『ゴーリキーパーク』(83)(1991.3.31.ウィークエンドシアター)
モスクワのゴーリキー公園で、顔も指紋も判別不能の三つの死体が発見され、KGBに対抗する人民警察主任捜査官レンコ(ウィリアム・ハート)が捜査を開始。現場近くに落ちていたスケート靴の持ち主(ジョアンナ・パクラ)や、弟を探しにやって来たアメリカ人(ブライアン・デネヒー)など、さまざまな人物が交錯していく中、ソ連滞在中のアメリカ実業家(リー・マービン)が浮かび上がる。
ソ連側から描いた映画のはずなのに、アメリカを描いた推理ものとあまり変わらないような印象を受けた。その最たる理由は、もちろん“アメリカ映画”だからなのだが、そこには、われわれも含めて、ソ連という国の実情が分からないという大きな問題が横たわっている気がする。
それ故、どう描かれようが、その信ぴょう性は分からないのだから、見ている方にとってはKGBもCIAもそう変わりはしない。ただ、アメリカの側の主張ばかりを見慣れているだけに、ソ連の恐ろしさ、住みにくさだけが印象に残ることになる。
例えば、この映画も含めて、西側に亡命する話は描かれても、その逆の話は皆無である。だから、西側は天国で、東側は地獄という縮図が自然にできてしまう。その意味では、こうした映画はプロパガンダ的な恐ろしさも含んでいるのだ。
【今の一言】これはソ連時代の話だが、今のロシアのウクライナ侵攻を考えると、違った意味で恐ろしい。
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