TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『中国問題の核心』

2012-05-08 22:19:00 | 読書
 『中国問題の核心』(清水美和著、ちくま新書=801)

 「はじめに」で、著者が出くわした中国の車内食堂――お上の許可を得て、民間が運営するらしい――での騒動が取り上げられる。業者が認可外のメニューを作り、規定の二倍の価格で乗客に売りつけているのを服務員の青年が問題にした。かつてなら業者と鉄道警察は癒着して、騒いだ服務員が逮捕されたと思う。だが、今の中国では列車長が出てきて、服務員の主張を認め、業者に謝罪させた。中国は少しずつだが変わりつつある。だが、プロレタリア文化大革命や天安門事件のトラウマは権力者から消えたわけではなく、08憲章に示されたような、言論や表現の自由と民主主義が花開くことは遠く、このような、細かいところでの「聞いておく」権利(表達権)を認めたに過ぎない。こうしてガス抜きすることで、より広い権利(大民主)を抑え込もうというわけだ。

 ここで注意しなくてはならないのは、中国人は自己主張が強く、大民主は収拾がつかなくなりアナーキーに流れる傾向、というか、実績があるということだ(文革とか紅衛兵とか)。第二次天安門事件がこのトラウマによって武力鎮圧されたということは色々指摘されるところである。

 日本人も第二次世界大戦という気違い沙汰をやったが、中国人も歴史を見ればなかなか(笑)。日本人は徹底的に思い知ったが(毛沢東の言い方を真似てみました)、チャンネル桜のどろんぱさんの言葉を借りれば「中国人には歴史はない」。エゴイストが自らの権益のために他人を喰い物にする、狂人日記的世界が今なお反復され、そして行き着く先は毛沢東が示したように「貪官汚吏をブチ殺した農民に、やりすぎと説教する奴は反革命」ということになりかねないほど、大衆の不満と怒りは蓄積している。まるで革命前と瓜二つ。そんな中国を、日本は無視することは出来ない。貿易高では日米を既に上回っている。また、魯迅や孫文がかつていたように、エゴイストだけで中国は出来ていない。複雑で矛盾に満ちた貌を見せつつ、目覚める龍に対して日本は強かに向かわなくてはならないのだ。明白に、アメリカはアジア北部の煩事から手を引き、モンロー主義に傾いている。尖閣諸島でのアメリカの主張を見れば明らかである。(だから、佐藤優さんのような戦略は実現不能だと思う;これは別の本の話) 「中国人には歴史はない」。日本人的スパンで見ればそう見える。だが、彼らは尺度が違う。近代なんて、恐らく昨日今日のことなのだ。筆者は戦後六十年の歴史を言うが、小生は、もっともっと大きな流れで見ないと、日本は呑み込まれると思う。今までアメリカに呑み込まれていたように。

 第一章は「再び高まる東シナ海のうねり」と題して。国際法上、尖閣諸島が日本領であるのは明白である。井上清氏の論文は、国際法を否定するものと小生は断じたことがある。勿論、本音では国際法を守るのは、かつての帝国主義のルールを守るので、アジア海洋域では相応しくないと思うのだが、中国が国際法を盾に領有権を主張するのならば、日本に正統性があるのは明白である。それはともかく。一九六八年の調査で資源があることが分かってから、中華民国と中華人民共和国が権利を主張したが、長らく日本は実効支配してきた。二〇〇八年に中国の海洋局の船舶が領海侵犯し、「正常な巡視活動である」と中国外務省は述べた。新華社はそれを偉大な成果と讃えた。問題を現場に丸投げ――いつものことだ!原発さえも!――された海上保安庁はヘリコプター搭載可能な巡視船を常駐させた。中国は強く反発、反日感情が高まる。だが、それがエスカレートするのも中国にとって得策ではない。「非軍事的手段によって海上権益の主張を強める」(p031)ところに落ち着かせたいのだ。そもそも、改革開放のために日中交流を深めたい中国はトウ小平時代に尖閣問題の棚上げを言っていた。

 だが、党内保守派や軍部に不満がくすぶり、「愛国心」と結びついて国内政治の力学によって、尖閣問題が噴出しているようだ。そしてこのことは、スプラトリーをはじめとする領海問題と結びついている。「一国平和主義」的に、尖閣問題で日本が下手に妥協することは、フィリピンやベトナムを苦しい立場に追い込むのだ。一方、大陸中国の戦略に後押しもされ、二〇〇八年には国民党の馬英九氏が台湾の総統になった。彼は尖閣諸島が国際法から日本のものではないと論じた人である(どんな論理か興味がある)。台湾にも反日的雰囲気が生まれた。中台の憤青の奇妙な連帯が生まれた。この問題、胡錦濤主導の東シナ海ガス田の共同開発合意を反故にするという策略が背後にあったようである。

