TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

「注目の現代作家と画廊散歩」
「我がルオー・サロン」
「心に響いた名画・名品」
「アート市民たち(コレクター他)」

3人の画家の方たち

2012年09月08日 | 気になる展覧会探訪
 市民派アートコレクター・山下さんと銀座でばったり遭遇。その流れで、3人の画家のみなさまと集う場に、いきなりご一緒させていただくこととなりました。3人とは初対面。私はシロウトですから、失礼ながらお名前も作品も存じ上げません。画家・3人のお名前は、奥田良悦さん、矢野素直さん、三浦康栄さん。
 奥田さんは、表情までをも大きく蟻を描く作家さん。矢野さんは、中川一政の孫弟子。三浦さんは、休日画家を長年貫いてきた方。3人の口からは、絵や美術に対する思いが次から次へと展開していきます。古今東西・画家の話、ギャラリーの話、コレクションの話、などなど、それぞれの強烈な個性が、会話からも表情からも、ぐいぐいと伝わってくることもあって、シロウトの私もその世界に楽しく惹き込まれていったのでした。芸術家の方には、眉間にシワ寄せて喧々諤々緊迫ムード、というイメージがな~んとなく持たれがちですが、そんなイメージは一瞬にして彼方へ。みなさん、ご近所の愉快で気さくな人たちという雰囲気。ドシロウト向きに噛み砕いた解説までつけてくださって、ありがとうございました。
 このようにこの日、私は、3人の画家たちの作品を全く知らずして、先に画家ご本人を知ってしまうという珍しく貴重な体験を得たことになります。そのため、会話の節々から「この方はどんな絵を描くのだろう」などと想像を巡らせることができたのは、個人的な僥倖。目の前にたくさんの画家さんの作品をぶわーっと並べて、「はい、奥田さん、矢野さん、三浦さんの作品がこの中に一点ずつあります。さあて、どれだ?」なんていうクイズがあったなら、どうでしょう。けっこうな確率で私は正解を選び出せるような気がしています、エッヘン、オッホン。…まだまだ甘いね、浅いね、なんて一笑されそう。
 答え合わせをするためにも(正解はないのかもしれませんが)、3人の方たちの個展に行く機会を楽しみにしていたいと思います。(山本理絵)



※向かって左から、奥田さん、矢野さん、三浦さん。
(奥田さんと矢野さんは春陽会に所属しています。)

「平田達哉展」@ギャラリー・しらみず美術

2012年09月07日 | 気になる展覧会探訪


 どの絵も、背景は白。白といってもピュアな白ではありません。シロウトの私には分からない、少しだけ、他の魔法の不純物が加わっているような、真っ白ではない色。なにか有機的で深みを感じる色。その背景がどの作品もとても印象的です。もしや、と思ってご本人に尋ねてみたら、正解でした。平田達哉さんの故郷は北海道道北にある遠軽町なのだそうです。極寒の地ならではの体験談をいくつか楽しげに語ってくださいました。冬はマイナス20度、雪が上からも下からも舞って降るという景色の中で育ってきたからこそ、この背景の色が生まれたにちがいありません。
 背景の上に描かれているのは、山や木々や太陽や生き物や家。緩やかな線や形として佇んでいます。背景は雪なのだとシロウト目に解釈するわけですが、寒々しさや自然の厳しさはみじんも感じられません。むしろ逆。物干竿から取り込む直前のシーツのようなほんわかとしてぬくもりのある雪景色ばかりなのです。
 木の根元だけ背景の色が濃く描かれた作品があります。平田さんが、木の周囲は温度が高いため早く雪が解けることを教えてくれました。ある作品には、そんな木々の間を点々点々点々と、黒い点が並んでいます。よく見ると点々は一種類ではありません。すると「これはキツネの足跡、これはウサギの足跡、これは……」と点々の正体を明かしてくれました。道北の道産子の眼差しというものにも感じ入ってしまうのでした。(山本理絵)


真ん中が作家・平田達哉さん

※ギャラリー・しらみず美術(中央区銀座5丁目3-12 休廊=日)

