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1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国風俗街を歩く・・・・・釜山 玩月洞(ワノルドン)置屋街

2011-12-07 19:06:04 | Weblog
{釜山 置屋街 玩月洞(ワノルドン)をぶら~り・・・・・・・・}


チャガルチでお腹を満たしPIFF広場を通り西方面に歩きます。


西区庁の裏通り・・・・・、この通りを進んでいきます。


途中に警察もあります。

警察の前を通り大通りへ・・・・・・


大通りの横断歩道を渡り、右に歩きます。

交差点に出ます。


交差点の横断歩道を渡ります。


横断歩道を渡り左に行くと薬局があります。


薬局の前を右に行きます・・・・。


少し行くと緩やかな坂道の歩道に出ます。ここが釜山最大の置屋街だった玩月洞(ワノルドン)の入口です。

玩月洞の入口は緩やかな坂道になっています・・・・・。






♨マーク、屋号、店番号が玩月洞のスタイルです。





チマチョゴリなどで着飾ったアガシが顔見世していたものです。


屋号、番号が消されている置屋が多いようだ・・・・・。


太平館


メイン通りから一筋奥の通りですが、この上の奥にも置屋はありました。


2004年の性売買禁止特別法施行後寂れていくばかりか・・・・・。


ほとんどの置屋は屋号が消されています・・・・・。



一番のメイン通り・・・・・
金成館、東宮荘などもこの通りにあった。




最盛期にはやり手アジュンマのひっぱりが多くて通りはまっすぐに歩けなかったものだ・・・・。


18歳未満 出入 雇用禁止業所の青い張り札が貼られています。









この薬局前から玩月洞に入って行きました。

玩月洞(ワノルドン)は、緑町と言われていました・・・・<緑町遊郭時代のワノルドン(玩月洞)>

明治35年7月  富平町特別区に特別料理屋(遊郭)の営業が領事館から許可が出ると次々特別料理屋が増え、遊女が釜山に渡って行きました。

現在の富平洞2街と3街の間の道が通称で地獄小路と呼ばれ歓楽街として繁盛していました。

明治40年釜山理事庁は風紀上の取締りを強化するため市街地から離れた山裾の場所に遊郭を選定して、そこの中だけの営業を認めることになりました。


3年以内に移転するよう命令しました。

残った建物は釜山居留民団が買い取り、通常料理店や、旅館に転売することになりました。

買収価格で多くの問題が出たのは当然です。
3年の予定が5年かかりました。


明治45年1月 緑町遊郭が誕生しました。
15戸の料理屋が営業を始めました。

釜山の人口増加に合わせて遊郭も規模が大きくなっていきました。

大正3年:1丁目19戸:2丁目15戸、昭和14年の統計も同数の楼があります。



昭和5年の釜山の職業別地図で見る遊郭の配置

緑町1丁目は大きな郭(くるわ)で緑町二丁目は小さな店が並んでいます。


大東亜戦争で米軍に敗戦した日本は占領軍の米軍の命令で 朝鮮地域にいたすべての日本人は着替えなどの手荷物だけを持って残りすべての財産を置いて帰国するようになりました。

日本人町としての釜山は消え、緑町遊郭も当然 無くなりました。


緑町の残った建物を利用して韓国人が売春宿を始め、町名も緑町から「玩月洞(ワノルドン)」と代わり歓楽街となりました。

朝鮮戦争で避難民が押し寄せ釜山の人口が戦前の10数倍になり、歓楽街も規模が大きくなりました。


その後 いろいろあったようですが 途中経過は省略いたします。

歓楽街のイメージを消すため 朝鮮の救国の英雄として名高い「李舜臣」の号の「忠武洞」に地名も代わりました。


韓国には四大置屋という有名なところがある(あった)らしい。
①ソウル清涼里の588 ②釜山の玩月洞 ③仁川のイエローハウス ④大邱 桃園洞のチャガルマダンの四ヶ所だ。


その中の一つが、釜山のワノルドン(玩月洞)だ。


2004年9月の性売買禁止特別法施行後はすっかりと寂れている。

そんな街をぶら~りと歩いてみた。


金成館、東宮荘、東洋館、張春館、天馬館、韓成館、玉成館、美人館、慶成館、徳成荘、栄賓館、国一館、東園、大成館、一心館、天一館、韓日館、富成館、有成館、月成館、多来館、鹿園荘、福成館、京都館、現代館、香林館、華成館、香林館、新泉館・・・・・・・・など等。


華やかなころは赤いランプに照らされた飾り窓にテレビを見ながらチョゴリやドレスで着飾ったアガシがずら~と並んで座っていて客を待っていた。

赤いランプは肉屋の肉でもよく見るが、どうやら アガシがきれいに見えて客の欲情をそそる効果があるらしい。

遊郭街の中は好みのアガシを探す輩や客を待つタクシー、酔っ払いなどで賑わっていたものだ。

お店の前ではやりてばあさんが客をひっぱている、一度おばさんに捉まると3人くらいに捉まるので腕をつかむ者、腰のベルトをつかむ者、荷物をつかむ者で、も~逃げようがない。

最盛期には、おそらく数百人いや千人以上のアガシがいたのではないかと思われる。


ここではアガシの部屋に泊まることができる。

部屋には風呂シャーワー、冷暖房、テレビ、ステレオ、コーヒー、大きなダブルベッドなどが備わっていて快適に過ごすことができた。

若いころは連泊したりショートのハシゴをしたものだ。

30数年前は木造の建物が多かったがほとんどがソウルオリンピックの前あたりまでには建替え改装などが進んでほとんどがコンクリートの建物になっている。

そんなワノルドンも今はほとんどの店が看板をおろしていて一部の店が細々と営業しているようだ。



寂しくもあり懐かしくもある玩月洞(ワノルドン)だ。




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