佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

合唱団LINCクリスマスコンサート(その1)

2007年12月11日 22時45分15秒 | 合唱

 

 今回、男声合唱に取り組みました。

千原英喜先生の「どちりなきりしたん」の男声版初演です。

 

 

 男声合唱は、少ししか経験がありませんでした。

実際、非常に難しいという印象でした。

当たり前のことなんですが、

各パートの音と音の間が狭いんですね。

だから、よほど注意しないとハモらない気がしました。

今回、バリトンだったんですが、

混声でのバスパートとはまったく別の作業という印象です。

つまり、混声の時は最低音部として、

高めにピッチを取って支える印象が、

男声でのバリトンは内声。

バスの上に3度でハモらせるという部分が多い、

つまり、ピッチを低めにとる印象なんですよね。

これを頭ではなく、身体で感じるのに時間がかかりました。

 

 

 でも、この「どちりなきりしたん」、

非常に素敵な作品だと思いました。

混声でも演奏してみたいです。

何故かと考えたところ、

一つ思ったことがありました。

 

 

 僕が敬愛する柴田南雄と共通項があった。

 

 

 ということです。

 どちりなきりしたんとは、

「どちりな」が”教義”の意(ドクトリンとか言いますよね)、

つまり、キリスト教の教義といった感じです。

それも、隠れキリシタンを題材としたもので、

千原先生は、色々な場所からテキストを採用しています。

このテキストの選定が、柴田南雄に共通する感じがあります。

柴田作品は、民俗芸能をそのまま取り込んでいることが

クローズアップされますが、

それと同じくらい重要なのが、柴田氏がテキストを選んで

付曲している部分です。

で、それは色々なところから探してくるのですが、

それをほぼ必ず、「日本語に訳した」ものに付曲します。

そのセレクトにおける、大きな世界観という視点、

例えば、柴田作品「宇宙について」では、

 

 はじめに宇宙は水であった 水と波だけがあった

 

 という歌詞ではじまります。ものの始まり、

世界観というか宇宙観ですね。

今回のどちりなでは、

 

 ありとせあらゆるもの いろかたちの備われるは

 それはじめなくて叶わず

 

 と始まります。キリスト教におけるものの始まり、

世界観の呈示ですね。

で、付曲の仕方も近いです。

語り口、というのが良いと思いますが、

1シラブルに1音ずつ付曲して、語る感じ。

しかも、テキストに非常に即した音楽様式を用いる点、

この辺も共通する部分があると思います。

だから、語るように歌う部分が、

楽しくて仕方ありませんでした。

個人的なツボに入るんですよね。

コンサート後の月曜火曜とも、

どちりなの歌詞が頭を巡っていました(笑)。

 

 

 作曲者の指導を受けられたのも貴重でした。

柴田作品と違う部分があるとすれば、

柴田作品の良くも悪くも頭でっかちなところに対し、

千原先生はもっとパッションを大事にされる感じがしました。

今回は現代的な教会のデザインも有り、

音に対してそういうものを求められていました。

場も含めて、非常に重要で貴重な初演になったと思います。

 

 

 明日、撮った写真(2枚だけ)をアップします。