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TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

「現代美術俯瞰展」、時代の陰に埋もれそうな作家たちに注目・・ギャラリー川船

2015年04月24日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
ギャラリー川船の現代美術俯瞰展が面白い。
企画した曽根原正好氏と他の画廊でバッタリお会いし、企画の経緯やアートへの思いなど伺う。本展は60~70年代に活躍した、美術史に埋もれそうな作家たちを取り上げたのだそうだ。この時期に活躍した作家やコレクターの協力を得て、実現した展覧会とのこと。



中央にギューちゃんこと篠原有司男の小振りのオートバイが展示されている。ギューちゃんがアメリカにわたる前の作品であろう。いい作品だ。思わず欲しくなるが、非売らしい。現物作品の展示はなかったが、小島信明の頭から布を被った作品も面白い。荒木経惟(アラーキー)の写真作品はやはり見応えある。前衛芸術の草分けともいえる斉藤義重や具体の元永定正の作品もある。それらの中に、「旭出國日本姿図」なるベンチに朝日や富士山を描いたユニークな立体作品があり、作家柴田和氏から解説してもらいながら鑑賞する。作品名は「日出ずる国、にほんすがた図」と読むのだそうだ。活躍した若い頃を思い出したのであろうか、しみじみといい話であった。



いずれも、新しい時代にはいささか古臭く見えるのであるが、当時としては相当斬新であったのであろう。何か心に引っ掛かる作品ばかりであった。

福本健一郎展・・トウキョウ・ワンダーウォール都庁空中歩廊

2015年04月09日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
コレクターのTu氏からお誘いがあり、トウキョウ・ワンダーランド展で入賞した福本健一郎の展覧会を観に行った。

都庁空中歩廊に入ると、入賞作品「オシャレな君に贈る花」が目に飛び込む。私は❝絵はまず色彩にある❞と思うのであるが、アジアの民族衣装の色や柄を使ったこの作品、ユーモアにも溢れ、とてもいい。



作家によると、シンガポールに留学した折、東南アジアの熱帯植物に圧倒されたのだそうだ。しかも、最近は絵画だけでなく、陶芸や木彫にも取り組んでいるとのこと、一つのジャンルに拘る作家が多いが、多様な表現に挑戦するというのはとてもいい。
今回のメイン作品は壺や花瓶などである。特に中央に飾られた壺の作品はそういう魅力が凝縮されたような大作あり、壺が仏像に見えて来る。一時、作家と話をしたが人物的にも好印象の青年であった。

作家を囲んで、Tuさんや、パトロンプロジェクトのM・Kさんと写真を一枚。
 


福本健一郎展 @トーキョーワンダーウォール:都庁第一本庁舎3階南側空中歩廊

2015年04月09日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


壷を描いた作品が多く、壷の口の部分から胴(と呼ぶのでしょうか)へ向けてのラインの美しさや、無二さを感じました。
女性の首筋から肩へのラインを感じさせる壷のラインの数々。壷はドイツ語ではFlasche、女性詞だというのにも納得です。表も裏もないメビウスの輪に似たものとしてクラインの壷がありますが、それが持つ不思議な無限の広がりやつかみどころのない美のようなものが、福本さんの壷の作品にもどこか投影されているような気がします。(山本理絵)

桑田卓郎展 @TOMIO KOYAMA GALLERY(渋谷ヒカリエ8階)

2015年04月09日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


気ままな形に、モダンな色彩。プリミティブな下地に、化学的マテリアルを感じる釉薬(?)のなめらかな艶。対極にあって相性のよくなさそうな二つのものたちが、違和感なく抱き合っている。そんな意外な驚きや感激をもたらしてくれる器たちでした。しかも、こちらが眼を離した隙に、ささっと形を少しずつ変えてしまいそうな瞬間的な表面の立体感。今にも動き出しそうな器の表面を捉えられるかもしれないと、ずっと見つめていたくなりました。(山本理絵)

大谷有花『はなすがた』展、日本人の美意識に根ざした新たな挑戦

2015年01月18日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
高島屋で開催中の大谷有花さん『はなすがた』展を観て来た。会場に入るなり、作家の意気込みが伝わる新たな世界が目に飛び込んで来た。艶のある黒色や深い紫色を背景に美しい蓮の花や花菖蒲が静かに描かれている。




