TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

緑川俊一、「顔」を描き続ける❝るろう・流浪❞の画家にエール!

2015年09月07日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
ビジネスパートナーのRieさんとギャラリー川船の緑川俊一回顧展part2を観て来た。


作品は若い頃のセメダインを使った版画や1980年代の木炭と水彩絵の具による顔の作品である。顔と言っても事前の構図やイメージはないのであろう。キャンバスや紙に向かって木炭や筆をぐるぐる動かしている内に、抽象的な顔が浮かび上がってくるといった制作に見える。顔というモチーフはあるが、事前に計算されたものはない。そこが凄いのである。


ビジネスパートナーRieさんと

作家は東京に生まれ、若い頃沖縄へ、そして小笠原・小樽・ニューヨークで生きて来た。そう、❝るろう=流浪❞の人生だ。
私は元々、農耕民族より狩猟民族に惹かれるところがある。だから、家を捨て漂泊の人生を送った西行法師や歌人山頭火のことが好きだ。この作家緑川俊一の人生についてはよく知らない。しかし、これら流浪の旅で感じたものが作品の中に滲んでいるのではなかろうか。そう言えば、緑川の黒や褐色の顔の作品はどれも仏の顔にも見える。




作品を観ながらギャラリスト川船氏と緑川作品のことや、長い画廊人生及び絵についての薀蓄を拝聴したのだが、私も親しくしていた韓国のギャラリスト柳珍さんや東邦画廊の中岡吉典氏の思い出話も出て、有意義なひとときであった。(夏炉冬扇)

 

旅の途中、三重県立美術館で「1940年代日本美術展」を観る

2015年09月06日 | モダンアート
心に残る友人S・Kさんを訪ねる旅の続きである。



津は初めての街、しかもKさんとの待ち合わせまで時間がある。そう言えば三重にはどんな画家がいただろうかと、津駅界隈を散策しながら三重県立美術館に向かう。駅から歩いて15分程の位置にある落ち着いた美術館だ。丁度「戦後70年記念20世紀日本美術展」なる企画展をやっていた。1910年代から30年代の日本美術を10年単位で総括しようという試みで、今回は1940年代の作品展であった。通常の日本美術史なら1945年を境に戦前と戦後の作品を区分けするであろうが、敢えて俯瞰して観せるという意欲的な展覧会であるようだ。作家たちの戦争体験やこの時代へのさまざまな思いが透けて見え、興味深かった。取り上げた作家たちも梅原龍三郎や横山大観から香月泰男、靉光、松本俊介などで滅多に観られない貴重な作品も多く、見どころあるものであった。



美術館の一階にはミュゼ・ポンヴィヴァンなる洒落たレストランがあり、暫らく休憩する。ワインが美味しそうであったが、夕食の鰻とビールのことを考え、珈琲で我慢することにする。レストラン前の庭園の緑と配置された立体作品が美しく、これらを眺めながらの贅沢なひとときであった。



実は小生、三重県のことも津のことも知らないことばかりだ。旅立つ前に、津出身の東京の友人Rieさんから伊勢神宮や名物のことなど色々聞いてきたのだが、県出身の著名人について知りたくなりネット検索したら、私が好きな人物の名前が出てきた。映画監督では「ビルマの竪琴」の市川崑、絵画では独学独歩の抽象画家浅野弥衛、小説家では「蛍の河」の伊藤桂一、明治の教育家で攻玉社を創立した近藤真琴などだ。そんな人物のことに思いをめぐらしながら、暫らくの時間、静かに珈琲を啜った。これぞ、一人旅の醍醐味である。

そんなことを考えながらぼんやり珈琲を啜っていたら、友人S・Kさんが車で迎えに来てくれた。20数年ぶりの再会だ、懐かしいね。



若い頃、現代美術を指南してくれた鳥羽の友人との一期一会

2015年09月04日 | モダンアート
私の❝死ぬまでにしたい三つのこと❞の一つは「心に残る友人を訪ねる一期一会の旅」である。30代半ばの頃、現代アートの何たるかを指南してくれた若き友人S・Kさんがいた。東京・青山の画廊で知り合い、国際的アーティストの河原温や杉本博司、ジャン・シャルル・ブレやマックス・ノイマンなど多くの現代アートの作家たちについて教えられた。年齢はひと回りくらい若かったが、私の現代アートの師匠と言っていい青年だ。その頃パリで活躍していた画家今村幸生氏のマネージャー的存在でもあった。

三重県立美術館にて、K氏と

20数年前のことだが、S・Kさんから誘われ、亡き妻と二人、車で鳥羽を訪ねたことがある。病ゆえ出かけることの少なかった女房孝行の旅でもあった。鳥羽のご自宅でご両親とお会いし、松坂牛をご馳走になり、翌日は友人の画家天花寺又一郎氏と二人で伊勢神宮や志摩を案内してくれた。妻と私は伊勢神宮は初めてだったこともありいたく感動、特に妻が夫婦岩を見て嬉しそうにしていたこと、美しい白浜の海岸で遊んだこと、赤福本店でお茶を飲んだことなど忘れられない。


三重画廊山本氏も交え


 中央画家天花寺氏、右端S・K氏

そんな訳で、この旅のことは良き思い出として心に残ったが、その後彼が東京から鳥羽に拠点を移し、私も働き盛りの年齢となり、長いことお会いすることは無かった。ただ、ニューヨークのMOMAなどで河原温や杉本博司の作品を観る度にこの時のことを思い出し、いずれ仕事人生をリタイアしたら鳥羽を訪ねたいと思っていた。そんなところへ天花寺又一郎氏から津での展覧会の案内が到着、ふと出かけたくなったという次第である。



こうして、S・Kさんとは20数年ぶりに再会したのであるが、今や、津から鳥羽にかけて幾つかのマンションを経営する立派な実業家になっていた。三重県立美術館の喫茶室でその後の人生、新たな事業への進出のことなどを拝聴、暫し歓談した。天花寺又一郎氏との再会も嬉しかった。三重画廊で宇宙を感じさせるちょっと哲学的作品を拝見しながら旧交を温めた。絵画鑑賞の後、3人で津名物のうな丼を食べに行き、二次会はKさんとコメダ珈琲店で近況などを語り合った。不動産事業も順調、可愛いお子様も三人いらっしゃるとのこと。心に残る嬉しい旅であった。


 津で一番人気の鰻店、新玉亭


・・こうして今年、死ぬまでにしたいことの一つ、Kさんと会う一期一会の旅が実現したのであった。
コメント