TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

ロンドンで活動する猪瀬直哉の作品展・・スパイラルホール

2017年01月15日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
東京芸大を卒業した後、ロンドンで作家活動を続ける猪瀬直哉氏、一年前に作品に出会い強く惹かれた。主たるテーマは風景だが、急峻な山岳風景など目に映る対象と虚構の入り混じった観念性の高い画風には北方ドイツロマン主義への憧れが感じられる。描く風景そのものが世界を暗示し、立ち向かう人間の希望や苦悩が滲んでいる。鋭い観察力と描写力に裏打ちされた作品だ。まだ若いが楽しみな作家である。

下記は昨年12月のスパイラルホールでの展覧会の出品作品だ。



この作品はとてもシンプルだが、強く惹かれた。絵の意味など考えずに、ぼーっと観ているだけで満足だ。


パブリックアート散策・・六本木ミッドタウンの「安田侃」彫刻と遊ぶ

2016年10月17日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
このブログに時々記事掲載をしていただいている友人のRieさんと六本木の新国立美術館に出かけた。待ち合わせはいつものスタバ、場所柄外国人や業界の人っぽい格好の男女が多い。さすが六本木だ。暫らくの時間、珈琲を飲みながら彼女が取り組んでいる❝メタ認知❞についての文章のことなど雑談した後、散歩。いい天気だ。水の流れるスクエアーを覘きながらそぞろ歩きしていると、見たことある彫刻が目にとまる。えーと、そうだ、安田侃の作品だ。

 
作品名・・「妙夢」ブロンズ製


 「あっ、そこのおじょうちゃん、彫刻と遊ばないでね。」


 「おっさん、僕の彫刻、そんなに押さないでよ。」

パブリックアートとは公共彫刻のことで野外彫刻とも言う。見落とし勝ちだが、よく見るとビルのホールや広場にいい作品が設置されている。美術館で作品と一対一で向き合うのとはまた違った味わいである。
安田侃は北海道見唄生まれ、東京芸大を終了した後イタリアに渡り、ピエトラカンテで彫刻を学んだ経歴を持つ。大理石やブロンズを用いた作品は有機的な曲線が美しい。

心に響く香月泰男、丸木伊里・俊、川田喜久治作品・・平塚市美術館

2016年10月07日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
深い感動に包まれるひとときであった。平塚市美術館の香月泰男、丸木伊里・俊、川田喜久治展、是非観たいと思っていた展覧会であり、無理して出かけてよかった。

香月泰男は知る人ぞ知る素晴らしい画家である。東京美術学校を卒業、国画会・新文展に出品した後に応召、シベリア抑留を経て復員となった。香月と言えばシベリア・シリーズがよく知られているが、帰国後にシベリア抑留中の記憶をもとに描いた作品である。酷寒の中での飢餓や強制労働などの極限状態の日常を描いているが、黒や褐色による暗鬱な色調の画面が見る者を強く感動させる。左・作品「点呼(左)」、右・作品「青の太陽」


・・作品「点呼」・・横長のカンバス二枚組の一枚、貨物船に乗船するためのシベリアでの最後の点呼風景である。作家は「これさえ通過すれば、もう誰からも拘束されることのない自分の身体になるのだと・・。作業衣の中のやせた身体に感謝せずにはいられなかった。多くの友が故国を見ずしてシベリアの露と消えていったのに・・・。」と記している。

・・作品「青の太陽」・・この絵のモチーフは銃を両手で捧げての匍匐(ほふく)前進訓練の時見つけたアリの巣である。自分が穿った穴へ自由に出入りしているアリを見詰めながら、アリになって穴の底から青空を見て暮らしたい。・・そんな思いを描いた作品であろう。普通に生きていることを感謝したくなる絵である。



・・作品「原爆の図」のことは知っていたが、作家の名前も作品も初めてであった。凄い作品である。上記画像はその一部であるが、少年と少女の絵には言葉を失う。作家丸木俊は「900人程の人間像を描きました。たくさん描いたものだなと思いました。けれど広島でなくなった人々は26万人なのです」と語っている。こういう作品作りに生涯をささげた作家がいるのである。



