田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

ウィリアム・ハートの映画 その7.ローレンス・カスダン『偶然の旅行者』

2022-03-16 07:35:50 | 映画いろいろ

『偶然の旅行者』(88)(1992.7.6.)

 旅行ガイドブックのライターのメーコン(ウィリアム・ハート)は、一人息子の死以来、妻(キャスリン・ターナー)との関係もうまくいかず、やがて彼女にも去られてしまう。そんな彼の前に、ちょっと奇妙な女性ミュリエル(ジーナ・デイビス)が現れた。彼女と行動を共にするうちに、メーコンはその魅力に引かれていく。

 最近、続けて見ているローレンス・カスダンの監督作の中で、唯一未見だった映画。これもいつものカスダンらしく、分かったような分からないような、支離滅裂なところもあるのだが、見終わった後は、何ともいえない不思議な味わいが心に残るから不思議だ。それを体現するハートもユニークな俳優だ。

 ただ、個人的には、今回は、わが贔屓のターナーが損な役割を受け持たされ、デービスに走るハートに感情移入し切れなかったというマイナスがあったのだが、それも、ラストの死んだ息子のそっくりさんの登場で、何となくごまかされてしまった。

 結局、カスダンのずるいところは、家族や友情を皮肉りながら、最後はある程度のところで抑えて、トータルとしてはいい映画を見たような気分にさせるところだろう。いずれにせよ、自分の中では、もはや無視できない監督の一人となった。

 

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ウィリアム・ハートの映画 その6.ローレンス・カスダン『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』

2022-03-16 07:10:20 | 映画いろいろ

『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(90)(1992.7.1.)

 イタリア人のジョーイ(ケビン・クライン)が経営するピザ屋は街で大評判。だが、ジョーイの浮気現場を目撃した妻のロザリー(トレイシー・ウルマン)は、彼女に思いを寄せる店員のディーボ(リバー・フェニックス)や母親(ジョーン・プロウライト)と共謀して夫殺しを企てる。

 『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(88)で開花した、クラインの“うるさいコメディ演技”が、この映画では主役として遺憾なく発揮されている。

 しかも、この映画の監督は、『再会の時』(83)『わが街』(91)の“シリアス俳優”クラインの同志ともいえるローレンス・カスダンであり、ウィリアム・ハートも加えた、意外性のある仲間たちによるコメディとしてなかなか楽しめた。

 簡単に言えば、これは落語の世界のような痴話げんか話なのだが、そこにイタリア系の主人公、東欧系の妻とその母、といったアメリカならではの対立を含んでいるところがうまいし、最後は定石通りのハッピーエンドというのも、いかにもアメリカ映画らしい。これが、例えばフランス映画だと、妙にドロドロしてすっきりしない話になってしまう気がする。

 さて、カスダンの映画には、クラインやハートといった常連俳優が登場するのだから、そろそろ“カスダン一家”と呼んでもいい気がする。ハート主演の『偶然の旅行者』(88)も見てみよう。

 

 

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ウィリアム・ハートの映画 その5.ローレンス・カスダン『再会の時』

2022-03-16 06:37:32 | 映画いろいろ

『再会の時』(83)(1992.6.7.)

 友の葬儀で10数年ぶりに再会した大学時代の友人たち(ケビン・クライン、グレン・クロース、トム・ベレンジャー、メアリー・ケイ・プレイス、ジェフ・ゴールドブラム、ウィリアム・ハート、ジョベス・ウィリアムズ)。彼らが、卒業後の生活を語り合う姿を、「無情の世界」(ローリング・ストーンズ)「青い影」(プロコル・ハルム)など、1960年代のボピュラーソングを流しながら描く。

 この映画のことは、以前から気になっていたのだが、先日、同じくローレンス・カスダン監督の『わが街』(91)を見た勢いで、尻取り遊び的に見てみた。

 その結果、カスダンは、ジグソーパズルのようにバラバラのピースをはめ込んでいく群像劇が好きらしいこと、この映画を作っていなければ、『わが街』は撮れなかったであろうということがよく分かった。この2本の映画は、まるで双子のようによく似ていたからである。

 どちらも、さまざまな問題を提起しながら、結局、全てが曖昧なままで終わってしまう。また、一見『わが街』はハートウォームドラマ、この映画はノスタルジーの皮をかぶりながら、実はディスカッションムービーとも呼ぶべき代物で、立場の違うさまざまな人々に人生観を語らせながら、結論は出さず、後はわれわれ見る側の感情に委ねてしまうのだ。

 例えば、本来なら、甘いノスタルジーに終始しかねないこの題材を、回想シーンを全く入れずに、登場人物たちのセリフだけで過去の出来事を想像させたり、自殺した仲間(顔の映らない死体役はケビン・コスナー)の愛人(メグ・ティリー)を一世代下にして、彼らの感傷に一石を投じている点からも、それは明らかだ。

 それ故、お決まりの「あの頃はよかった」では終わらない苦さと奥深さを感じさせられるのである。ローレンス・カスダン、侮れない監督だ。

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