goo blog サービス終了のお知らせ 

TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

新潟絵屋での平田達哉個展のこと

2013年04月23日 | 気になる展覧会探訪
 久しぶりの新潟である。新潟絵屋の大倉宏さんのお世話で開催した砂丘館でのコレクション展からもう3年になる。実は半年前、東京で活躍する作家平田達哉氏を大倉さんにご紹介したところ、気に入っていただきその個展が実現した次第である。大倉さんから企画担当を仰せつかったが、新潟絵屋の会報『絵屋便』に作家の紹介文を書く程度のことしかできなかったので、せめて展覧会初日には訪問しようと、このコーナーに展覧会記事を書いている山本理絵さんと駆けつけた。大倉さんは相変わらずお忙しそうであったが、楽しい再会であった。

平田達哉氏と展覧会取材の山本理絵さん


・・絵屋便に書いた平田達哉さんの紹介文・・

『構成力ある抽象を得意とする作家である。プリミティブな形にこだわりながら、センシティビティーある世界を追求する姿勢から生まれる作品は、見る者を異次元に引きずり込む。
作家は、この数年、家をテーマにした立体にも取り組んでいる。きっかけは大震災で崩壊して行く家、跡継ぎのない故郷の父母の家への思いだ。家族が集う場としての“家”、その記憶を未来に繋がんと、蝋燭の炎で鉛の素材に明かりを灯そうとする。ここにあるのは作家の祈りだ。(山下透)』

  
平田達哉展風景

倉知弘行写真展@ギャラリーモナ

2013年04月19日 | 気になる展覧会探訪
「なだらかな稜線の山の絵だ」「鮮やかな色彩の空だ」「やさしい目をした人だ」「ユニークな構図だ」などなど。絵画も写真も一目見た時に、まず何かしらの、分かりやすく言葉に変換しやすい第一印象を、見る側に与えてくれるものではないでしょうか。そういった第一印象が作品の扉のドアとなって、見る側を扉の前に立ち止まらせ、ドアノブにすっと手をかけさせ、作品の世界へと誘ってくれる。
 ところが、エスコート役を担ってくれる第一印象というものが見あたらない。倉知さんの写真はそんな作品だと思いました。ボーッと歩いていては、扉の在り処にさえ気づかず通り過ぎてしまう。ですから、見る側には、意思を持って、感受性を開放させて、何かを求めることが必要とされる。作品に対して能動的な意識を投げかけて来る人にだけ、心を開いてくれるように感じられるのです。


 写真展のタイトルは「森を抜ける道」。軽井沢の森で、さまざまな季節、さまざまな時間に撮影されたカラー写真の空間には、木々の枝が無造作に伸び、葉が生い茂り、光が差し、日陰が身を潜めています。道はどこを通っているのか、ぼんやり不明瞭。倉知さんの意図は深い森の向こう側。こちらに向かってはっきりと主張してくることも導いてくれることもありません。けれども、森に向かって目をじっと据えてみたり、耳を静かにそばだててみたり、肌の表面を研ぎ澄ませてみると、やおら目の前の写真が語りかけてきてくれる。その主題も、内容も、人それぞれ。対峙の仕方次第なのです。見る側の意識が存在して初めて、作品としての顔をのぞかせてくれる。そんな森であり、道であるような気がします。
 そして、作品がこちらに心を垣間見せてくれた瞬間、気づくのです。いかに私たちが、周囲に何気なく息づいている自然やモノの驚異を見過ごしてしまっているかということに。その昔、陶器の包み紙として海外に何気なく流出していた浮世絵が、国外で初めて芸術として評価されるようになった事象が思い出されます。(山本理絵)


(ギャラリーモナ 東京都港区麻布十番2-11-3)

第66回 示現会展@国立新美術館

2013年04月10日 | 気になる展覧会探訪


 古明地勝昭さんは、市民派アートコレクター・Yさんの高校時代のご友人。幼少期から絵が好きな少年だったそうです。本当は美術学校で絵を学びたいと思っていたものの、甲府の進学校へ。けれども、その後もずっと絵心を温めてきて、現在は示現会に所属して作品を創作し続けています。そんな古明地さんの絵が展示されている示現会展を観に国立新美術館へ。

 会場は、30もの小部屋からなるという規模の大きさ。各小部屋にある四面の高い壁を、会に属している方たちの絵がきれいに埋め尽くしていました。油絵あり、水彩画あり、風景画あり、人物画あり、抽象画あり。数の多さにもテーマの多さにも圧倒されました。でも、いちばん圧倒されたのは、これほどまでにたくさんの人たちが筆を握ってキャンバスに日々向かっているということ。創作意欲を胸に表現する人たちが全国にこんなにいるだなんて。展示された絵は1000枚以上にものぼっているようです。他にも数知れない会や団体の存在を考えると、日本の絵描き人口なるもの、いったいぜんたい。そう考えると、ギャラリーという場に展示される作品の希少をあらためて感じずにはいられません。
 このあと、この会の展示は青森から熊本まで14の会場を12月まで巡回するそうです。1000枚もの1メートル以上のサイズの絵たちが、これからこぞって日本列島を長旅していくのですね。なんて壮観な大移動。

 古明地さんの絵は、遺跡の石の灰色と対照的な草の鮮やかな色が印象的な作品でした。古跡の風景ですが、いつの時代のどこの町に残されている廃都なのでしょう。地名を敢えて伏せた作品のタイトルもいいなと思いました。長年、たくさんの絵を見てきたYさんによると、「遠近法による構図が心地よく、色彩感覚もいい。日曜画家のレベルを超えてますね」とのこと。これからのご活躍を期待したいと思います。(山本理絵)

(※国立新美術館 東京港区六本木)

大原裕行展-HANA-@gallery一枚の繪

2013年04月04日 | 気になる展覧会探訪

 たとえば、満開の桜がきれい!と思ってシャッターボタンを押す。けれども、撮影された写真を見てちょっとがっかり。自分自身の目で目の当たりにした桜の方が断然よかった、という経験。よくあるのではないでしょうか。それとは全く逆、突き抜けた対極感が、大原さんの絵の前に立つとこみ上げてきました。
 もし、絵の元となった花器に生けられた花々たちと見比べてみることができるのなら、きっと現物の花の方に物足りなさを覚えてしまうのではないでしょうか。生(なま)の花はそれはそれは美しいもの。けれども、大原さんの絵は、その美しさの向こう側にある、花自身の生き物としての生々しさまでをも描ききっているように思えるのです。花自身が携えている、逞しさや、喜びや、切なさや。そういった、目には見えないものを受け止めて、捉えて、キャンバス上で伝えている。まるでイタコのような役割をも、表現者として担っているような気配を感じずにはいられません。
 四角い空間の中に描かれることによって、花たちは自分たちの「生(せい)」をいちだんと発揮し、四角い空間の住民となってなお、「生(せい)」の喜びを享受し、時を重ねていくようなうごめきがある。ギャラリーの中に、こそばゆいようなわさわさした空気が漂っていたのも、そのせいだと思うのです。
 個展のタイトル通り、花の作品ばかりでした。が、一点だけ出目金の絵がありました。丸い金魚鉢に黒いピチピチした出目金が二匹。日を置いてから、もう一度この絵を観に来た時には、赤ちゃん出目金が顔を覗かせていたり、「広い世界へ旅立つのだ」と二匹は飛び出して出目金のいない金魚鉢だけの絵だけになっているかも。そんな想像を見る側に促してくれるぐらいに、「生(せい)」が絵に満ち満ちています。(山本理絵)

(※gallery一枚の繪 東京都中央区銀座6-6-1凮月堂ビル3階)