・・上記作品「原爆ドーム・太田川」など、川田喜久治の写真もよかった。「原爆ドーム天井・しみ」や「特攻隊員の写真」等、圧倒的迫力を持って観る者に迫る。モノクロの写真を通して、日本の戦争の歴史の不条理を見詰めている。

香月泰男の作品は今までに何回か観ていたのだが、やはりよかった。それに丸木伊里・俊や川田喜久治を知ったこと、いい一日であった。それぞれの戦争や平和への思いが深い感動をもって伝わる展覧会であった。

彫刻の森美術館、緑に包まれムーアなど名品彫刻を楽しむ

2016年08月22日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
夏の終わりに箱根に出かけた。久しぶりの「箱根の森美術館」である。緑に包まれながら高原を散策、名品彫刻を堪能した。箱根の森美術館は1969年に開館となった大自然を生かした野外美術館、ロダンやプールデル、マイヨールやムーアなどの傑作彫刻が展示されている。入口のトンネルをくぐって館内に入ると、一気に緑の芝生が広がり、あちこちに点在する彫刻が目に飛び込んで来る。

ヘンリー・ムーアの彫刻は全て「母と子」「横たわる象」「内なるかたちと外なる形」など人体を表現しているが、特に聖母子については、「その主題自体は永遠で終わりがなく、多くの彫刻的可能性を持っている」と作家自身が語っている。


アントニーゴームリー「密着」・・大地に伏せて手足を広げている人間は作家自身の身体から型を取ったもの。素材はマグマの成分である鉄、人間も地球の一部なのだ。
後方の平面作品は猪熊源一郎の「音の世界」。


ジュリアーノ・ヴァンジ作品「偉大なる物語」・・人間の葛藤を地中海的明るさと優しい感触で描くイタリアの彫刻家。


この彫刻、オラにそっくりだべ。作品タイトル「JIJII・じじい」。白い野球帽だけ格好いいのだ。


ニキ・ド・サンファール「ミス・ブラックパワー」・・ハリボテで作られた巨大な女性像



ギャラリーゴトウの「横田海の軌跡」展、滲む作家の生き様

2016年07月07日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
私は横田海のことが好きだ。無頼派であり歯に絹着せぬ言動は誤解されることもあろうが、魅力的な人物だ。旅の空を生きた山頭火を思い出す。


横田氏は一年前の展覧会DMに、大杉栄の言葉「美はただ乱調にある、諧調は偽りである。」を引用しつつ、「・・結局くだらぬ絵を描きながら、ひそかに自分を慰めるしかないのである」なる一文を書いていたが、心に響く。巷には見た目だけが美しい、人に媚びたような売り絵も多いが、横田海の言うとおり、人や世間に媚び、常識的に生きる人生からは本当の美は生まれないのだ。
私は書斎で横田海の絵を観ていると、つい、アトリエでキャンバスに叩きつけるように制作に挑む孤独な画家の姿に思いを馳せてしまう。



横田海は40歳を過ぎた頃現代画廊の洲之内徹に見いだされ、それから40、年画家人生を生きてきた。多分、今年で82歳、まだまだ若い、頑張って欲しい。



前田昌良展・・記憶の中から生まれる風景や中世の玩具たち

2016年06月23日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
私は精神性が滲んだ絵を好むが、前田昌良のような世界も好きだ。抑えた色合いの半抽象もいいし、中世の玩具を思わせる立体も楽しい。声高らかに何かを主張することはないが、何処か心惹かれる。特に玩具作品を見ていると、過ぎ去りし少年の日々が蘇るようだ。私の書斎には前田作品が何点か置いてあるが、いつも静かにひっそりと息づいている。

作家はかつて、展覧会リーフレットに「大自然はあまりにも悠久過ぎてそこに時間の流れを感じ取れず、近代的なものにはもとより時間の流れは汲み取れず、そのどちらでもない人の営みのつながりが感じられる程の時間を刻んだ風景に心を動かされます。」と書いていたが、いい感性の持ち主だ。
「空はあまりにもひろく僕はあまりにもちいさい」とも書いているが、心やさしい人なのであろう。作品タイトルも、「風を見つめる木馬」、「森に浮かぶ舟」、「風を見つめる木馬」など、さりげないが心に響く。