高原直也展@色彩美術館

2012年09月04日 | 気になる展覧会探訪
 原宿、表参道のメインストリートからほど近い「色彩美術館」。決して一見さんの立ち寄ることのできない秘密めいた立地です。そこで開催されていた「高原直也展」に伺いました。
 世界各地の湖や河や魚や動物や飛行機や船たちがキャンバスに配置されているという作品の数々。湖や動物などは、赤や黒や青に彩色された紙を小さく切り抜いたものです。四角い紙は切り抜かれることで紙から作品へと変身しますが、紙の温かさは携えられたたまんま。不思議な距離感と方向性をもった小世界でありながらも、どこか懐かしさが感じられるのは、そのせいでしょうか。
 作家の高原直也さんは愛媛県川之江市(現・四国中央市)出身。製紙で有名な町です。そんな土地の空気が紙に対する強い思い入れの背景にあるのでは、と奥様はおっしゃいます。今はご夫婦でローマに住んでいらっしゃいますが、古くて分厚い百科辞典を求めて古本屋やノミ市を回ることもあるのだとか。きっと、古くて分厚いだけでは不十分。高原さんの求める紙質のものであることが絶対条件なのでしょうから。そうして発掘された百科事典の横、ページの厚みの部分を細かに削ってつくりあげた作品もあるそうです。
 そんな作品を制作している姿を、奥様でさえ普段は決して見てはいけないことになっています。まるで鶴の恩返し。奥様が決して覗き見をしないから、こうして素晴らしい作品が生み出されているともいえるのでしょうね。(山本理絵)



※色彩美術館(東京都渋谷区神宮前6-25-8 神宮前コーポラス810 休館=日月)

綿引明浩の小さな美術館@BunkamuraBoxGallery

2012年09月02日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
「版画」というと「版木を彫って…」という連想しか浮かべてくれないシロウトな私の頭。彫刻刀の鋭角的な勢いが感じられる野趣に富んだ雰囲気の作品を勝手に予想していました。ですから、綿引明浩さんの「”銅”版画」を、渋谷のBunkamuraBoxGalleryで目にした時、シロウト頭が描いた想像とのギャップに完璧に打ちのめされてしまいました。繊細に曲がる線に、紙とインクの成す凹凸の、やわらかさと温もりときたら。
 そんな「”銅”版画」自体の印象はさておき、です。綿引さんの描くキャラクターたちの発散している、ユーモラスでひょうひょうとした不思議な魅力! 動物や人間の頭が○○になっていたり、手が○○になっていたり、身体が○○になっていたり。固定概念にとらわれずにの~びのび。「いったい、この生き物たちは何をしているの?」「いったい、何を思っているの?」と、たくさんの「いったい?」の芽を発芽させてくれる作品ばかり。もちろん、眉間にシワ寄せての「いったい?」ではなくて、鼻歌まじりになりそうな「いったい?」。そんな「?」をいくつも並べつつ、ずーっと眺めていたくなる絵たちの間を行きつ戻りつ。

 綿引さん曰く「先に頭の中でストーリーを考えてから絵を描く」のだそうです。ストーリーの一部を切り取った絵というところに、ずーっと眺めていたくなる理由があるのかもしれません。作品名もまるで童話や絵本のそれのよう。「高気圧ベイビー」「ネコの音」「自慢の鼻」などなど。作品名を目で追うだけでもワクワクは高まります。
 「”銅”版画」の他、「クリアグラフ」という、絵に透明の板を重ねた立体的な作品も大小さまざま展示されていました。こちらには賑やかな色彩も加わっているうえ、よく見ると、複数の同じキャラクターが別の作品に登場しているではありませんか。作品を飛び超えてストーリーが行き来しているようで、”銅”版画とはまた違う魅力を感じます。
 作品づくりの際に考えるストーリーを、綿引さんは書き留めてはいないそうです。作品を見に来た方たちに口頭で語るだけ。文字に書き留めてしまうと、それに囚われて見る人の空想の世界を狭めてしまうから、とのこと。綿引さんのつくったストーリーのその先は、見る側が自由に想像してつくりあげていく。目に見えないところで、作品はムクムクと成長していくわけです。ギャラリーのあちこちで訪れる人たちに歩み寄っては、ストーリーの一節を口伝しているご本人の気さくな姿も印象的でした。

 もちろん、私にもいくつかストーリーを聴かせてくれました。素敵なお話。ときにロマンチック、ときにファンタジック。でも、その内容はここでは披露しません。やっぱり綿引さんから直接聴くべき。
 こんなにもワクワク感を刺激してくれる「版画」があるだなんて。何度も訪れたくなる遊園地の存在を知ってしまった気分です。(山本理絵)