田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『青春残酷物語』

2022-03-04 13:33:35 | 映画いろいろ

『青春残酷物語』(60)(1981.3.28.日本映画名作劇場)

 女子高生の真琴(桑野みゆき)と、彼女が中年の男(山茶花究)にホテルに連れ込まれそうになるのを助けた大学生の清(川津祐介)の激しい青春の物語。監督・脚本は大島渚。

 何ともやるせないというか、腹立たしさを感じる映画である。この映画が「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれたことからも分かる通り、一風変わった青春像を描いているわけだが、その奥に学生運動や、高度経済成長に向かう60年代初頭の日本の姿を投影させようと試みている。

 川津演じる清の吐く「ちょっと腹が立っただけさ。それもあんたに対してだけじゃなく、何もかもにさ」というセリフがこの映画を象徴する。

 見えない力に対する怒り、あるいは抵抗。それをどこにぶつけたらいいのか分からない苛立ち。その矛先が学生運動に向けられ、そこにセックスや暴力が介在するが、結局は挫折する。

 青春なんて残酷な人生の一時期に過ぎないのだ。それは、世の中の不正や不条理を知り、それを知りながら自らの進むべき道を決めなければならない時でもあるのだから。

【今の一言】これを書いたのは、ちょうど21歳の誕生日だった。そのせいか、随分と青くさいことを書いている。ただ、もともと大島渚の映画は苦手なのだが、比較的分かりやすいこの映画にしても、ゴダールの『勝手にしやがれ』(60)同様、何か自分とのズレを感じて、心に響かなかったことを覚えている。川津祐介はテレビの「ザ・ガードマン」のイメージが強かったので、この映画の屈折した大学生役には驚いた覚えがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「BSシネマ」『ワイルドバンチ』

2022-03-04 07:30:25 | ブラウン管の映画館

『ワイルドバンチ』(69)

不器用な生き方を笑うしかない男たち
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/bc7ea8ef41f9f58ec736f20b1808a0f4

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『私、プロレスの味方です』『当然、プロレスの味方です』村松友視

2022-03-04 07:14:18 | ブックレビュー

『私、プロレスの味方です』『当然、プロレスの味方です』村松友視(角川文庫)
(1983.5.26.)

 この本が最初に出版された当時(80年)の、明るいプロレスブームには付いていけず、プロレスに対する興味を失っていた自分にとっては、関係のない本だと思っていた。

 ところが、今回、時期を経て読んでみると、栃内良が書いた『馬場派プロレス宣言』同様、本当にプロレスが好きでたまらない人が書いた本だったのだと納得させられた。

 つまり、プロレスという一言を、例えば、映画でも音楽でもいい、自分の好きなジャンルに置き換えてみれば、実にすんなりと読めてしまう。

 村松いわくの「ジャンルに貴賎なし。されどジャンル内には貴賤は存在する」という言葉通り、好きな道に貴賤はないが、その道を好きなればこそ、厳しくも温かい目で見つめながら、常に最高のものを求めたいという思いは、自分にもあるからだ。

 それとともに、巻末のアントニオ猪木へのインタビューが、ジャイアント馬場は好きだけど猪木は苦手という偏見を改めさせてくれた。プロレスラーでも、猪木クラスになれば、当たり前のことだが、自分の哲学や信念を持ち、それを貫くために必死に努力している。見掛けの派手さからは想像もできないような壮絶な生きざまが伝わってきた。猪木もまた、見果てぬ夢を追い掛ける、ドン・キホーテの一人なのかもしれないと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『馬場派プロレス宣言』栃内良

2022-03-04 00:24:25 | ブックレビュー

『馬場派プロレス宣言』栃内良(白夜書房)
(1982.9.1.)

 この本は、「プロレスと言葉にした時、生じるイメージはジャイアント馬場そのものだ。力道山やアントニオ猪木ではないはずだ」という、まさに自分のプロレスに対するイメージとぴったり合う書き出しで始まる。

 そうなのだ。伝説の力道山の試合をリアルタイムで見た記憶はないし、当時の熱狂ぶりを知るよしもない。そして、猪木を筆頭とする、今の派手で華やかなプロレスも、どうも肌に合わない。

 かといって、全くのプロレス嫌いというわけではない。確かに、少年時代の一時期プロレスに熱中した時があった。そしてその主役は紛れもなくジャイアント馬場だったのだ。

 いつから猪木の新日が面白くて、馬場の全日がつまらないと、世間で言われるようになったのかは定かではないが、恥ずかしながら、その傾向が強まるにつれて、自分のプロレス熱は急激に冷めていった。そんな自分の気持ちと反比例するかのように、プロレス人気は盛り上がり、華やかになっていった。

 ところが、この本の筆者は、そんな世間の流れには目もくれず、「馬場さん、馬場さん」と言い続け、あげくにこの本を書いてしまったという、愛すべき頑固者である。

 少々、思い入れが強過ぎるきらいはあるが、ここまでやられると、むしろ拍手を送りたくなる。誰かに思いを寄せるということに、難しい理屈は必要ないし、他人が思い入れる人間に第三者がけちをつける権利もないからだ。

 そこには、決して他人には分からない、自分だけが分かる世界が存在する。そして、たまたまその思いを共有できる他人と出会えれば、それは喜びに堪えない。この本を読んでいると、思わずそんな気にさせられてしまう。

 そして、この本のすごいところは、ジャイアント馬場という、一人のプロレスラーへの思いを語りながら、立派なヒーロー、アイドル論になっているところだ。

 中でも出色は、ドラマ「前略おふくろ様」の名セリフをなぞって、最近、馬場以外のプロレスに目が行きがちな筆者が、自分を見つめ直している件だった。

 「前略、馬場様。オレはあなたの青春を忘れていました。ピカピカに輝いていた…ハツラツと戦っていた、そうしたあなたの青春を、オレは忘れていたわけで…」

 この言葉は、筆者がジャイアント馬場に向けて発したものだが、同じことは、自分たちが憧れを持って接してきた全ての人たちにも当てはまる。時代の流れとともに、昔のことは忘れ、新しいものに走るのは、人の世の常だからだ。

 この本を読むと、思い入れを無理に捨てる必要はない。自分にうそをつく必要もない。人が何といおうが、世の中の流れがどう変わろうが、好きなものは好き。それででいいじゃないかと言われているような気がした。


 試合観戦以外で、一度だけ生の馬場さんと接したことがある。

 高校2年の暮れ正月の間、後楽園飯店でボーイのアルバイトをした。その時、全日本プロレス御一行様が、新年会を行うために、馬場社長を先頭にやって来たのだ。

 ジャンボ鶴田、天龍源一郎、ザ・デストロイヤー、大熊元司、グレート小鹿、レフリーのジョー樋口あたりがいたのは覚えている。

 馬場社長はショートホープをくるらせ、バイキングなのに自分では料理を取りにいかず、俺たちアルバイトのボーイが取りに行かされたのだった。その際、二言三言何か話したのだが、具体的な内容は覚えていない。多分、緊張していたこともあるが、その体と存在感の大きさに圧倒されたのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする