佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

法事考~思ったことをいくつか~

2007年10月06日 17時09分54秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 法事で、昨日より実家に帰省しております。

 

 

 実家のPC状況が劇的に変化しました。

ADSLになり、パソコンも新しくなりましたので、

今日は実家から更新中です。 

 

 

 いろいろ思うことの多い最近ですが、

思うまま書いてみたいと思います。

 

 

・お経

 

 お寺さんの読経を聞いていたのですが、

職業病というか、節回しに耳がいってしまいます。

我々にも一緒に読んでくださいと、

お経の書いてある小さい冊子を配ってくれました。

それを見ると、漢字の横に、「上」とか「下」とか、

グレゴリオ聖歌のように、棒の長さで節回しを示していたり、

なかなか興味深く読んでいました。

読経をモチーフにした合唱作品も結構ありますしね。

 

 

・家とは、長男とは、墓とは

 

 もう30歳を過ぎると、

いろいろ考えることもあります。

 僕は地縁のつながりとか、そういうのが好きじゃなくて、

家の誰にも言わず就職先を決めました。

まあ、今と違って就職難で、

選べるような状況にはなかったのですが、

上越地区はまったく考えていなかったんですね。

 

 

 しかし、年をとると、いろいろ考え方も変わります。

今日は祖父の17回忌の法事でしたが、

だんだん年をとって、世代が変わっていきます。

つまり、親戚付き合いが変わっていくんですよね。

自分の親の親戚が中心になり、

いずれ、自分自身の親戚が中心になるわけです。

で、祖父の代などの親戚とは自然に離れたりしていきます。

 

 

 で、ここで、一般的には、

長男が墓を守り、家を継ぎ、みたいなことになるわけです。

実際、自分の就職先は実家より田舎なので、

そういう人がたくさんいます。

僕自身、上越に移り住むことはまずないでしょうが、

お墓を守ったりすること、考えています。

入れる墓があること、

帰る家があること、

こういったことの幸せというかありがたみの様なものを

感じていました。

 

 

 上記の話で言えば、

僕が結婚しない、できないと、

僕の世代の親戚が増えないんですよね。

無くなっていく付き合いがある一方、

通常は、新しい付き合いが増えていきます。

昔は、こういったことにまったく頓着せず、

生きたいように生きる、なんて思っていましたが、

歳を重ねると、こういった、いわゆる世間で言う

当たり前のことを、当たり前のように行うことが、

結構恵まれている、幸せなことなんだなと思います。

自分の家を考えると、

自分がしっかりしないととも思うし、

家庭を持つということに対して、

純粋に憧れのようなものを抱いたりしています。

うーん、歳取りましたね(笑)。

 

・親への思い

 

 実家へ帰るたびに思うのですが、

どうして親に対して、色々とイライラするものなのかと(苦笑)。

言うこと為すこと、なにかと癇に障ったり。

まあ親も子供に対してはそう思うのでしょうが。

それだけ、関係性というか、距離が近いということなんですよね。

自分に子供とかが生まれて、大きくなると、

自分が親にとってきた態度のように子供もなるんでしょうかね。

小さいときが一番かわいい、とはよく言ったものです。

 

 

 親子という関係と、夫婦という関係は決定的に違うんでしょうね。

血が繋がっているということと、元は他人ということ。

距離や、尊敬などの気持ちの持ち方が違うのは

当然のことだと思います。

自分が結婚したとき、

その相方さんには、やさしく接したい、

そんなことも思っていました。

 

 

 ん、なんか個人的な日記ですね(笑)。

歳です。歳。