TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『ジュリーの世界』

2023-05-02 23:43:15 | 読書

 『ジュリーの世界』(増山実著、ポプラ社)

 小生が必死で入試の勉強をしていた時、春から住むことになる街では、一人の有名人?が亡くなった。当時の言い方では乞食の、「河原町のジュリー」である。その噂は、入学後に少しだけ聞いた記憶がある。京都は排他的な面もあるが、馴染んでしまうと何でも受け入れるところがあり、新しいもの好きでもある。懐の深さの象徴として、ジュリーは語られていると思う。

 が。バブル前の、社会がデオドラント化するに従い、そういう人は排除されていった。行政的にも、社会の意識――こういうのは子供が敏感だ――的にも。(積読に『ホームレス消滅』という本がある。) ジュリーはそういう時代に死んだ。では、どうして、ジュリーはジュリーとなったのか。これも時代が産んだと著者は、取材を踏まえた物語を紡ぐことで訴える。幻想小説として、見事な構成であり、それは成功している。ジュリーは、アジア=太平洋戦争(←敢えて左翼用語で)で心を病み、戦友の故郷に自分の命を「ささげた」ように感じる。鎮魂のために街を見ることによって。

 印象深い文章を引用しておこう。長いよ。p299
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 「おい、S、あんた、いつも言いよったやないか。生きて京都の街を歩くん違うんか? 今こそ、京都の街を思い出してみいや。何が見える? いつもみたいに、言うてくれ。しんどうて喋られへんのか。目も、開けられへんのか。そうか。それやったら、俺が、あんたの目になって歩いたろう。急がんでもええ。ゆっくり、ゆっくり、歩こうや。ほら。見えよるやろ。三条新京極の入り口は、紙細工のさくら井屋やな。だらだら坂を下りたら、右にでっちようかんがめっぽう美味い西谷堂や。組み紐の昭美堂に蛇の目食堂、おもちゃの京一に南海堂。左はハイカラな森永のキャンデーストア。幟が風にはためいて、おいでおいでと手招きしよるで。その先に、映画館が見えよる。でっかいなあ。京都座と松竹座や。京都座の向かいは卓球場、その隣が寫眞館と一緒になった喫茶モンパス。松竹座とまんじゅうの塚本屋の角から左覗いたら、うなぎのかねよの赤い提灯が四つ見えよるで。右は寺町通りの櫻湯や。ざぶーんとひと風呂、浴びたいなあ。気持ちええやろなあ。疲れが取れるよなあ。おお、六角通りに出よったで。この辺の店はごちゃごちゃとしとんなあ。おまえの自慢の眼鏡は、この川島屋で誂えたんやったなあ。二階建ての芝居小屋は、えびす座、ちゃうぞ、えべす座や。六角のどん突きは、べっぴんの女給が自慢のローヤルカフェーやったけど、あっさり潰れて今はブロマイド屋やな。そや、乙羽信子のブロマイド買おか、それかやっぱりあんたが好きな高峰秀子にしよか。(やっぱり、泣けるので中略) 看板をよう見てみい。東亜食堂やないで。あんたが好きやった、スター食堂のままの看板や。なんちゅうハイカラな看板や。その先には、スタンド酒場もある。(中略)腹がぐうって鳴っりょるなあ。おお、そろばんの看板出しとる池田屋と、袋物の大沢屋の向こうに、『京一』の看板が見えてきよるで。おまえの惚れた女が働いとる、玉突き屋の看板やないか。よう見てみい。耳と指が奇麗とのろけたあの娘が、入り口で手ぇ振って、なんで早う帰ってきてくれんの、イケズやなあって、笑いよるで」

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 さて。三条と四条、新京極と河原町に挟まれた地域で住んでたジュリーが、何故、八坂神社の山鉾の倉の前で亡くなったのか。著者の物語は「なるほど!」と思わせるものがある。「みんな、何かを、彼に仮託していたんです」。河原町のジュリーの物語は京都の人の数だけある。

 以下話を思い出すための単語などの羅列。
 誰よりも悠然と歩く、ネックレス、カップヌードル、心をざらつかせる、キドカラー、スペース・インベーダー、宇宙戦艦ヤマト、キャットウォーク、猫、鰻屋「かねよ」、空気すぎて被写体にならない「ジュリー」(「影」がない)、『何しょんな』、極楽鳥、三重ノ海vs輪島、勝手にシンドバット、ウォークマン、サザンオールスターズ、RCサクセション、ドリトル先生航海記、伏見桃山城キャッスルランド、オレンジの缶ジュース、千葉の私設動物園からの虎の脱走、ゴンタとミミ、太陽を盗んだ男、出雲阿国とピンク・レディー、河原崎長十郎は、桂離宮に入ることを拒否された、空爆がなかったので第一回国体は京都に、再開発で金を得るために二巡目の最初に、そのためには街の汚いところを天皇に見せるわけにはいかない、滋賀高校総体では雄琴のトルコが経営自粛、浮浪者狩り、久美浜原発、三条リプトン前の段ボール城、しなやかに歌って、花の首飾り、八条署の浮浪者名鑑、「家がないのは、おまえらとちゃうか」、ファミレス・ファーストフードの登場の時代、ろっくんプラザ、ポルタ、河原町のジュリーの墓は四国のみかん畑の中に、本当の緑色、「なんで、おまえだけ、のうのうと生きて帰ってきたんだ!」、「絶対に生きて帰ろう。Sと一緒に。」、「みんな、何かを、彼に仮託していたんです」