大谷有花と言えば、『キミドリの部屋』で鮮烈なデビューを遂げたのは2000年頃であったろうか。とても印象的な作品であった。描かれているのは、誰も居ないキミドリ色の小さな部屋。そこには思春期の少女の外の世界への期待と不安の入り混じった心情が見えるようで、新鮮な作品であった。


今回の発表作について、❝花をテーマに日本人の感性と美意識をストレートに表現することを意識した❞と語っているが、かつての作品とは違う意欲的なものであった。作家はこの数年、秋田の地で若い美大生たちと地域に密着した活動を進めながら作品制作を続けているが、こういう体験を通じて認識した内なる日本人の感性と美意識からの作品たちは見る者の心に響く。今後の活躍に期待したい。
 

新潟絵屋(代表大倉宏)にて、平澤重信展、開催

2015年01月13日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
 「新潟絵屋」の大倉宏氏(美術評論家)とは、かつて私が主催していたアートNPO活動をご支援いただいたり、砂丘館でのコレクション展を開催していただくなどご縁があり、長くお付き合いが続いている。

 大倉さんに二人の作家を紹介、その展覧会が、今年「新潟絵屋」と「砂丘館」で開催される。お一人は自由美術協会の平澤重信さん、2月18日より新潟絵屋で開催予定である。

平澤重信氏と 左・・平澤重信氏


作品は、絵本「ボクの自転車より」

以下は作家紹介の拙文である。

                    『平澤重信の世界』・・山下透 
    
「平澤重信の作品の主題は過ぎ去りしものたちへの郷愁である。描かれているのは白い煙が立ちのぼる煙突のある家、自転車を走らせる少年、庭の小さな樹や鳥や犬、家に向かう細い道、しかも時刻は夕暮れ、これらは作家の心象風景であり、我々の記憶のなかの心の風景でもある。これらのモチーフがユーモラスに空間に浮遊する作品は、工夫を凝らしたマチエールも美しく、観る人の心にやさしく響く。

しかし、これらの作品が我々を惹きつけるのはそれだけでない。作家は我々に何かを語りかけようとしているのだ。それは豊かな物質文明の中で失われつつある精神への問いかけかもしれない。特に最近の作品からはモチーフが影を潜め、何か宇宙的な世界が開かれつつある。
2014年自由美術展出品作品を見ると、より抽象化が進み、黄色い画面の下から右へ。そして上へと白い煙が流れているが、これは作家の新たなメッセージに違いない。」



平澤重信作品鑑賞のあと、ご夫妻を囲んで盛り上がる

2014年10月10日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩

 画家の平澤重信氏を囲んでの絵画鑑賞の一日。平澤ご夫妻、絵画制作を趣味、いやそれ以上に本格的な奥田良悦氏・三浦康栄氏の他、亡き八田氏の夫人とその仲間たちが集まった。国立新美術館で開催中の自由美術展で平澤重信及びミズテツオ作品を鑑賞した後、青山骨董通りのギャラリー・ストークスに立ち寄る。こじんまりしたスペースだが、落ち着いた雰囲気のいい画廊だ。屋上にテラスがあり、暫しの時間、夕暮れの骨董通りを見下ろしながらワインをご馳走になる。この後、南青山のパブに場所を移して懇親会。皆、絵心のある人ばかりなので、絵画技法なども含めて話題が盛り上がる。




 平澤氏ご夫妻は共に獣医、平澤氏が研究医で奥様が臨床医、展覧会にも連れだって出かけているご様子。重信さんは酒は呑めないのにニコニコと話題を盛り上げる。穏やかでやさしいお人柄の方だ。人間的にも素晴らしい。


 平澤作品のイメージは、白い煙が立ち上る煙突のある家や自転車を走らせる少年など作家の心象風景であるが、我々の記憶にある心の風景でもあり郷愁を誘う。最近、芸術新聞社から「ぼくの自転車」なる絵本を出版されたが、その作品はどれも素晴らしく、子供たちだけでなく大人にも夢を与えるものばかりである。
 下記作品は自由美術展出品作品「煙の行く先」である。従来の作品に比べると、より抽象的かつ洗練された雰囲気で、新たな展開を予想させる。まさにこの煙はいずこに向かうのであろうか。

