朝鮮半島は日本が併合する前は、大きな河川にはほとんど橋がありませんでした。
朝鮮半島では橋を架ける技術が低く、また伝統的に橋脚は四角形の形をしていたため(普通は円柱形)、水の抵抗をまともに受け、洪水が起こるとすぐに橋が流されてしまいました。
日本は、橋がなければ物資や人の流通が滞ると考え、大きな川にいくつもの橋を架けました。
もちろん、朝鮮人の意向を聞かずに行いました。
日本は朝鮮併合をする十年前の1900年に、漢江に1100メートルにもなる鉄橋を架けました。
百年以上前に作られたこの橋は今も使われているほど堅固なものです。
その79年後の1977年、韓国は同じ漢江に同規模の聖水大橋を架けました。
韓国人は「日本が作った漢江鉄橋をはるかに上回るすごい橋だ」と喜びましたが、完成後わずか15年経った1994年、橋の中央部分が崩壊し、32人が死亡するという事故が起きました。
この事故にまつわる興味深い話が伝わっています。
あるおじいさんがこう言いました。
「日本人が作った橋は70年経ってもびくともしないのに、韓国人が作った橋が15年で落ちるとは情けない」
それを聞いた孫がこう言い返しました。
「おじいちゃん、それは違うよ。日本が三十六年も朝鮮を支配していたから、ぼくらは丈夫な橋を作る技術を学ぶことができなかったんだ」
私たち、日本人はこの孫の言葉を重く受け止めるべきです。
台湾で烏山頭ダムを作った八田與一は、今も台湾の国民たちから深く愛されていますが、朝鮮半島でダムや橋を作った日本人は名前すら残っていません。
これは朝鮮人が望んでもいないものを作ったからではないでしょうか。
聞いていますが、それを調べていますが、何せ、
情報が少ないので、まだ、その橋に辿り着けていませんが、
この記事をみて、諦めずに探そうと思いました。
もし、その橋が作られた時、韓国で勝手に日本が作ったにせよ、今もなお、韓国の方の役に立っているとしたら、私は嬉しいし、曽祖父も同じ気持ちだと思う。