先日、高島屋美術画廊の「風を見つめる木馬」展で久しぶりにお会いしたが、変わることのない青年の雰囲気であった。深夜、アトリエで、愛おしむように玩具作品を見つめる姿が目に浮かぶようだ。






黄色い舟展@日本橋三越画廊(金井訓志)

2016年03月17日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
「鶏頭の花を描きました」と、黄色い舟展にて画家の金井訓志さんがご挨拶。会場に観に行くと、艶やかな鶏頭がパッと目に飛び込んできました。絵からは、花というより人が纏う佇まいが伝わってきます。ヨーロッパの昔の貴婦人の肖像画のイメージ。さらにじっと見ていると花びらが迷路のような脳の構造のように蠢いて見えます。歌川国芳のパズルのような絵や脳内のシナプスが浮かんできました。こんな連想をしてしまうのは失礼なのかもしれません…。が、鶏頭に、何か話し掛けてくるような見つめてくるような、そんな在り方を感じたのです。(山本理絵)
←金井訓志作品

「市民派コレクターの眼」・・ワイルドでありながら、洗練された色彩と構成が美しい花澤洋太作品

2016年03月17日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
「黄色い舟展」のオープニングパーティーに出かけ、久しぶりに作家花澤洋太氏とお会いした。
相変わらず男っぽい雰囲気の人物だ。一度お会いしたことがあるが、奥様は金髪のフランス美人であった。この日、初対面ではあったが、花澤教室の門下生である南雲さんと我が女友達の4人、花澤氏の奥様の故郷フランスのことや花澤教室での美術指導のことなど、暫し雑談。この南雲さんも女流画家の卵であるが、ご主人は観世流の能役者とのこと。そんな訳で美術や能のことなど、ワインを飲みながら楽しく歓談した。



花澤氏の作品は、20年以上前にも何回か拝見しているが、木の素材を削った男っぽくワイルドな世界であった。どちらかと言うと女性的な作品が多い現代において魅力的である。今回の発表作品も、本質は基本的には変わっていないが、作品構成や色彩が美しく洗練された抽象の世界であった。男らしさと繊細さが同居したいい作品である。



この日、元経済企画庁長官の堺屋太一氏も応援に駆け付けて挨拶。そんなこともあって、パーティーはおおいに盛り上がりをみせた。(夏炉冬扇)




「市民派コレクターの眼」・・情緒性を抑えた色彩が美しい現代の浮世絵、金井訓志

2016年03月17日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
三越日本橋本店で開催された「黄色い舟展」のオープニングパーティーにご招待いただき、出かけて来た。❝黄色い舟❞とは独立美術協会創立会員である三岸好太郎が会の創立を祝して発表した詩「黄色い舟・鋼鉄船」になぞらえたものであるとのこと。



新館のグリル満天星でのパーティには中堅作家たちが居並び、美術界の重鎮奥谷博氏や元経済企画庁長官堺屋太一氏などから励ましの挨拶があり、今にも黄色い舟で大海に漕ぎだして行かんとするかのような明るい雰囲気に包まれていた。


右・作家金井訓志氏と二人で

パーティーでも話題になったが、作家たちの作品傾向はそれぞれ違うベクトルを目指しているかに見えるが、特に金井訓志と花澤洋太の作品が目に止まった。
金井氏は現代の浮世絵的世界を描き続けているかに見えるが、近年の情緒性を排除したシンプルで色彩が美しい作品がとてもいい。今回の出品作品の鶏頭の花が、私には人間に見えるのだ・・。作品に作家の魂があるのであろう。(夏炉冬扇)


日動画廊の「蛯子善悦・真理央二人展」を観に行く

2016年02月26日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
画廊というところは敷居が高く、一般の人には入り難いらしい。そんなこともあって、時々女友達から一緒に連れてってと誘われる。レディー同伴の絵画鑑賞も楽しいものだ。ちょっと得意げに絵の解説したりして・・(笑)。
この日は、友人のTaさんと日動画廊の蛯子善悦・真理央二人展を観に行った。真理央氏の作品については、その細部にこだわらない早描きの画風に魅かれ、以前、セーヌ川とノートルダム寺院を描いた作品を購入した。それ以来、新作展は観るようにしている。

