<2012.01.12>
{韓国 金海}
首露王妃陵
金官伽倻国の成立と密接な関連があると言われる龜旨峰(グジボン:現在国立金海博物館の裏山に位置)の東西には金官伽倻の金・首露(キム・スロ)王の夫人の許(ホ)王妃の御陵が位置しています。
首露(スロ)王姫の性は許(ホ)氏で名前は黃玉(ファンオッ)で知られていて全部で10人の子供を産んでその中に2人は母の性を受け継ぎ許(ホ)の性を名乗ったそうです。
そのため今でも金海金(キム)氏と金海許(ホ)氏は一族という考えで2家族間で婚姻できないそうです。
正門の亀南門の前には紅箭門が見えて後ろに許(ホ)王妃陵の墓が見えます。
許(ホ)王妃首露(スロ)王は長生きしてそれぞれ157才と158才まで生きたと記録されています。
許(ホ)王妃が189年157才で亡くなりましたが、首露(スロ)王が10年後の199年に158才で王姫の後を追ったと伝えられています。
王妃が亡くなって10年後にキム・首露(スロ)王が亡くなったが墓を一緒に使わないのは少し疑問点です。
これは二つの考えがなされています。
その一つは当時は夫婦を一緒に合掌する場合がないこと、二番目は許(ホ)王妃の許(ホ)氏家とキム・首露(スロ)王の金(キム)氏家が互いに独自の勢力圏を形成していたからという説もあります。
両方とも全部推測で正確な記録がないから断定することはできないでしょう。
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