森本猛展 @ギャラリーゴトウ

2014年10月02日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


 昔、田舎道を自転車をこいで通学していた時のこと。夏から秋に確かに変わったと感じる1日があったそうです。それは、頬をなでる「風」に感じたと森本さんは言います。その時の「風」の感覚をずっと求めてきたとのこと。目には見えない皮膚感覚の視覚化に約四半世紀、向き合い続けてこられたわけです。それほどまでにかけがえのない感覚、皮膚細胞を鋭敏に総動員させて鑑賞したくなります。すると、ガーゼのような微妙で微かなイメージが伝わってくるような。(山本理絵)

野田裕示展 @ギャルリー東京ユマニテ

2014年09月22日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


 作者が何を思ってとか、何を伝えようとしてとか、どんな意図を持ってとか、何を描こうとしているとか、そんなことを一切考える前に、見た瞬間、圧倒的な存在感と親和性を以て迫ってくるものを受け止めた気がします。理屈も嗜好も概念もぴゅんと飛び越えて、左脳を置いてきぼりにして、握手したくなる。私にとってはそんな作品でした。(山本理絵)

伊藤彰規展 @ギャラリーゴトウ

2014年09月22日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


 故郷の北海道・北見で目にしたブルーと留学先のフランスで目にしたブルー。2つの国で刷り込まれたブルーという色彩の記憶をベースに作品が産み出されているそうです。濃かったり淡かったり、青みがかっていたり赤みがかっていたり、鮮やかだったりくすんでいたり。さまざまに違うブルーたちが、画廊の壁を彩っていました。伊藤さんの記憶の中に蓄積された視覚的風景のブルーだけではなく、描く瞬間に心象風景として作用するブルー。2つが掛け合わされて描かれるのではないかと想像します。(山本理絵)

高橋克之展 @東邦画廊

2014年09月16日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


 キリンの顔の中を人がくぐり抜けていたり、建造物に人が佇んでいたり、ヘビみたいな人みたいな生き物が並んでいたり。一見、私にはさっぱり分かりません。でも、分からないと突き放すのではなくて、分からないけど何か「含み」を語りかけてくる気配。不気味な印象が否めないものの、どこかに相反する温もりが潜んでいるのです。後日再び目にした時、それは線にあるのではと思いました。間近に見るとよく分かります。カオスのようでフラクタルなようで、どこか有機的なにおいが漂っている。分野が違うのかもしれませんが、シャールズ・シュルツが病気による腕への影響で偶然生まれた線、ディック・ブルーナがゆっくりペンを進め描いた何百本から選んだ線に、勝手ながら共通点を感じるのです。直線に神は宿らずというフンデルト・ヴァッサーの言葉も浮かんできます。(山本理絵)

❝銀座の夫婦善哉❞の悲喜こもごも人生にエール

2014年09月03日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
このところ、東邦画廊を訪ねる機会が何度かあった。山口長男や難波田龍起などの名品を見ることができる楽しみがあるからであるが、ご夫妻との会話も楽しい。以前ブログにご夫妻のことを❝銀座の夫婦善哉❞と書いたが、まさにその通りの人生である。
私は勿論絵が好きであるが、人間も好きだ。絵を商っている画廊主やコレクターの生き様を見て感動することもあれば学ぶこともあるが、特にご夫妻の人生には共感できることが多い。こういう出会いがあるのもコレクター人生の醍醐味かもしれない。いい絵を見ながら人生を語り合う、贅沢な時間に感謝!


この日も作品鑑賞の後、お誘いいただき京橋の美々卯で会食したが、お二人の思い出話にしみじみ感動、笑い転げてしまった。中岡氏は若い頃、故郷愛媛を出て苦労しながら上京、紆余曲折の末画商となるのであるが、当初は店を持たない風呂敷画商。見かねた某大手商社の役員が貴賓室を提供してくれ、暫らくここを倉庫代わりに営業していたとのこと、これは中岡氏の人徳によるものであろう。その後日本橋に画廊を開設、初日に来てくれた東郷青児に「あんまり狭いので倉庫かと思った」と言われました、と楽しそうに語る。
奥様は某銀行のOLであったが、思うところあり、東邦画廊に応募したのだが、画廊で最初に見た山口長男の絵にいたく感動したというから、元々絵心のある女性であったに違いない。ご親戚に日本画家速水御舟、兄上が画家であったことを伺って、納得。


 イタリア赤ワインで乾杯

思うに、中岡氏は自分の信念を貫くが故に群れない人、孤立無援の人生をを楽しんでおられる人とお見受けしたが、それを支えているのが奥様である。毎朝早く、奥様が茶をたて、中岡さんが庭の花を摘んで生けるなど粋な人生を送っておられる。素晴らしいではないか。お二人の夫唱婦随人生にエールをお送りしたい!
 



