TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
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「アート市民たち(コレクター他)」

田鎖幹夫/ミツロウ画@ギャラリー砂翁・トモス

2013年09月20日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


 ミツロウ、和紙、絵の具、木炭が使わている作品は、不思議な世界を感じさせてくれました。淡くて数も少ない色づかいなのに奥行きがあるのは、これらの画材の組み合わせの妙でしょうか。でも、それだけではありません。田鎖さんのアソビゴコロこそ欠かせないワザ。デッサンをせずにキャンバスに筆を放ち、ミツロウや和紙や絵の具たちを自在に遊ばせる。やがて、彼らが偶然に浮かび上がらせてくるものに対峙する。そうして、キャンバスに「2つのもの」が田鎖さんの目に浮かび上がってきた時は、さらに木炭のラインを添える。奥行きのうえに、さらに広がりが加わります。
 では、「2つのもの」が浮かび上がらなければどうするのか。田鎖さんは言います。「それは、そこまで」。作品へと、無理に仕上げはしない、力んで仕上げはしない、というこの潔さ、固執のなさ。逆に「2つのもの」が浮かび上がってできた作品の携えている、かけがえのない偶然性を思わずにいられません。
 「2つのもの」とは何でしょう。陽と陰、生と死、正と負、男と女、天と地、偶数と奇数、俗と聖、アルカリ性と酸性、善と悪……。2つといえば、相対するもの、対極のもの、が浮かんできます。けれども、きっと田鎖さんの目に映る2つはどれでもないはず。そのように、厳密だったり大仰に分類されるようなものではないと思うのです。とりたてて選ばれたものでもない、偶然の何かの2つ。1つの空間に並ぶことで、互いに、働きかけ、引き立て、絡み合う。そうして初めて、お互いの新しい存在価値そのものや、関係性を創り出す。「2つのもの」は、個々には気ままで恣意的。けれどもペアになると、語りかけを始めるものなのではないでしょうか。
 「2つのもの」に添えられているのが木炭のライン。とてもはかなく繊細ですが、「2つのもの」からの語りかけを促しながらも、かつ、見る側を拘束しない。そんな、さりげない意思が宿っているような気がします。(山本理絵)

(ギャラリー砂翁・トモス 東京都中央区日本橋本町1-3-1)