『馬場派プロレス宣言』栃内良(白夜書房)
(1982.9.1.)
この本は、「プロレスと言葉にした時、生じるイメージはジャイアント馬場そのものだ。力道山やアントニオ猪木ではないはずだ」という、まさに自分のプロレスに対するイメージとぴったり合う書き出しで始まる。
そうなのだ。伝説の力道山の試合をリアルタイムで見た記憶はないし、当時の熱狂ぶりを知るよしもない。そして、猪木を筆頭とする、今の派手で華やかなプロレスも、どうも肌に合わない。
かといって、全くのプロレス嫌いというわけではない。確かに、少年時代の一時期プロレスに熱中した時があった。そしてその主役は紛れもなくジャイアント馬場だったのだ。
いつから猪木の新日が面白くて、馬場の全日がつまらないと、世間で言われるようになったのかは定かではないが、恥ずかしながら、その傾向が強まるにつれて、自分のプロレス熱は急激に冷めていった。そんな自分の気持ちと反比例するかのように、プロレス人気は盛り上がり、華やかになっていった。
ところが、この本の筆者は、そんな世間の流れには目もくれず、「馬場さん、馬場さん」と言い続け、あげくにこの本を書いてしまったという、愛すべき頑固者である。
少々、思い入れが強過ぎるきらいはあるが、ここまでやられると、むしろ拍手を送りたくなる。誰かに思いを寄せるということに、難しい理屈は必要ないし、他人が思い入れる人間に第三者がけちをつける権利もないからだ。
そこには、決して他人には分からない、自分だけが分かる世界が存在する。そして、たまたまその思いを共有できる他人と出会えれば、それは喜びに堪えない。この本を読んでいると、思わずそんな気にさせられてしまう。
そして、この本のすごいところは、ジャイアント馬場という、一人のプロレスラーへの思いを語りながら、立派なヒーロー、アイドル論になっているところだ。
中でも出色は、ドラマ「前略おふくろ様」の名セリフをなぞって、最近、馬場以外のプロレスに目が行きがちな筆者が、自分を見つめ直している件だった。
「前略、馬場様。オレはあなたの青春を忘れていました。ピカピカに輝いていた…ハツラツと戦っていた、そうしたあなたの青春を、オレは忘れていたわけで…」
この言葉は、筆者がジャイアント馬場に向けて発したものだが、同じことは、自分たちが憧れを持って接してきた全ての人たちにも当てはまる。時代の流れとともに、昔のことは忘れ、新しいものに走るのは、人の世の常だからだ。
この本を読むと、思い入れを無理に捨てる必要はない。自分にうそをつく必要もない。人が何といおうが、世の中の流れがどう変わろうが、好きなものは好き。それででいいじゃないかと言われているような気がした。
試合観戦以外で、一度だけ生の馬場さんと接したことがある。
高校2年の暮れ正月の間、後楽園飯店でボーイのアルバイトをした。その時、全日本プロレス御一行様が、新年会を行うために、馬場社長を先頭にやって来たのだ。
ジャンボ鶴田、天龍源一郎、ザ・デストロイヤー、大熊元司、グレート小鹿、レフリーのジョー樋口あたりがいたのは覚えている。
馬場社長はショートホープをくるらせ、バイキングなのに自分では料理を取りにいかず、俺たちアルバイトのボーイが取りに行かされたのだった。その際、二言三言何か話したのだが、具体的な内容は覚えていない。多分、緊張していたこともあるが、その体と存在感の大きさに圧倒されたのだろう。