蛯子善悦作品「白い港」

蛯子善悦は、若くしてパリ郊外のアトリエを設けフランスを描き続けた作家である。画家などプロからも高く評価されている。暖かく穏やかな色調の品のいい作品に特徴がある。

 真理央氏とTaさん



真理央氏はその息子である。画家を志したのは遅いが、父親の才能を受け継いでいるのであろう。2001年に、昭和会の優秀賞に輝き、フランスやモロッコなどで制作して来た。作品制作は現場主義という。静物や窓辺の室内風景も得意とするが、やはり屋外の現場で描いた風景画作品がいい。(夏炉冬扇)

パーティー風景

緑川俊一、「顔」を描き続ける❝るろう・流浪❞の画家にエール!

2015年09月07日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
ビジネスパートナーのRieさんとギャラリー川船の緑川俊一回顧展part2を観て来た。


作品は若い頃のセメダインを使った版画や1980年代の木炭と水彩絵の具による顔の作品である。顔と言っても事前の構図やイメージはないのであろう。キャンバスや紙に向かって木炭や筆をぐるぐる動かしている内に、抽象的な顔が浮かび上がってくるといった制作に見える。顔というモチーフはあるが、事前に計算されたものはない。そこが凄いのである。


ビジネスパートナーRieさんと

作家は東京に生まれ、若い頃沖縄へ、そして小笠原・小樽・ニューヨークで生きて来た。そう、❝るろう=流浪❞の人生だ。
私は元々、農耕民族より狩猟民族に惹かれるところがある。だから、家を捨て漂泊の人生を送った西行法師や歌人山頭火のことが好きだ。この作家緑川俊一の人生についてはよく知らない。しかし、これら流浪の旅で感じたものが作品の中に滲んでいるのではなかろうか。そう言えば、緑川の黒や褐色の顔の作品はどれも仏の顔にも見える。




作品を観ながらギャラリスト川船氏と緑川作品のことや、長い画廊人生及び絵についての薀蓄を拝聴したのだが、私も親しくしていた韓国のギャラリスト柳珍さんや東邦画廊の中岡吉典氏の思い出話も出て、有意義なひとときであった。(夏炉冬扇)

 

横田海展、「美は乱調にあり」を生きる作家と意気投合、酒酌み交わす

2015年07月18日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
ギャラリーゴトウの横田海展、最終日にやっと作品鑑賞して来た。80歳を記念しての展覧会、いつもながらの男らしく潔(いさぎよ)い線と色彩が健在、しかも、新たな展開を思わせる作品が何点かあり、嬉しい限りだ。

横田海作品 今回のDM掲載作品

もう一つよかったことがある、展覧会DMの作家自らの文章がとてもいいのだ。大杉栄の言葉、「美は、ただ乱調にある。諧調は偽りである。」に始まり、・・・・結局、くだらぬ絵を描きながら、ひそかに自分を慰めるしかないのである、とある。

81歳の作家の心境であろう、ジーンと来る。体制や世間に順応し、常識的に生きる中からは美は生まれない。真の美は反逆的で破壊的な生き方から生まれるということか。横田海の生きざまに触れ、作品をずっと見て来ると、このことがよくわかる。
海さんと居酒屋

作品鑑賞の後、海さんとコレクターのAさん、友人のYさんと居酒屋へ。Aさんはグラフィックデザイナー、絵画・古写真収集など広範囲にご活躍だが、ルオーのことなど、語り合った。

海さんとは今までも何回も酒酌み交わしているが、語る言葉はいつもしみじみいい。この日も、人間は前進しないといけない。絵描きも絵を描き続けないといけない。いい絵には人間の中にある魔性が必要である。・・などなど。

早川俊二長野展に駆けつける、読売新聞芥川喜好氏の講演も盛況

2015年06月14日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
パリで活躍する画家早川俊二の長野展が始まった。会場は長野市の北野カルチュラルセンター。この展覧会がユニークで意義深いのはプロの画廊や美術館ではなく、出身地の友人たちの力で実現したことだ。私もアートNPOの旗を揚げて活動した時期があり、そういう観点から新潟展実現に向けての支援をしている。そんな訳で昨日、数人の友人たちと応援に駆けつけた。展示作品は1階から3階まで65点、描かれた人物や静物が空間と溶け合って見るものを惹きつける。


