ニューヨークやロンドンなどを歩いている東洋系の男を見分ける確実な方法があるといわれます。
ひとりでうつむいて歩いていたり、向こうから来る人と目があったときにフッと目をそらせば日本人。
逆に堂々と背筋を伸ばしていたり、向こうから来る人をグッとにらんだりすれば韓国人、と決まっているんだそうです。
つまり韓国の男は、屈折していない。
まっすぐ。
ストレート。
押しが強い。
独占欲が強い。
自尊心が強い。
男らしい。
単純。
「俺について来い」というタイプが多いというわけです。
実は韓国にもそうでない男はたくさんいるのですが、そういう人はやはり社会の前面には出てこないのです。
たとえば男子トイレに小用の便器が三つあるとします。
トイレに入ると先客は誰もいなかった。
どの便器を選ぶかは、完全に自分の意志によって決定できる。
このようなとき、日本人ならたいていの男が端の便器を選びます。
しかしこれが韓国人なら、ほとんどの場合、真ん中の便器を選びます。
自分がすべての決定権を持つという幸福な立場に置かれているのに、どうして権利を行使しないのか、というわけです。
ここは自分の世界だ!このトイレを支配するのは俺だ。
トイレの中心で自尊心を叫ぶぞ!というわけです。
実にわかりやすい世界観です。
実は韓国人は日本にやってくると、日本社会ではこのようなストレートでわかりやすいしくみになっていないので、大いに戸惑ってしまうのです。
トイレの便器の問題でいえば、日本人の場合、なぜ真ん中の便器を選ばないかといえば、それには二つの理由があります。
まず、真ん中だと、後からやってきた他人に左右両側を囲まれる可能性があるので、できるだけ自分を露出・主張したくない日本人としては、右側か左側の片方しか他人に晒されない端っこのほうが好ましいといえます。
もうひとつの理由は、他人に対する「思いやり」です。
すなわち自分が真ん中を選べば、次に入ってきた人は当然右か左の端を選ぶわけですが、どちらの場合も真ん中にいる隣りになるので自己を晒すことになります。
つまり後から入ってきた見知らぬ他人が、いやな思いをするわけです。
ところが自分が端を選べば、後から入ってきた他人はもう一つの端を選ぶことができる。
すなわち他人に不快な思いをさせないで済む。
そのような思いやりから、日本人は端っこの便器を選ぶ、ということです。
真ん中の便器を選ばないことがなぜ他人に対する思いやりになるのか、おそらく韓国人にはさっぱり理解できないことでしょう。
日本には、このように、日本人にしか理解できない、いや、日本人にすらほとんど理解不可能に近い、いろいろな「思いやり」「心遣い」「気遣い」「配慮」「気配り」があります。
他人を不快にしない、他人に迷惑をかけない、という価値が至上のものとなってしまって、それが逆に不快感を引き起こしていることすらある。
それに比べれば韓国人は自己の願望や主張をずっとストレートに表現し、摩擦を恐れません。(ただし自分の願望が利己的な欲望だと思われるのを避けるため、たいてい理屈で鎧ます)
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