田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

ウィリアム・ハートの映画 その4.『ブロードキャスト・ニュース』

2022-03-15 17:17:55 | 映画いろいろ

『ブロードキャスト・ニュース』(87)(1989.10.25.月曜ロードショー)

 日本でも、最近はそれらしき“もどき”は登場しつつあるようだが、テレビニュースの本場アメリカには、昔からウォルター・クロンカイトやエド・マローら、そのテレビ局の顔とも呼ぶべき、アンカーマンと呼ばれる人たちが存在していた。

 この映画は、いわば、そのアンカーマンへの道と、それに伴うさまざまな人間関係を描いている。そこで展開する、ニュースのでっち上げ、醜い競争、忙しさなどを、それほど違和感なく見られたということは、日本のその筋も、アメリカに似てきたといえるのかもしれない。

 ところで、この誰にも好感が持てない登場人物たちの姿を見せられながらも、何となく見てしまうのは、ジェームズ・L・ブルックス監督の、巧妙な演出に寄るところが大きいだろう。

 前作の『愛と追憶の日々』(83)での名監督ぶりが、こちらのイメージに残っているせいもあるが、それとは全く違う状況と人物配置であるにもかかわらず、最初に過去を見せておいて、最後に現在を見せるという大筋の作り方が、前作とほとんど同じなのである。

 従って、必ずしも好ましくはない人物たちの、ラストの達観したような様子を見せられると、どこか憎めない、悲しみを持った人物たちのように思えてしまう。終わりよければ全てよしか。このあたり、ずるいというか、うまいというべきか。

 かつての美人女優ロイス・チャイルズが端役で出ていたが、きれいなだけでは長く女優を続けることは難しい、という宿命を見せられた気がした。だから皆、ジェシカ・ラングのように変わっていくのも当然なのだろう。

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ウィリアム・ハートの映画 その3.『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』『白いドレスの女』『蜘蛛女のキス』

2022-03-15 11:19:33 | 映画いろいろ

映画デビュー作『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(79)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c67a90d39617af78d6136c4ebe402d9e


『白いドレスの女』(81)(1984.1.24.銀座ロキシー.併映『ミスター・アーサー』)

 弁護士のネッド(ウィリアム・ハート)は、白いドレスを着た美しい女性マティ(キャスリーン・ターナー)から夫のエドムンド(リチャード・クレンナ)を殺害する計画に誘われ事件へと巻き込まれていく。

 ローレンス・カスダンの監督デビュー作。ビリー・ワイルダーの『深夜の告白』(44)との類似性が指摘されたが、原題の「ボディ・ヒート」が示す通り、セクシーさでは、バーバラ・スタンウィックよりも断然ターナーの方が上。ハートでなくてもイチコロだ。


『蜘蛛女のキス』(85)(1988.ミッドナイトアートシアター)

 舞台は南米某国の刑務所。風紀びん乱罪で入獄しているゲイの囚人(ウィリアム・ハート)と、政治犯(ラウル・ジュリア)との交流を描く。ハートがアカデミー主演賞を受賞した。

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「午後のロードショー」『オブリビオン』

2022-03-15 07:25:08 | ブラウン管の映画館

『オブリビオン』(13)(2013.5.2.東宝東和試写室)

『オブリビオン』の公開を前にトム・クルーズが来日
https://tvfan.kyodo.co.jp/news/topics/40001
『オブリビオン』来日記者会見
https://tvfan.kyodo.co.jp/news/40032
フィリップ・K・ディックを思わせるSF映画
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/43208

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ウィリアム・ハートの映画 その2.『ゴーリキーパーク』

2022-03-15 07:01:12 | 映画いろいろ

『ゴーリキーパーク』(83)(1991.3.31.ウィークエンドシアター)

 モスクワのゴーリキー公園で、顔も指紋も判別不能の三つの死体が発見され、KGBに対抗する人民警察主任捜査官レンコ(ウィリアム・ハート)が捜査を開始。現場近くに落ちていたスケート靴の持ち主(ジョアンナ・パクラ)や、弟を探しにやって来たアメリカ人(ブライアン・デネヒー)など、さまざまな人物が交錯していく中、ソ連滞在中のアメリカ実業家(リー・マービン)が浮かび上がる。

 ソ連側から描いた映画のはずなのに、アメリカを描いた推理ものとあまり変わらないような印象を受けた。その最たる理由は、もちろん“アメリカ映画”だからなのだが、そこには、われわれも含めて、ソ連という国の実情が分からないという大きな問題が横たわっている気がする。

 それ故、どう描かれようが、その信ぴょう性は分からないのだから、見ている方にとってはKGBもCIAもそう変わりはしない。ただ、アメリカの側の主張ばかりを見慣れているだけに、ソ連の恐ろしさ、住みにくさだけが印象に残ることになる。

 例えば、この映画も含めて、西側に亡命する話は描かれても、その逆の話は皆無である。だから、西側は天国で、東側は地獄という縮図が自然にできてしまう。その意味では、こうした映画はプロパガンダ的な恐ろしさも含んでいるのだ。

【今の一言】これはソ連時代の話だが、今のロシアのウクライナ侵攻を考えると、違った意味で恐ろしい。

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