山田純嗣展「絵画をめぐって 反復・反転・反映」@不忍画廊

2014年09月02日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩


 古今東西のいわゆる名画をモチーフに、まずは描かれた対象をそっくりそのまま石膏で立体化。そして、それを撮影。一面雪景色のような白い陰影だけの写真に銅版画を重ね、さらに色を塗ったり、レースのような細密な絵を白でびっしりと描き込む。簡単に書くなら、こんな工程による作品を山田さんは生み出しているそうです。
 あえて立体に戻してから再び平面化するという工程の意味するものはなんでしょうか。名画の作者の視点や思考を、手と身体と頭を動かして辿り直すことで、絵画の通常の鑑賞法では感知困難な何かを抽出しようとしているのではないかと想像します。感知困難な何かとは、時代と国境を超えて、見る側を感動させたり素晴らしいと思わせたり共鳴させるという、名画たちが絶対的に内包している要素。それはもちろん、平面に表現された名画からも感じられるはずですが、はっきりと感じられないものも存在している。それを貪欲に探究した成果が、山田さんの作品なのではないかと思うのです。ですから、視覚的には元の名画よりも色が淡く輪郭がぼんやりしていても、逆に、内包されている要素は増感されているのかもしれません。山田さんのオリジナリティが融合されながらも。
 たとえるなら、この作品は、複雑な数字や数式を因数分解してゆくことで初めてポッと表れる因数や素数を追い求めた末に、美しく整えられた解答式。山田さんはもしかしたら理数系頭脳の持ち主ではないかと推測してしまうのです。(山本理絵)

不忍画廊の山田純嗣展・・絵画とは何かへの新たな挑戦

2014年09月01日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
この展覧会、作品にも惹かれるところがあったが、その制作プロセスに興味が湧き、二日続けて出かけてしまった。
展示されているのは、モネの睡蓮や雪舟の「秋冬山水図」ジャクソンポロックの「ONE・Number31」等、東西の名画を独自の手法で作りあげた作品である。制作技法はいささか難しい。・・まず名画の中の風景や静物などモチーフの立体を作り、これを撮影した写真に銅版画を重ね、樹脂を塗って作り上げるというものだが、その制作プロセスが難解で、アーティストトークも真剣に聞いてしまった。


つまり作家の言によれば、これらの作品は‶絵画の実体に触れることなく、写真から版へと反映・反転させて制作する”訳で、これはいったい絵画なのだろうかと考えてしまう。しかし、実は山田純嗣の狙いはそこにあり、これは「絵画とは何か」を探る挑戦なのだと思う。ポロックなどアメリカンアートの旗手たちが、かつて、印象派の絵画を乗り越え新たなアートに挑戦したように、作家は日本の現代美術に一石を投じようとしているのに違いない。


作品も魅力的だ。「睡蓮」はパールの絵具を使った蓮が光沢を放って立体的に浮き上がり、一味違う雰囲気を醸し出している。ポロックの「ONE」はニューヨークに行く度に見る好きな作品だが、山田作品は原画とは違うオリジナルな世界を実現しており、その独特のオールオーバーの表現が美しい。




なお、二日目は美術ジャーナリスト藤原えりみ氏との対談であったが、藤原氏の見識あるインタビューが山田氏の作品制作の姿勢や理念をうまく引き出し、レベルの高いアーティストトークであった。

保多棟人遺作展 @文藝春秋画廊

2014年08月30日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
  

 鋭い眼差しが残像に焼き付く自画像の主・保多棟人さんがメインテーマとしていたのは「平久保の椎」という大樹。それを描いた作品が何点か展示されていました。どの樹も、風景としての樹、どっしり佇む樹、大自然の力で包み込んでくれる樹、としての対象ではないように感じられます。生き物としての樹、戦い続ける樹、挑みかけてくる樹、といった様相。樹の幹や枝や葉の隅々まで、人間と同じように筋肉や血が通っているよう。まるで筋肉隆々とした人間の裸体。力強い生命力がみなぎっているのです。そんな裸体が無言に訴えかけてくる何かを、保田さんはキャンバスへと映しとり描いたのではないか、という気がしました。音に変換するなら、低く静かな慟哭。耳を塞いではならない言葉たちが轟いてくるようです。(山本理絵)