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金賢姫元死刑囚、韓国で9年の逃避生活  大韓航空機爆破事件の実行犯

2011-08-16 17:47:19 | Weblog

「身の危険を感じ、子どもをおぶって逃げた」

 

 1987年11月に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚(写真)は15日「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代、大韓航空機爆破事件を“国家安全企画部(現在の国家情報院)による謀略事件”に仕立て上げようとするテレビ番組に出演しないという理由から、私の居住地の情報が漏らされた。私を殺害するために、北朝鮮の暗殺団を呼ぶようなものだった」と語った。

 

 

 金元死刑囚は、本紙のインタビューに応じ「一般市民や労働者の政府といいながら、(大韓航空機爆破事件での)中東出稼ぎ労働者の犠牲を政治的に利用した。私が頑張ると、国家機関から“外国に移民しろ” “ほかの地域に移れ”と脅迫された」と語った。さらに金元死刑囚は、2003年11月の深夜にMBCのテレビ番組『PD手帳』のチームが自宅を訪れた後、子どもをおぶって家を抜け出し、現在も身を隠していると付け加えた。

 

 金元死刑囚は「大きな罪を犯した私を生かしておいたのは、大韓航空機爆破事件の唯一の“証人”だったから。私は、一人であっても、真実のため戦うしかなかった」と語った。

 

 また金元死刑囚は、その当時世論づくりの先頭に立っていたカトリック正義具現司祭団に言及し「北朝鮮の政権は神も否定する。そんな政権が起こした事件を、韓国がやったとなすり付けているのだから、司祭の服を着ていても本当に神を信じているのかどうか分からない」と批判した。

 

 その一方で金元死刑囚は「大韓航空機爆破事件直後、バーレーンの空港で正体がばれ、たばこに隠していた毒薬のアンプルをかんで自殺しようとしたが、死に切れず、苦しんだ。韓国に送還されたら秘密を洗いざらいしゃべらされて、八つ裂きにされて死ぬのだろうと思った」と語った。

 

 大韓航空機爆破事件とは、1987年11月29日、バグダッドを離陸しソウルに向かっていた大韓航空858便が、ミャンマー近海の上空で爆破された事件。乗客・乗員115人全員が死亡したが、そのほとんどは韓国で働く中東の出稼ぎ労働者だった。1988年のソウル五輪開催を妨害しようとした北朝鮮のテロと判明したが、当時の大統領選挙日と重なっていたため、さまざまな疑惑が持ち上がっていた。

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