 ゆずトークでした。
 


ファンの勝手な願い

2008年04月23日 22時49分55秒 | スポーツ
 
 中村俊輔、横浜Mフッキか、否、復帰か。
 
 
 
 多くのサッカーファンは、
スペインへ行って、
もう一花咲かせてから帰ってきてほしい、
そう思っているでしょう。
勝手な願いですけど(笑)。
 
 
 今、スペインはWOWOW、
プレミアはNHKBS、
チャンピオンズリーグもスカパーで見れましたっけ?
贅沢な時代ですね。
うーん、どこへ行く、俊輔。
 


週末

2008年04月22日 00時00分39秒 | 日記・エッセイ・コラム
 
 いろいろあって動けませんでした。
本当に残念、、、すみません。
 
 
 今日月曜日は、
久しぶりに整体に行ってきました。
クイック30分。
肩凝ってました。非常に凝ってました。
ちょっとまずいですね。。。
 
 
 その後、亀田のラーメン屋へ。
昔「威風堂」という名前で、同じ系列らしいのですが、
「だるまや亀田店」としてリニューアルオープン。
で、割引券もあって行ったんです。
 
 
 僕ね、ここの「威風堂」時代の
”赤”のラーメンが好きだったんです。
”赤”と”白”があって、赤というのは豚骨醤油で、
見た目に黒っぽいラーメンだったんです。
これが癖になる味で。
でも、だるまや亀田店になって
それが無くなっていました。。。残念。
今日はだるまラーメンと半チャーハン。
魚介ベースの豚骨ダシ?でしょうかね。
でも非常に軽かったです。あっさりというか。
うーん。。。今後どうしようか。。。
味噌は食べてないから今度また行こうか。。。
 
 
 グルメ情報お待ちしております。
 


ブノワ考~長岡市民合唱団の演奏会に寄せて~

2008年04月19日 01時21分49秒 | 合唱
 
 勝手に寄稿(笑)。
 
 
 日曜日に長岡市民合唱団が
ベルギーの作曲家ブノワの日本初演を行うことに関連し、
金曜日夜、長岡市立中央図書館にて、
ベルギー王立アントワープ音楽院図書館長で、
ロマン派音楽の研究者であるヤン・デウィルデ氏を
ベルギーよりはるばる迎えてのレクチャーが開催されました。
tek310、使わない道を使って15分遅刻しましたが、
参加してきました。
 
 
 内容はデヴィルデ氏が英語で話し、
それを団員が通訳し、画像と音源を使ってのレクチャーでした。
 
 
 終わった後に団長さんと話した時、
「ちょっと専門的だったかな」というようなことを話してましたが、
個人的には全然そんなことはなく、
非常に得るものが多かったです。
 
 
 ブノワ(1834~1901)はベルギーの作曲家で、
良く知られた作曲家ではありませんが、
ベルギーではかなり著名な作曲家とのことです。
成功を目指してパリへ進んだが失敗し、
ベルギーで成功。王立アントワープ音楽院の院長にもなり、
ベルギーにとって重要な作曲家として生涯を終えたそうです。
 
 
 で、今日のレクチャーで
いろいろ納得できたことがあったんですね。
僕が前読んだ文献と重なることがあったからです。
浅い知識で少しだけ書きます。 
 
 
 世ではちょうど民族主義的、
ナショナリズムが前面に出た作風の作曲家が
受け入れられていたんですね。
それはその当時の社会背景もあったと思います。
戦争の続く中、自国民のアイデンティティを保つためという。
で、ブノワもそういう流れの中にいたんですね。
 
 
 かたやこの当時、一般庶民は中産階級が誕生し、
ゆとりのある人が増えたそうなんです。
で、文化的なことに参加する人が増え、
この当時、アマチュアの合唱団というのが増えたそうです。
で、そういう人たちが歌う作品が求められたという
社会背景もありました。
で、どういう作品が増えたかというと、オラトリオでした。
合唱にはまず多くの場合テキストが必要、
で、ブノワも書いたとおり、
その題材にはその国の英雄や伝説の類いが用いられ、
土地に根ざした民謡の類いが取り入れられ、
作風はアマチュアのレベルに合わせた作品、
極論すれば、分かりやすい反面迎合的だった。
そして、そういう作品を歌うことで、
そして合唱という形態も手伝って、
自然と集団主義的、国威発揚的な意識の醸成に
合唱作品が力を貸した、というものです。
 
 
 ちょっとおぼろげな知識ですみません。
訂正があったらコメントください。
 
 
 で、ブノワも国に帰ってからそういう作品が増えたそうです。
で、その音源の一部を聞きましたが、
非常に分かりやすい作風で、合唱もユニゾンを多用したり、
オーケストレーションも非常に分かりやすく聞こえました。
逆に言えば、その当時そういう作品が求められた反面、
消費される音楽になってしまった側面があったのだと思います。
この当時たくさん書かれたのに、
有名な優れた作品が残ってないのはそのためだと思います。
 
 
 で、ブノワもそういう流れの中にいた、
それは否定できない事実だと思います。
今の時代に残りきれなかった事実は。
ただ、それは音楽的に劣っているということではないと思います。
ベルギーという国の、その当時のヨーロッパの
そういう時代の流れに飲み込まれてしまった
作曲家の一人、と言えるのではと。
 
 
 事実、こういった作曲家、ブノワに光を当てるという行為で、
僕の中でのこの当時の音楽に対する見方が広がり、
また固まりました。
これだけでも、あまり光の当たらない作品を取り上げるという
長岡市民合唱団のコンセプトが成功していると思います。
当日はこのデヴィルデ氏によるプレトークもあります。
東京からプロオケも呼び、
長岡市民合唱団の力の入れようが分かりますね。
 
 
 国内初演。
楽譜を現地から取り寄せ、
副指揮者の小澤先生が合唱練習用の楽譜を
そのスコアからおこしたそうです。
演奏される「盛儀のミサ」は、
ブノワのナショナリズム的傾向がまだ弱い
26歳という若い時期に書かれた大作で、
またその編成など、オリジナリティーある意欲作です。
ぜひ足を運んでみては?
 
 
 ブノワ考なんて偉そうにすみません。。。
レクチャーを聴いて感じたことを
告知と合わせて紹介しました。