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東大門市場から清渓川(チョンゲチョン)へ

2009-03-23 05:59:46 | Weblog
東大門市場をぶら~り、平和市場の前は清渓川だ。
ソウル中心部に市民の憩いの場が完成、約30年ぶりに復元した“清渓川”청계천だ・・・。

2005年10月1日に行われた完成イベントに集まった人の数は当日から連休の3日間でなんと約15万人!行かれた方はご存知だと思いますが、ホント!押しつぶされそうなほどすごい人だったようです。その大混雑から比べれば今はずいぶん落ちつき、市民の憩いの場として早くも定着している清渓川。近くを通るたびに朝早くから運動している人、夜遅くライトアップされた川辺でデートしているカップル、子供からおじいちゃん&おばあちゃんまで!いつ行ってもたくさんの人でにぎわっているソウルの新しい名所です。

清渓川は約30年前までソウル中心部の西から東に流れていた全長約8kmの川。仁王山や白岳山南部、南山北部の山麓に端を発し、東大門(トンデムン)を過ぎたあたりから南下、中浪川と一緒になり漢江へ流れていた清渓川。李氏朝鮮時代にはこの川を境に北側( 現在の景福宮と昌徳宮の間の三清洞あたり)を「北村(プッチョン)」、南側( 現在の忠武路、明洞あたり)を「南村(ナムチョン)」といい、地理的だけでなく、政治や社会、文化的にもソウルを分け隔てる川だったとか。 特に鍾路近くの橋の周辺は商人たちが集まる中心地として活気にあふれ、川辺は庶民たちの集落として、都の中でももっとも人口が密集していたエリアでもあったそう。

当時から市民の生活排水を流す清渓川は下水の匂いや洪水などの問題が常にあり、幾度の工事でも改善されず、結局1978年までに川を暗渠化する工事が終了。その後はソウルの高度成長のシンボルともいえる高架道路が川の上に建設され、清渓川はソウルか完全に消えてしまったんです。しかし、1968年に建設された清渓川高架道路が築30年を経て老朽化し、補強や大型車両の通行が規制されるなどの対策がとられましたが、そのままでは危険な状態となりました。そこで高架道路を作り直すか、以前ここに流れていた清渓川を復元させるかで大議論となり、2002年の市長選挙で清渓川復元を公約に掲げたイ・ミョンバク市長が当選。一気に清渓川復元事業が具体化することになりました。清渓川高架道路を撤去し、河川を復活させる都市再開発事業では世界でも例がなく、世界的にも注目されていた大工事。そうして2005年の10月、とうとう清渓川が復元されました・・・。

復元された清渓川はソウル中心部の光化門の「清渓広場」を基点に、鍾路、東大門、馬場洞あたりまでの全長5.8キロ。徒歩だと所要時間は2時間~2時間半。けっこういい運動になります。草花がただ生えているだけの川辺ではなく、22のさまざまな橋がかかり、ところどころに展示や滝、噴水、壁画スポットがあったり、歩いているだけでも飽きない設計も魅力です。清渓広場・橋などの横に不規則に設置された階段を下りて、地上から川辺の散策ロードへ、清渓川を歩いてみてはいかがでしょう・・・・・。

川辺でのんびりした後、恵化に向かった。

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