中央は画家早川俊二ご夫妻、左端全国実行委員会副事務局長奥田氏


日本での巡回展のため新たに制作された新作の一部

この日、読売新聞編集委員でもある美術評論家芥川喜好氏の講演会があった。芥川氏はかつて早川氏の作品について「・・静物画とは随分違うもののように思う。さわさわと空気の粒子が手に触れんばかりに粒立って視界を浸している。その中に影のように壺はあらわれる。むしろ、空気の粒子がそこだけ壺のかたちに凝集して周囲と連続して・・」と記していたが、この日は「なぜパリにいるのか、なぜこのような絵を描くのか、なぜ自由なのか」などの切り口から講演、早川氏のことを稀有で驚異の画家と絶賛。講演内容も「自分の力の内にあって、自分の自由になるものに全力を注ぐこと」など哲学的で味わい深かった。

講演する美術評論家芥川喜好氏

この展覧会を企画し、ここまで引っ張ってきた事務局長の宮澤氏とも歓談したが、この展覧会を本気でやる気になったのは、彼の母上が「早川さんのお母様に展覧会お見せできたら嬉しいよね」と語るのを聞いた時であったという。いいお話であった。展覧会のご成功を祈りたい。

左・・長野展実行委員会事務局長宮澤栄一氏


珈琲タイム、東京から駆け付けた友人達と善光寺界隈名物のメロンパンを

久しぶりの画廊散策、ギャラリー椿「高松ヨク展」と不忍画廊「中佐藤滋展」、とても良かった

2015年06月10日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
私はギャラリー巡りの達人たちのように一日にたくさんの画廊を歩くことはない。何軒か覘いたらゆっくり珈琲かワインを飲むのを楽しみにしている。昨日はギャラリー椿の高松ヨク展と不忍画廊の中佐藤滋展に絞って出かけたのだが、予感が的中、いずれもいい展覧会であった。

高松ヨクは初めての作家であったが、とても惹きつけられた。作品「クリストゥスの少女」はルネッサンス期の中世の絵画を見るかのようであった。「幻想モナリザ」もそうだが、模写した作品の上からオリジナルな部分を描き加えてある。相当技術的な研究を経てのことであろうが、どれも薄塗りを重ねた繊細な作品であった。しかし、この作家の本領は幻想的世界というか、シュールレアリズムにありそうだ。創造力が豊かなのであろうか、描かれたテーマも場景も様々で面白い。しかも、どの作品もシュールでありながら美しい。夜半に、書斎でこんな絵を眺めながらブランデーでも飲んでみたいものだ。



中佐藤滋は元々好きな作家である。10年以上前に1点購入したことがあるが、テーブルの上の電燈の傘や自転車などが過ぎ去りし日への郷愁をそそる。「サマータイム・ブルース」と題する今回の展覧会には、40年以上前の初期油彩や昭和会賞に挑戦した抽象的雰囲気の作品も並んで、見応えある。自画像らしき作品はどれもユーモアにも溢れ、楽しい。しかし、私が特に気に入ったのはここに画像を掲示したモノクロの作品だ。中央のモノトーンに描かれたテーマと、引っ掻いたようなマチエールの余白の部分とがバランスよく響き合って、心地いい。それにしても不忍画廊の展覧会はただ作品を見せるというだけでなく、工夫があって面白い。

三浦 康栄展@ギャラリー銀座一丁目

2015年06月09日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


静物画のほか、壁の一面には裸婦、別の一面には洋服を着た女性、別の一面にはモノクロの裸婦。どの作品にも背景描写はありません。けれども、背景はいらないと感じさせるような雰囲気が漂っているように思いました。それはきっと、描かれている女性そのものの内面が漲っているからではないでしょうか。状況や暗喩の手を借りる必要など一切不要。そういうものに頼らなくとも、女性そのものの存在感だけで、もう充分。余計な情報にあふれている今、惑わされずに本当に大切なものを見失ってはいけないことをも、あらためて思い出させてくれます。色も削ぎ落された、墨だけの作品には、いっそうそれを感じます。そして、背景描写のない背景に向かって、女性の内面が波を投げかけていることも、背景には表れているように思いました。次回も楽しみです。(山本理絵)