朝鮮戦争時、駐留米軍を相手にする風俗店は非合法の組織が関与していたため、膨大な金額が地下に流出していた。
これを、国営の慰安所に切り替えて外貨獲得を行なったのが国営妓生制度であり、「米韓従軍慰安隊」である。
米韓従軍慰安隊は、米韓が共同でつくったもので、韓国政府は“洋公主“と呼ばれる売春婦を登録し医師の診断書の所持を義務付けた。
米軍憲兵は、基地村内の売春地区の整備を行ない、性感染症の流行を防ぐため性病感染の疑いのある売春婦を拘留した。
これが、従軍慰安婦のはじまりで、韓国政府や米韓軍部がつくりあげた公的制度だったからこそ、“従軍“なのであって、日本政府が関与していなかった旧日本軍の韓国人慰安婦は、世界中どこの戦場にもあった“戦場“慰安婦にすぎない。
従軍慰安婦は、「慰安婦に広義の自由はなかったので日本軍による強制連行といいうる」(河野洋平)などという曖昧なものはないのである。
朝鮮戦争以降も、韓国政府は売春を取り締まるどころか、キーセン売春を外貨獲得の手段として奨励した。
ソウルのキーセン・ハウスは「青雲閣」「大苑閣」「三清閣」が「三閣」と呼ばれ、老舗の「梧珍庵」が閉店したのは、2010年だった。
キーセン観光は、日本人旅行客のための“買春“ツアー企画で、相手をするキーセンは、国家公認の売春婦だった。
ソウルに着くと、キーセンと見合いのあと一緒に食事をしてホテルに同泊した。
商用でソウルに行っても、夜、数人の若い女性をひきつれたホテルのボーイがドアを叩くありさまで、キーセンが呼ばれるパーティで指名せず引き上げると、やり手アジュンマから詰められる始末だった。
韓国で売春が日常化しているのは、妓生が国家の中心的存在だった高麗や李氏朝鮮時代からの伝統なのである。
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