 第二章は「対日接近への反動」と題して。福田首相と胡錦濤国家主席の間におけるガス田共同開発構想は、両国内の反発を予想させるものであった。二〇〇八年の餃子事件では、言うまでもなく日本国民は中国への不信感を増大させた。中国は官僚主義国家の論理で各部門の利益を優先させたかのような迷走を見せた。加害企業幹部とそれを監督するはずの地方政府当局者が同席でテレビに「問題はなかった」と訴えるような。国家の利益に反することは明白だが、中国では――ビジネスで係われば分かるが――国家と省と市ではそれぞれバラバラの方向を見、外部から一番真っ当なのは国家であったりする。率直に過ぎる日本の捜査側と、政治に迄Mされる中国の捜査側。情報操作の上の世論への迎合。(ま、これは日本でもあるけどね。小沢裁判とか。)このことは、「戦略的互恵関係」が中国国民はおろか、各省庁や地方政府にさえ浸透していなかったことを示している。

 狭い部門利益の擁護と責任逃れの体質は、メラミン事件で大衆を殺すことになるであろう。そんな中、胡錦濤は二〇〇八年五月に訪日し、早大で日本による対日援助を高く評価し、未来志向の演説を行った。だがそれは、中国国内では歓迎されなかった。直後の四川大地震では日本の国際援助隊の受け入れを中国本国はしばらく拒否する。中国外務省と胡錦濤は受け入れに動いていたようだが。国際援助隊の行動は中国人民の共感を呼んだ。その一方、自衛隊の輸送機受け入れについては国論が揺れ、結局拒否した。わずか半日程度で受け入れから拒否になるほど揺れたのだ。日本との関係を改善した胡錦濤は、国内で敵を作り、それを統御出来ていないようである。

 第三章は「「三胡」の継承と断絶」と題して。一九八三年、中曽根康弘は香山健一らの元全学連のブレーンを派遣した。その名は「全学連訪中団」。当然密命ありで、胡耀邦総書記の訪日の協議である。中曽根は不沈空母発言で知られるようにタカ派であるが、同時に中国との国交の重要性を理解していた。まあ、対ソ戦略だけどな!(歴史を知らないネトウヨに解説すると、六〇年代の中ソ論争以降、中国はアメリカよりソ連を敵視していたのだ。)様々な人脈でこの周辺では日中間でパイプがあった。(ちなみに今、日本共産党のトップが訪中しても中国共産党はかなり下位の人間しか会わない。)この交流は、現在まで続く青年交流を準備し、それは日中関係が危機の時に機能しているとのこと。さて。一九八五年、中曽根が靖国神社を公式参拝したとき、中国は大いに反発した。その背景として、中ソの緊張緩和と、胡錦濤の対日融和姿勢が国内で反感を生んでいたことがあるとのこと。香山は靖国参拝が理解されるには一世紀は鰍ゥること、改革開放の邪魔になることを指摘し、中曽根は翌年の参拝を止める。だが、民主化闘争の高揚を背景に、胡耀邦は失脚する。

 なお、胡耀邦は胡錦濤を登用し、青年交流で働き、日中関係の重要性を知ることになる。安倍ちゃんの訪中などに繋がっているようだ。さて。胡耀邦の元で働いて香山らと折衝していた人に胡啓立がいる。彼を含んでこの章では「三胡」と名付けている。その胡啓立と胡耀邦との間には断絶がある。端的にはチベット政策である。二〇〇八年は北京五輪があった。チベット人は人権問題アピールのチャンスと考えていた。ダライ・ラマ一四世の要求する高度の自治に関する交渉は前年に挫折していたことが、チベット人の急進化を招いた。チベット青年は穏健なダライ・ラマへの反感を強めている。さて、胡耀邦はチベットの状態を改善できなかったことを八〇年に謝罪し、チベット人幹部による地域統治をすべきと言明した。これも原因となって胡耀邦は失脚する。それを見た胡錦濤はチベットでは強圧的な態度に出る。これを見たトウ小平は、第二次天安門事件後に胡錦濤を抜擢する。それを見た王楽泉は新疆ウイグル地区で強圧姿勢を取り出世するが、結果的に二〇〇九年には少なくとも一六七名の死者が出る民族争乱が起こる。同時に、胡錦濤らは経済発展の名目で漢民族を地方に送り込む。武断路線と世俗化は、少数民族に火薬を詰め込んでいることであろう。これは、右翼的心根がないと分からないことかも知れないが。

