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光山金氏一族の樹木葬

2009-06-28 09:31:27 | Weblog
 朝鮮王朝500年の間には名門家系が多く、家系ごとに特徴があった。全州李氏や東莱鄭氏、青松沈氏、清州韓氏は丞相(じょうしょう)を10人以上輩出し、安東権氏、南陽洪氏、坡平尹氏は科挙及第者を最も多く輩出した。延安李氏は丞相8人、科挙及第者250人、清白吏(不正や腐敗のない公正な官吏に与えられる称号)6人のほか、各分野で大物を輩出し、「三韓(朝鮮半島南部に存在した部族とその地域で、馬韓、辰韓、弁韓を指す)の甲族(名門家系)」に挙げられている。一時期、安東金氏は「金貫子(金のひも止め)、玉貫子(ヒスイ玉のひも止め)が宝物」と語った。これらは、正三品(官位の一種)以上の堂上官(正三品以上の高官)だけが着用を許された装飾品だった。つまり、それだけ多くの高官を輩出したということを意味する。


 このような門閥リストの中でも光山金氏は特有の地位を誇る。丞相は5人しか輩出していないため10位圏外だ。科挙及第者は265人で6位にとどまっている。王妃も一人しか輩出しておらず、ほかの家系に比べ見劣りする。しかし、光山金氏は朝鮮時代屈指の両班(貴族)一族だ。文臣の最高位、大提学(朝鮮時代の弘文館・芸文館の最高官職)の輩出者が7人と最も多かったからだ。


 光山金氏の栄光を絶頂に引き上げたのは、宣祖-仁祖時代の金長生(キム・ジャンセン)だった。金長生は栗谷学派(朝鮮時代を代表する儒学の2大学派の一つ)の体系を継承して礼学を集大成し、朝鮮時代後期に礼と風俗の指針を与えた。『朝鮮王朝実録』では金長生について、「古今の礼説を見出し明快に解釈したことから、変礼(変則的な礼説)に遭った人々が金長生に尋ねた」と明記している。金長生以降、光山金氏から3代続けて大提学が輩出された。


 慶尚北道の安東を墓所としている光山金氏の道峰公派が、28日からすべての葬儀を樹木葬(火葬した遺骨を木の横に埋葬する葬法)にすることを決めた。墓石などを設けず、火葬して遺骨を同地周辺の樹木の根元に埋葬するという。今や樹木葬が世間に広まったとはいえ、一族レベルで樹木葬を執り行うケースは初めてだ。


 韓国の墓地の規模は平均19坪(約62平方メートル)。一人当たりの住居面積が4.3坪(約14平方メートル)というから、死者が占める土地の割合が生きている人間の4倍を超えることになる。過去に両班の家柄がその威勢を誇示しようと、豪華で大きな墓地を建てた。もっとも道峰公派は金長生の直系ではない。しかし、朝鮮礼学の巨匠を輩出した家系の一員が新しい時代の流れに合わせて、簡素で自然環境にやさしい葬法を先駆けて実践するのは喜ばしいことといえる。金長生も「礼の本質は不変だが、礼の形式は時間や場所、対象によって変化する」と論じていることから、今の時代の樹木葬に対し敢えて異議を唱えたりはしないような気がする。


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