韓国人特攻隊の慰霊碑は許されない
女優の黒田福美さんが韓国で計画した韓国人特攻隊員慰霊碑建立の話、せっかく現地に建立しながら結局は地元の反対にあって撤去を余儀なくされたのだ。
2008年のことである。
黒田福美さんは韓国通で知られる。韓国関係のエッセイも何冊かあって韓国の事情にはそれなりに通じている。
韓国のテレビ・ドラマにも出演し韓国では有名人であり評判もいい。
彼女はある思い入れから韓国人特攻隊員の慰霊碑建立を思い立った。その魂を故郷に連れ帰って慰めたいと、韓国南部の出身地に建立の計画をした。
その特攻隊員は「光山文博少尉」で韓国名は卓 庚鉉。彼は出撃前夜、特攻隊員の母として慕われた食堂の女主人、鳥濱トメさんの前で民謡『アリラン』を歌ったことで知られる。少なくとも14人の名前が分かっている韓国人特攻隊員の象徴的な存在になっている。
計画は曲折もあったが、遺族は彼女に志に賛成し感謝していた。最終的に場所は市当局が敷地を提供するという故郷が近い慶尚南道・泗川市に決まった。ところが除幕式の当日、これに反対する地元住民らが阻止に押しかけ警官隊も動員されるなど大騒ぎとなり、除幕式は流れてしまったのだ。
「特攻隊員は日本に協力した親日派だから認められない」「靖国に祀られている人物の記念碑など認められない」というのだった。
市当局も反対せざるを得ず、慰霊碑は撤去を余儀なくされた。
その後は韓国のお寺に保管されたまま陽の目を見ないでいる。
計画した彼女は韓国の事情をよく知っている。「帰郷祈念碑」とされた慰霊碑も単なる慰霊ではなく、後生への歴史の教訓として ゛平和記念゛を込めてあった。
むしろ「平和祈念碑」的なものだったといっていいが、それでも韓国の反日は許さなかったのである。
戦死した韓国人特攻隊員は日本人の手で(特攻隊員として)帰ってきたから許されなかったのだ。
彼女の慰霊碑計画はその魂を故郷に帰すという発想だったが、太平洋戦争(大東亜戦争)時に沖縄の海に散った(特攻隊員)として慰霊碑に刻まれていたのでは、韓国人の歴史観からすると認められないのだ。
特攻隊員であったことを消し去り「日帝の犠牲者」として堂々と故郷に帰れるというものだ。
遺族は認めても韓国の反日思想、そしてその歴史観からは認められなかったのである。
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