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TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

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≪心に残るこの名画≫・・カラバッチョの傑作『法悦のマグダラのマリア』

2016年04月09日 | 好きなアーティストのこの一点
現代美術を観るに当たっては時代認識が必要であり、西洋絵画を深く理解するためには神話や聖書の知識や歴史認識が必須である。近年ルネッサンスからバロックにかけての美術に関心を持ち、フィレンツェやアッシジを旅したり書斎サロンで西洋美術史講座を開くなど、この時代の美術や歴史に親しんできた。こうして辿り着いたのがカラヴァッチョであった。先日のブログでもこのことについて触れ、「エマオの晩餐」や「この人を見よ」などの素晴らしい作品について紹介した。

だが、カラバッチョの最高傑作は2013年に発見され、今回の展覧会で世界初公開となった『法悦のマグダラのマリア』ではなかろうか。マグダラのマリアとは新約聖書の福音書に登場する人物で、キリストの力で悪霊を追い出すこととなり、その後回心して生きた女性である。キリスト教美術においては、マグダラのマリアは聖母マリアと並ぶ重要人物であり、主要な教派において聖人とされている。聖母は超越的な奇跡的存在として、マグダラのマリアは情熱的な存在として描かれて来た。

カラバッチョは天才的芸術家であったが、性格は激しく攻撃的で喧嘩早い性格であったようだ。ローマで殺人事件を起こして死刑判決を受け、ナポリ~マルタ島に逃亡、これらの地でも記念碑的作品を制作してきた。そして10年後、ローマ教皇の恩赦を期待して再びローマを目指すのであるが、旅の途中で倒れる。享年38才であった。この時、最後まで手放さず携えていたのがこの作品であり、その後長い年月、行方が分からなかったとのことである。

マグダラのマリアは聖母マリアと共に、十字架に磔となったキリストを見守りかつ復活に最初に立ち会った後、旅立ち、暗い洞窟の中で信仰に身をささげたとされる。この作品「法悦のマグダラのマリア」のマリアは闇の中で光を浴びて浮かび上がっている。その恍惚とした表情は神との一体感に感情が昂ぶって、涙が微かに流れ落ちる瞬間が描かれている。美しい絵だ。しかし、土色に変色した手や青ざめた唇は死につつあるマリアを表現しているのであろう。漆黒の中から恍惚としたマグダラのマリアが浮かび上がる。画面の左上には微かに十字架が描かれている。凄い絵である。


“李禹煥(リ・ウーハン)・・『照応・Correspondance』

2016年03月25日 | 好きなアーティストのこの一点
 李禹煥は60年代以降“もの派”の中核的存在として活躍、いまや日本現代美術の代表的芸術家である。人為的なものを取り去ることにより“世界のあるがままの鮮やかさ”を取り戻そうとするその思想は我々を惹きつける。「項Relatum」など立体も、「点より」「線より」「風と共に」など平面作品も、思索的雰囲気に満ちている。

 私が特に好きなのは「照応」シリーズである。これら作品は下塗りしていないキャンバスに点が幾つかあるだけのもので、余白が大半を占めているが、余計なものを削ぎ落としたような空間に、点と点、点と余白とが照応し合って“無限感”を漂わせている。

 この作品は30号のキャンバスに8個もの点がある珍しい一点、筆のストローク一つ一つに絵の具の重厚な質感と勢いが感じられ、緊張感ある静寂な空間を形作っている。私は“目に見えるものより見えないもの”に価値観を置いた生き方に関心があるが、この照応シリーズは、まさに“目に見えるものと見えない世界との照応”を描いているのだと思う。作品を見ていると、知らず知らずの内に思索の世界に漂っているのを感じるのである。(2003年山下記)
 
作品名 「照応 Correspondance」30号 キャンバスに油彩    
銀座の画廊にて、李さんと