親が子に財産を相続させることは、「相続税」もあるし、「遺留分制度」もあるし、制度的側面は、日本と韓国はそうかわりません。
ただ、韓国では「贈与」の形で、「生前」に子に財産を相続させる人が多くいます。
韓国では「ちゃんと相続させずに死んでしまうと間違いなく家族喧嘩になる」という、誰が言ったか分からない格言のようなものがあります。
それに従っているだけかもしれません。
ただ、「節税」という見方もできます。
死んだ後に子に財産を相続させると、一気に財産が動くことになるため、その分、相続税も高くなります。
でも、贈与の場合、何回かに分ければ、時間がかかりますが、その分、税金(贈与税)が安くなるためです。
ただ、孝道契約書を書いたり書かせたりする人たちは、実はそんなにすごい財産を持っている人たちではありません。
彼らにとって、財産贈与は、ある種の「老後対策」です。
「孝」は、経済成長の役に立ちました。
「考の最高のかたちは親の面倒は子が、特に長男が見ることに表れている」という認識が社会を支配していたため、その分、国は国民の福祉に使うお金を節約できました。
1980年代までは、「国が福祉システム(老後対策など)を用意すべきだ」とする主張は、「親不孝者」の言い訳のように認識されていました。
ただ、当然のことですが、それから韓国社会でも「親の老後において、本当に子がすべての責任を背負うべきなのか」という疑問が広がりました。
韓国保険社会研究所が発表した韓国の「世帯構成(2015年版)によると、「長男には父母の扶養責任がある」という認識を持つ韓国民はわずか2.0%しかいませんでした。
この集計が始まった1998年にはまだ22.4%が残っていたので、急減したと見ていいでしょう。
「父母の扶養はその家族の責任だ」と考える国民も、31.7%まで下がりました。
同じく1998年の89.9%に比べると、こちらも急減です。
半面、「親の扶養は家族以外の責任だ」(高齢者の老後問題は社会が責任を取るべきだ)と考える韓国民は、51.7%まで上がりました。
1998年にはわずか2%でした。
1998年となると、韓国が経済破綻した直後です。
やはり、この時から韓国民の「考」の考え方が大きく変わったと見るべきでしょう。
対価なしに親の面倒を見る、そんな子がいなくなってしまったのです。
経済的余裕がなくなった、また「これから良くなる」という希望が潰えたという現実的な問題があるのは百も承知ですが、それでもやはり息苦しい変化には違いありません。
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