TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

東京芸術大学美術館『パリへ、洋画家たち百年の夢』展

2007年05月24日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
 上野の東京芸大美術館で、『洋画家たち百年の夢』なるタイトルの展覧会が開催された。展示されたのは黒田清輝、浅井忠、藤島武二、梅原龍三郎、安井曽太郎など、明治時代以降パリに渡った洋画家たちの代表作である。
今更、明治初期画壇の表舞台で活躍した洋画家たちの作品でもなかろうと思いながら出かけたのであるが、やはり黒田清輝の『婦人像・厨房』『湖畔』など皆名品である。滅多にみる機会のない安井曽太郎の男性的なデッサン作品も見応えがあった。
 明治初期の画家たちの、西洋絵画の技術を自分のものにすることと、日本人としてのアイデンティティーある表現とのはざまで模索した姿が見えるようだ。そういう目で鑑賞すると、この展覧会、なかなか興味深いものがある。
その後パリに渡った画家達、林武、佐伯祐三、藤田嗣治など個性的作品もなかなかよかった。(山下)




イタリア文化会館で現代彫刻家チェッコ・ボナノッテ展開催

2007年05月24日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
 イタリアの現代具象彫刻家チェッコ・ボナノッテの展覧会が、イタリア文化会館で5月25日より開催されている。小生、その前夜24日に開催された特別鑑賞会とレセプションにご招待いただき、楽しいひとときを過ごした。ボナノッテはヴァチカン美術館正面入口のブロンズ大扉やリュクサンブール美術館大扉を制作したことで知られている。それらの彫刻作品の大規模展覧会が昨年12月より箱根の『彫刻の森美術館』で開催されたのであるが、大変好評で、その一部をここでもう一度展示することになったのだそうだ。
 ボナノッテの作品のテーマは人間である。展覧会のサブタイトルも『現代イタリアの造形詩人』となっているが、愛や幸福、運命といった人間への深い考察から生まれた作品はどれも静かに見る者を惹きつける。
オープニングパーティーには、イタリア大使や奈良薬師寺の長老である松久保秀胤氏など大勢が出席、赤ワインやイタリア人シェフによるイタリア料理を頂戴しながらの楽しいものであった。しかも、嬉しいことにボナノッテ氏と一緒の写真まで撮っていただいた。
 この展覧会を企画し裏で支えているのは、ボナノッテと長く親交を重ねてきたヒロ画廊の藤井公博社長と専務の息子さんである。藤井社長と話していると画商としての儲けなどを超えた熱い思いが伝わってくる。そんな藤井さんの素晴らしい生き方に敬意を表したい。レセプションご招待も感謝。(山下)

      
 (藤井社長、ボナノッテ氏、小生)  (ボナノッテ作品『期待』の一部)

国立新美術館にて国展の半田強、藤岡冷子作品を見る

2007年05月14日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
 国画会の画家半田強氏から、国展の招待状が送られてきた。国画会は小野竹喬、土田麦僊、村上華岳らが、1918年(大正7年)起こした国画創作協会を母体に、その後梅原龍三郎など日本美術の先達たちが発展させてきた団体とのことである。
 小生、団体展なるものには余り関心がないのであるが、親しくしている半田強氏、藤岡玲子氏の作品は是非拝見したく、毎年出かけている。新会場国立新美術館のフロアは、昨年までの都美術館より明るくとてもいい。メインコーナーには島田章三、大沼映夫など大家の、いつもと変わらない画風の作品が並ぶ。中堅実力作家開光一作品は人物表現がいつもと違うからだろうか、いま一つであった。
 さて、お二人の作品は堂々とした大作で、なかなかよかった。しかも偶然にも、隣の並んでの展示であった。半田作品は、人物や動物をテーマにした、茶褐色の独特の色彩と深いマチエールが印象的な作品である。藤岡玲子作品は摩周湖の凍った湖面に風が吹きわたる情景である。基調は抽象なのだが、水辺の木々が靄のなかに霞んで見える品のいい作品だ。(山下)

(半田強作品)       (藤岡冷子作品の前で作家と)
 

『The Cast展』で見た呉亜沙の現代美術作家としての資質

2007年05月07日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
 若手画家呉亜沙さんが文化庁海外派遣研修から帰国、その最初の展覧会がギャラリー椿で開催された。ニューヨークでの生活は、あらためて自己と他者とのかかわりや、自身のアイデンティティーといったことに思いがいった1年だったようだ。ルーツへの拘りもあったのだろうか、それらの思いが作品にも表れている。
 特に、案内DM掲載の『SKIN』という作品は、目に白いヴェールがかかった不思議な絵だが、そこには現在この作家が考えていることが見える気がする。「自己から他者に視線を向けても、自身と他者を峻別することができない」とは本人の談であるが、この作品には、目を開いて見ても他者の本当の姿は見えない、見えたと思ったのは自分自身に他ならないといった心情が滲んでいる。ヴェールはそのことを意味しているのだろう。なかなかいい作品である。
 私は以前から作家呉亜沙に注目、作品も何点か持っているのであるが、今回あらためてこの作家の資質を評価したい心境にある。人間は自我の形成とともに自己と他者とのかかわりにおける相克の壁に突き当たるのであるが、こういう事実に真剣に向き合おうとするのは、呉亜沙が画家である以前に人間として生きていることの証しである。 現代美術とは、この時代をどう生きるかという哲学や生き様から生まれるものであり、悩み思索することなく、感性だけでいい作品が生まれる筈もない。
 呉亜沙さんのこういう真摯な生き方は、この若い作家がいずれ現代美術の本格的作家として大きく羽ばたく時が来るであろうことを予感させるのである。(山下)

左奥作品が『SKIN』
右手前が『DISCOVERER』

この日会場で、作家藤浪理恵子さんにもお会いし、暫し歓談。『アートフェア東京2007』に作品が出品されていたが、なかなか個性的でいい作品であった。アメリカ人と結婚し、ニューヨークで生活かつ制作しているのだそうだ。ご活躍を祈りたい。


(右・呉亜沙さん)
(左・藤浪理恵子さん)