「親しき仲にも礼儀なし」の韓国人に、礼儀は通じない
日本人の人間関係は「親しき仲にも礼儀あり」です。
しかし、韓国人の人間関係は逆です。「親しき仲にも礼儀なし」が基本となります。
日本人は貸し借りのない関係がよい人間関係を築けると考えるようです。
たとえば、親しい友人関係にあっても、お金の貸し借りはなるべくしない。
お金を借りたとしても、借りた者はきっちり返し「プラスマイナス・ゼロの関係」になるように努めます。
親しければ親しいほど、つき合いに個人的な事情を差し挟まないようにするというのが日本人の人付き合いです。
しかし、韓国人はまったく正反対の考え方をします。
友人関係とは「甘えられる関係」を指すのです。
たとえば、友人がお金で困っていれば、喜んで助けようとします。
逆に、助けられたほうは、もしお金を貸してくれた友人が苦境に陥ることになれば、その時は、この借りを二倍にも三倍にもして返そうと思います。
友達ならお金の貸し借りを頼むのは当たり前、困ったときに助けてくれるものこそ本当の友達だと考えるのです。
貸し借りができてこそ、交友関係が成り立つという考えです。
ですから、友人は礼儀を尽くす相手ではなく、甘えられる存在なのです。
そのような関係を築くことで、本当に親しい間柄になるとも言えるかもしれません。
日本的な人づきあいのしかたがいいのか、韓国的な人づきあいがいいのか、それを一概に言うことはできません。
それぞれの国民性、民族性に根ざした文化であり、いい悪いを決めるような問題でも無いと思います。
ただ、日本人がなかなか感慨の人間と打ち解けることができない背景には、こうした「友人の間柄でさえ一線を画すような人づきあいのしかた」が関係しているかもしれません。
海外には、韓国のように、親しければ迷惑をかけたりかけられたりするのが当然だと考える国が少なくないのです。
欧米でも、そのように考える国が主流のようです。
そう考える人々にとって、日本人のように礼儀を重んじて一線を画すような人づきあいはとても他人行儀にう映ります。
弱みを見せないのは、心を許さないのは、まだ味方とは認めていない意思の表れととられるのです。
仲間なら、手の内をすべてさらけ出していいはずだと考えるからです。
それぞれの国に、それぞれの常識があり、文化もあります。
ときには自分が当たり前だと思っている常識や文化から逸脱してみることも必要かもしれません。
よくに、海外の人間とコミュニケーションをとり、本当に理解し合いたいと思うなら、「親しき仲に礼儀あり」のつき合いを一度捨てて、「親しき仲にも礼儀なし」でやってみるのも良いかもしれません。
お互いに迷惑をかけ合ってこそ、わかり合えるものもあるでしょう。
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