대구(大邱)にも、達成公園入口の右手の도원동(桃園洞)一帯に遊郭があり、「チャがルマダン」(砂利の庭)と呼ばれています。
日本では秋田美人などと言われていますが、대구(大邱)も美人が多いと言われています。
遊郭がつくられたのは1916年(大正5年)頃。
1922年(大正11年)、娼婦たちが逃げたらすぐ分かるように、周りの桃園に砂利を敷き詰めたため「砂利の庭」(チャがルマダン)と呼ばれたと言います。
湿地帯だったため砂利を敷いたという説もあるようです。
解放後(終戦後)の1947年(昭和22年)、米軍によって公娼は廃止されたが、簡単にはなくならず、地下に潜っただけだった。
「チャがルマダン」(砂利の庭)は、同じく植民地時代の遊郭だった釜山の玩月洞(ワノルドン)とともに、現在も色町として生き残っている。
「チャがルマダン」の色町は旅館を偽装するのではなく、いわゆる遊郭の飾り窓式のものであります。
2004年の「性売買禁止特別法」の施行により、植民地時代から続いてきたチャがルマダンや玩月洞(ヮノルドン)の色町の存亡はどうなっていくのだろう?と、思ってしまいます。
ソウル清涼里588、仁川イエローハウス、釜山 玩月洞と、ここ大邱のチャガルマダンが韓国4大置屋街といわれているらしい。
チャガルマダンは、釜山 玩月洞(ワノルドン)や仁川イエローハウスと同じシステムのようだ。
置屋はビルになっていて、3階建てや4階建が多いようです・・・
1階のガラス戸の中がアガシ(아가시)の顔見世場になっていて、お気に入りのアガシ(아가시)が見つかるとアガシ(아가시)の部屋に案内されるようです。
置屋の前では、아줌마(アジュンマ)がいて客引きをしています。
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