勝手に寄稿(笑)。
日曜日に長岡市民合唱団が
ベルギーの作曲家ブノワの日本初演を行うことに関連し、
金曜日夜、長岡市立中央図書館にて、
ベルギー王立アントワープ音楽院図書館長で、
ロマン派音楽の研究者であるヤン・デウィルデ氏を
ベルギーよりはるばる迎えてのレクチャーが開催されました。
tek310、使わない道を使って15分遅刻しましたが、
参加してきました。
内容はデヴィルデ氏が英語で話し、
それを団員が通訳し、画像と音源を使ってのレクチャーでした。
終わった後に団長さんと話した時、
「ちょっと専門的だったかな」というようなことを話してましたが、
個人的には全然そんなことはなく、
非常に得るものが多かったです。
ブノワ(1834~1901)はベルギーの作曲家で、
良く知られた作曲家ではありませんが、
ベルギーではかなり著名な作曲家とのことです。
成功を目指してパリへ進んだが失敗し、
ベルギーで成功。王立アントワープ音楽院の院長にもなり、
ベルギーにとって重要な作曲家として生涯を終えたそうです。
で、今日のレクチャーで
いろいろ納得できたことがあったんですね。
僕が前読んだ文献と重なることがあったからです。
浅い知識で少しだけ書きます。
世ではちょうど民族主義的、
ナショナリズムが前面に出た作風の作曲家が
受け入れられていたんですね。
それはその当時の社会背景もあったと思います。
戦争の続く中、自国民のアイデンティティを保つためという。
で、ブノワもそういう流れの中にいたんですね。
かたやこの当時、一般庶民は中産階級が誕生し、
ゆとりのある人が増えたそうなんです。
で、文化的なことに参加する人が増え、
この当時、アマチュアの合唱団というのが増えたそうです。
で、そういう人たちが歌う作品が求められたという
社会背景もありました。
で、どういう作品が増えたかというと、オラトリオでした。
合唱にはまず多くの場合テキストが必要、
で、ブノワも書いたとおり、
その題材にはその国の英雄や伝説の類いが用いられ、
土地に根ざした民謡の類いが取り入れられ、
作風はアマチュアのレベルに合わせた作品、
極論すれば、分かりやすい反面迎合的だった。
そして、そういう作品を歌うことで、
そして合唱という形態も手伝って、
自然と集団主義的、国威発揚的な意識の醸成に
合唱作品が力を貸した、というものです。
ちょっとおぼろげな知識ですみません。
訂正があったらコメントください。
で、ブノワも国に帰ってからそういう作品が増えたそうです。
で、その音源の一部を聞きましたが、
非常に分かりやすい作風で、合唱もユニゾンを多用したり、
オーケストレーションも非常に分かりやすく聞こえました。
逆に言えば、その当時そういう作品が求められた反面、
消費される音楽になってしまった側面があったのだと思います。
この当時たくさん書かれたのに、
有名な優れた作品が残ってないのはそのためだと思います。
で、ブノワもそういう流れの中にいた、
それは否定できない事実だと思います。
今の時代に残りきれなかった事実は。
ただ、それは音楽的に劣っているということではないと思います。
ベルギーという国の、その当時のヨーロッパの
そういう時代の流れに飲み込まれてしまった
作曲家の一人、と言えるのではと。
事実、こういった作曲家、ブノワに光を当てるという行為で、
僕の中でのこの当時の音楽に対する見方が広がり、
また固まりました。
これだけでも、あまり光の当たらない作品を取り上げるという
長岡市民合唱団のコンセプトが成功していると思います。
当日はこのデヴィルデ氏によるプレトークもあります。
東京からプロオケも呼び、
長岡市民合唱団の力の入れようが分かりますね。
国内初演。
楽譜を現地から取り寄せ、
副指揮者の小澤先生が合唱練習用の楽譜を
そのスコアからおこしたそうです。
演奏される「盛儀のミサ」は、
ブノワのナショナリズム的傾向がまだ弱い
26歳という若い時期に書かれた大作で、
またその編成など、オリジナリティーある意欲作です。
ぜひ足を運んでみては?
ブノワ考なんて偉そうにすみません。。。
レクチャーを聴いて感じたことを
告知と合わせて紹介しました。