共同通信社が発行する週刊誌『Kyoudo Weekly』(共同ウイークリー)3月20日号に、「米アカデミー賞、政権に物申す! オピニオンリーダーとしての自覚」と題したコラムを執筆。
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https://www.kyodo.co.jp/intl-news/2017-05-16_1603917/
動物たちの“のど自慢”
動物だけが暮らす世界。コアラのバスター(声=マシュー・マコノヒー)が支配人を務める劇場は業績不振で閉鎖寸前に。起死回生を狙ったバスターは歌のオーディションの開催を企画する。
ストーリーの骨子は『のど自慢』や『Shall we ダンス?』とあまり変わらないが、それをアニメーションの動物たちが“演じる”ところがミソ。わがままなネズミのマイク(セス・マクファーレン)、パンクロッカーのハリネズミ、アッシュ(スカーレット・ヨハンソン)、平凡な主婦のブタ、ロジータ(リース・ウィザースプーン)、あがり性のゾウ、ミーナ(トリー・ケリー)、ギャングの父の手伝いをする歌手志望のゴリラ、ジョニー(タロン・エガートン)、バスターの相棒のヒツジ、エディ(ジョン・C・ライリー)といった個性的な声優メンバーの歌う、フランク・シナトラ、ビートルズ、スティービー・ワンダー、エルトン・ジョンらのさまざまな名曲が聴きもの。
歌の持つ力の大きさを改めて知らされる。同じ製作プロの『ミニオンズ』には今一つなじめないのだが、こちらは大いに楽しんだ。
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
主人公・零を取り巻く個性豊かな群像劇
『3月のライオン 前編』
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https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1098554
家出した富豪の娘と失業中の新聞記者が、フロリダからニューヨークへ向かう夜行バスに乗り合わせて…という、ラブコメディー+ロードムービーのお手本のような“ボーイ・ミーツ・ガール”映画。
製作ハリー・コーン(コロムビア)、監督フランク・キャプラ、脚色ロバート・リスキン、撮影ジョセフ・ウォーカー、主演クラーク・ゲイブル、クローデット・コルベール
この映画を初めて見たのは、NHK教育(現在のEテレ)で放送された「世界名作劇場」(1976年8月5日)だった。
その当時ですら、すでに製作から40年あまりがたっていたにもかかわらず、何と粋で楽しくて、見終わった後に幸せな気持ちになれる映画なのだろうと思い、前年、同じくテレビで見た『ポケット一杯の幸福』の印象も重なって、他のキャプラの映画も見たくてたまらなくなった覚えがある。
以後、この映画はもう何度も見ているのだが、80年余りがたった今も、その輝きは全く失われていない。演出、ストーリー、カメラ、俳優…、その全てが美しい映画なのだ。
ところで、76年開始の「世界名作劇場」では、キャプラの『スミス都へ行く』『オペラハット』のほか、
『巴里祭』『自由を我等に』『巴里の屋根の下』(ルネ・クレール)、『間諜X27』『モロッコ』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)、『オーケストラの少女』(ヘンリー・コスター)、『外人部隊』『ミモザ館』(ジャック・フェデー)、『格子なき牢獄』(レオニード・モギー)、『大いなる幻影』(ジャン・ルノワール)、『制服の処女』(レオンティーネ・サガン)、『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ)、『道』(フェデリコ・フェリーニ)、『地上より永遠に』(フレッド・ジンネマン)、『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ)、『誓いの休暇』(グリゴーリ・チュフライ)、『かくも長き不在』(アンリ・コルビ)、『キュリー夫人』『心の旅路』(マービン・ルロイ)、『イヴの総て』(ジョセフ・L・マンキーウィッツ)…などを見ることができた。
まだビデオもDVDも衛星放送もない時代、名作映画をノーカット字幕スーパーで放映してくれる実に貴重な映画枠だった。
楽しみながら、随分と勉強させてもらったのだが、やがてビデオや衛星放送の台頭でありがた味がなくなり、気がつけば、いつの間にかなくなっていた…。いまさら懐かしむのは身勝手か。
催眠術映画か…
地球の誕生から生命の進化の歩み、自然現象などを最新の映像技術で見せるドキュメンタリー映画。テレンス・マリックが『ツリー・オブ・ライフ』で描いた神、母、命といったテーマをさらに進め、ストーリーを一切排除して描いたものだが、あまりにも実験的、観念的過ぎて見続けるのに一苦労。
試写室では前から3列目に座ったのだが、最前列と前列にいた女性が、いずれも上映中に横になって寝るという異常事態を目撃した。まあ、確かにそうしたい気持ちも分かるような映画だったのだが…。
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
少女たちが躍動する
『モアナと伝説の海』と『チア☆ダン~』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1097320
映画を大きなテーマとした逢坂剛著の二冊を再読。
『牙をむく都会』
