「なだらかな稜線の山の絵だ」「鮮やかな色彩の空だ」「やさしい目をした人だ」「ユニークな構図だ」などなど。絵画も写真も一目見た時に、まず何かしらの、分かりやすく言葉に変換しやすい第一印象を、見る側に与えてくれるものではないでしょうか。そういった第一印象が作品の扉のドアとなって、見る側を扉の前に立ち止まらせ、ドアノブにすっと手をかけさせ、作品の世界へと誘ってくれる。
ところが、エスコート役を担ってくれる第一印象というものが見あたらない。倉知さんの写真はそんな作品だと思いました。ボーッと歩いていては、扉の在り処にさえ気づかず通り過ぎてしまう。ですから、見る側には、意思を持って、感受性を開放させて、何かを求めることが必要とされる。作品に対して能動的な意識を投げかけて来る人にだけ、心を開いてくれるように感じられるのです。
写真展のタイトルは「森を抜ける道」。軽井沢の森で、さまざまな季節、さまざまな時間に撮影されたカラー写真の空間には、木々の枝が無造作に伸び、葉が生い茂り、光が差し、日陰が身を潜めています。道はどこを通っているのか、ぼんやり不明瞭。倉知さんの意図は深い森の向こう側。こちらに向かってはっきりと主張してくることも導いてくれることもありません。けれども、森に向かって目をじっと据えてみたり、耳を静かにそばだててみたり、肌の表面を研ぎ澄ませてみると、やおら目の前の写真が語りかけてきてくれる。その主題も、内容も、人それぞれ。対峙の仕方次第なのです。見る側の意識が存在して初めて、作品としての顔をのぞかせてくれる。そんな森であり、道であるような気がします。
そして、作品がこちらに心を垣間見せてくれた瞬間、気づくのです。いかに私たちが、周囲に何気なく息づいている自然やモノの驚異を見過ごしてしまっているかということに。その昔、陶器の包み紙として海外に何気なく流出していた浮世絵が、国外で初めて芸術として評価されるようになった事象が思い出されます。(山本理絵)
(ギャラリーモナ 東京都港区麻布十番2-11-3)