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~2023年5月1日(月曜日)

2023-05-02 21:21:58 | 日記

 普段使っている相棒のコンピュータが死んだ。とても電気に詳しい同僚が調べたら、電源系が死んでて、速攻で事務屋に連絡、事務屋はあっという間に部品を調達、すぐに交換、2日後には使える状態に・・・。凄い! で、久々にテーマ付きの仕事が来た。バーナー燃焼系。この会社に入って、燃焼系はしていなかったので、若い衆のために「燃焼系の One Point Lesson Sheet」を先週仕上げていたのだが、このタイミングで自分が使うことになるとは(笑)。偶然だぞ。

 土曜日は平野へ。バスで出戸バスターミナルへ。途中、昔はこんなだったという話をしていると、喜連西池というバス停の話に。小生が生まれた頃まで、ここには池があった。それを聞いていた老婦人が終点でバスを降りた後、「なんで「池」なのか分かりました」とお礼をおっしゃる。その後、バスターミナルでは「期待に満ちた目」で乗客を見ている雀たちが。餌をやっている老人集団がいて、小生のところまでやってきた。その後、目的地に行く前に、「ガレット」という、小学校の同級生の店へ。コロナや何やらで、本当に久しぶり。あ、自販機が店の前に。170万円だけど、結構行政から補助が出るそうだ。買い物したらいつも色々つけてくれてありがたい。また高島屋で会おう。あと、近所の「しなそば」さんは、娘さんがメインになったらしい。山内孝徳似のご主人は、昭和の時代から体が悪そうな顔色だったが、よく令和の世まで続いたな。何度か倒れられているし。ここの売りは肉ガッツリなラーメン。濃口醤油とんこつ。まあ、この歳なると、ちょっと無理かな。その後、教えてもらった喫茶店。とりあえずブレンド。コクと苦みがしっかりしていて、後味が良い。酸味のあるキリマンジャロ好きだけど、これはこれで。乗り鉄は、天王寺→河内長野→難波、など。うーん、思ったより時間を要するね。

 日曜日は三好球場のつもりが、雨だと虚しいので、石上神宮へ。大和西大寺の駅ナカでカレーを。ここはモニターで、阪神戦をじっくり見ることができる。サトテルの暴力的なホームランを見たかったが、タイミングが合わない。食事後、天理駅から商店街を抜ける。石上神宮の手前では、いつもの黒猫。神宮にお詣りしてから鶏タイム。卵はあるが、ひよこはまだ。ガイドさんに訊くとふ卵器で何個か孵している途中とか。巨大な雄鶏である「主」は亡くなった模様。代わりに、「黒」と「うずらちゃん」と名付けた鶏を今後観察することにする。おじさんにパンくずを貰って鶏にやるが、勢いよくついばむ割には痛くないな。帰り道、エライ離れたところに一羽。とても奇麗。帰りはJRのつもりだったが、一時間に1本でタイミング合わず。その前に「ふるさと」という喫茶店でキリマンジャロを。帰りは、大和西大寺回りで。結構接続良く行った。こりゃあ、JRの利用者はますます減るなあ。天理駅から近鉄は、15分に1本あるもんね。

 月曜日は乗り鉄。新大阪→豊橋。豊橋で鰻の弁当。そして、伊那路1号へ。窓際の指定席は埋まっていた。鉄道は、山の中をヒタヒタと。木が近くて風景がよく見えないところも多いが、それもまた良し。秘境駅が多く、駅メモで取れないところが多かったな。また、日差しが気持ちよくて寝てしまう。また、元々はちんちん電車に毛が生えたような路線なので、カーブが多く、とにかくゆっくり。ともあれ、飯田へ。二時間半くらい要したが、この距離でこの時間は、うーん。ともあれ、為栗メロちゃんのグッズをゲットだぜ。その後は北上。こちら側こそ、直線化=高速化しないと、仮にリニアが飯田に通るとしても、伊那市なんかについては利用者が増えない気がする。宝の持ち腐れ。とてもゆっくりだったので、乗る分には楽しいけど。岡谷駅まで北上。駅前で珈琲でもしばこうかと思ったが、ない。そして、ショックだったのは、ハシリューの頃に作られたであろう、「自民党の政策に従って、地方の行政に金を出させて作らせた」と思われるショッピングモールが閉鎖されていたこと。地方の衰退に、財政負担をさらに負わせるという、「地方あるある」の廃墟だ。こういうのが、維新が今蔓延る理由なんだよな。タコがタコ足を食うような社会になった理由は、あの時代の政策にあると思う。とはいえ、今の野党は維新以外は空理空論。恐らくやったら死人の山。とはいえ、自民党も本気で反省しているとは思えず、大衆は、あの時代のドイツでナチスを選んだような選挙行動をして維新を選んでいる。が、個人的には仕方がないと思う。「ナチスは、敗北した左派への懲罰である」というトロツキーの言葉が痛い。岡谷駅では駅の中で時間つぶし。んで、10分遅れで辰野回りで塩尻に。塩尻の乗り換えでは、楽しみにしている駅そばがあるが、定休日のようだ。お土産に「雷鳥の里」を少しだけ買い、別の蕎麦屋へ。東日本の蕎麦の出汁が懐かしい。ここからは名古屋まで特急。日が落ちていく中、満開の桜が美しく幻想的。名古屋駅では何故か、和歌山ラーメン。そこからは「ひのとり」。「ひのとり」は、駅メモerの乗り鉄的には至れり尽くせり。

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