御茶ノ水で現代調査研究所という何でも屋を営む岡坂神策が、ひょんなことから、大手広告代理店が主催するハリウッド・クラシック映画祭プロジェクトのPRと、新聞社が主催するスペイン内戦シンポジウムのコーディネーターを同時に引き受けることになる。ところが、二つの仕事の背後から、戦後史の重大な疑惑が浮上する。
作者の趣味である旧作映画とスペイン内戦に関するうんちくがたっぷり詰め込まれた小説。こういうマニアックなものでも、作者の知名度の高さがあれば商売になるのか…。何ともうらやましい限り。
主人公がご同業のフリーライターということもあって面白く読むが、変名で登場する広告代理店や雑誌名や店名がすぐに分かってしまうのはご愛嬌。主人公の岡坂は、作者の分身であり、理想の姿なのだろう。
うれしかったのは、作者がジョン・スタージェス好きという点だ。この作品の中でも、かの“プレストン・スタージェス馬鹿”の某氏を痛烈に皮肉った一節があって思わずニヤリとさせられた。ただ逆に、ジョン・フォード嫌いについてはちょっとあまのじゃく的なものを感じる。まあこういう好みの違いを言い出すと切りがないのだが…。
『墓石の伝説』
『牙をむく都会』の続編とも言うべき岡坂神策シリーズの一編。今回は、70代の老監督の“OK牧場”にまつわる西部劇製作話に岡坂が巻き込まれるのだが、『牙をむく都会』にも増して、作者の映画(特に西部劇)への偏愛ぶりが前面に出ている。つまりは、あくまで作家が自分の趣味を披露するための作品なのである。
従って、読む側に多少なりとも、西部劇あるいはワイアット・アープについての予備知識や興味がなければ、とても読む気は起こらない代物だ。まあオレはこの手の話が好きなので一気に読んでしまったが、読者を選ぶ小説であることには間違いない。
ところで、日本人の映画監督が西部劇を撮るという話題で思い出すのは、この小説が最も影響を受けたと思われる岡本喜八の『EAST MEETS WEST』だ。残念ながら成功作とは言えない映画だったが…。
両作とも、作者のなじみの地である御茶ノ水や神保町が舞台なだけに、周辺のレストラン、バーなどに関する情報も満載。毎回登場する美女や脇役などの造形も楽しい。もう少し映画のうんちくの部分を抑えれば、締まったハードボイルドものになり得たとも思うのだが、それはそれで詰まらないか。
(2005年、初読の際のメモを転載)
二人の愛の軌跡を淡々と描く
1958年、黒人と白人の結婚が違法だった米バージニア州で結婚したラビング夫妻の受難とラブストーリーを実話を基に描く。
異人種間結婚禁止という法律を変えるきっかけを作った夫婦の姿は、いささかきれいごとでまとまり過ぎている気もするが、監督のジェフ・ニコルズは、本来ならばクライマックスとなるであろう裁判の場面を極力カットして、二人の愛の軌跡を淡々と描いた。そこに好感が持てる。
妻役のルース・ネッカがオスカー候補となったが、それにも増して、いかにも実直なレンガ職人といった雰囲気を醸し出した夫役のジョエル・エドガートンの抑えた演技が光る。
このところ、この映画に加えて、汚職に手を染めるFBI捜査官を演じた『ブラック・スキャンダル』、監督も兼任し、いじめられっ子の屈折を表現した『ザ・ギフト』、ヒロインを助けるかつての恋人を演じた西部劇『ジェーン』と、まさに一作ごとに違う顔を見せている期待の俳優だ。
ないないづくしのBomb(爆弾)映画
死刑囚のリンチ(マイケル・ファスベンダー)は、遺伝子を操作する装置によって、15世紀に生きた先祖の運命を追体験することになる。
ゲームを基にした冒険ファンタジーのようだが、ストーリーの描き方や人物描写があまりにも雑過ぎる。従って、まず、主人公を祖先と一体化させるという装置のすごさが全く伝わってこない。
また、テンプル騎士団、エデンの果実といった事柄にうとい身にとっては、現代まで続く根深い争いの理由がよく分からない。
アクションも、高所からのダイビング、中世の武器を使っての格闘シーンなど、結構すごいことをしているのだろうが、作り物感が強くて圧倒されるまでには至らない。ないないづくしのBomb(爆弾)映画と言うべきか。
39年ぶりか…。
ジョン・ウェイン=デュークが保安官ルースター・コグバーンを演じてアカデミー主演男優賞を得た『勇気ある追跡』(69)の続編である。
まず、全く別のスタッフが製作しているにもかかわらず、ルースターを取り巻く、酔っ払いの猫、中国人の相棒といったディテールをきちんと引き継いでいるところに拍手。
デュークが十八番の強く優しい西部男を演じているが、前作の少女マティ(キム・ダービー)に代わって、今回は何とキャサリン・ヘプバーン=ケートが演じる修道女がルースターを雇うという設定だ。
この映画の一番の見どころは、共に1907年の5月生まれという大スター同士による掛け合いで、互いの年輪と余裕が画面からにじみ出てくるところが何ともいい。
いかだで川をくだるシーンなど、ケイトがハンフリー・ボガートと共演した『アフリカの女王』(51)の影響もうかがえる。
ところで、ケイトは『招かれざる客』(67)でスペンサー・トレイシーを、『黄昏』(81)でヘンリー・フォンダを“看取る”役割を果たしたが、この映画も含めて、あの年でどうしてこんなに勝ち気でかわいらしい女性を演じることができるのだろう、と毎度驚かされる。その点、この映画のデュークはちょっと損をしている気もする。
この映画も、今、改めて見直すと、リチャード・ジョーダン、アンソニー・ザーブ(珍しく善人役)、ポール・コズロ、ストロザー・マーティン(毎度の怪演!)といった、懐かしき70年代の名脇役たちとの再会が楽しかった。