 第四章は「今も続く「天安門」の問い」と題して。第二次天安門の経緯は広く知られたところであろう。七八年からの改革・開放は官僚の腐敗を齎し、労働者・農民・知識人の怒りを引き起こした。中国の歴史の例に洩れず、この怒りは政争に利用される。トウ小平は趙紫陽に打唐ウれると感じ、武力弾圧をした。文革と並び、この事件は大衆をしてミーイズムに追い込み、党の権威を完膚なきまでに叩きのめした。今や中国共産党は中国人にとって出世と金儲けの道具に過ぎない。トウ小平は政治的引き締めと同時に、改革開放を加速させる(南巡講話)アクロバティックで中国の立て直しを図り、それは一応の成功となった。同時に愛国教育の推進を行う。党の無謬神話が子どもたちに押し付けられ、天安門はおろか、文革にさえ触れないらしい。日本のネトウヨに相当する「憤青」を生みだす。党の指導思想はマルクス主義から愛国主義に取って代わられる。経済では、一層の民営化を推し進める一方、国有企業の株式保有と経営権は幹部の特権となる。日本語で言うところの「お手盛り」改革である。ロシアの民営化でかつての共産党幹部が国有資産を簒奪したのと同じだ。腐敗は底なしである。

 一方、天安門事件で指導的役割を果たした知識人階層は恩恵のおこぼれに与るように配慮された一方、農民、労働者は置き去りにされた。農村は所得低下を、労働者には就労条件の悪化を。農民に至っては、地方幹部が勝手に土地を転売して暴利をむさぼる一方、殆ど保障なしで農地から叩き出されることが相次いだ。彼らは都市に流入し、プロレタリア化したが、不要になると戸籍を理由に農村に送り返され、失業者となった。リーマンショックなどでの政府の対応はこの危機を認識していることを示している。巨大な公共投資による経済成長の維持を図るが、しかし、底なしの腐敗は幹部の私利私欲のために投資が食い物にされ、恩恵は労農大衆には殆ど行き渡らないであろう。暴力団と公安が癒着し、幹部子弟による強姦・殺害が見逃されるなどの腐敗に対し、民衆は暴動でもって応える。ここで一つ、毛沢東の素晴らしい論文にリンク。「むちゃくちゃだとすばらしい」
http://www.geocities.jp/maotext001/maosen-1/maosen-1-023.html

民衆の異議申し立ての手段が合法的に確立されていない中で、暴力・暴動以外の何があると言うのだろうか?

 勿論、政府も馬鹿じゃないので、医療や福祉・年金の恩恵を農民が受けるように進もうとしているが、地方幹部などの敵が多そうである。(あ。日本国家は中国を批判出来ないね。かつての日米構造協議は労働者などへの利益再分配をアメリカは主張――健全な内需拡大――したが、日本側は地本主義の中の資産家や大企業の資産保有の優遇にすり替え、バブルを招いた。)さて。中国人の九割は歴史を持たないエゴイストに、チャンネル桜の人が言うとおりのように見える。だが、魯迅や孫文を産んだ国なのだ。中国の都市部を中心に、自由を一定認めざるを得ない情勢が生まれ、住民運動が生まれている。趙紫陽の改革への意志を受け継ぐ者はいる。一方、趙紫陽に登用された胡錦濤は中国をどうしようとしているのか。

 第五章は「「和諧」路線の挫折」と題して。改革開放の矛盾は明らかである。格差拡大や党と官僚の腐敗、偏狭なナショナリズム。様々なモノをコントロールするために「和諧社会」が謳われるが、サブプライムローン問題の影響もあり、経済成長鈍化のため他の勢力と妥協するところに追い込まれる。他の勢力は「上海閥」「太子党」であり、「和諧社会」には必ずしも同意しない。ちなみに胡錦濤は二〇〇七年頃に内需拡大による成長を目指し、農村や労働者の待遇改善を狙っていた。そこにサブプライム。この時点で中国は低賃金が支える「世界の工場」であったが、それでは産業の高度化は果たせず、世界の大国にはなれない。だが、労働者の待遇改善は輸出企業に打撃を与え、胡錦濤政権は批判に曝され、進出企業は逃げ、労働者は失業した。サブプラ以降、経済成長戦略を採ることを余儀なくされる。

 さて。中国共産党上部では「対日関係を重視し、日本で言う左派的な政策を優先する胡錦濤らの「共青団」」と、「都市の新興富裕層を基盤としたネオリベ的な「上海派」(日本人の大抵が大嫌いな江沢民が代表的)と、「革命元老の子弟「太子党」」の三つの派閥が鬩ぎ合っている。太子党は、ロシアで例えればオリガリヒである。胡錦濤はサブプラで打撃を受けた。彼の配下、汪洋は政治改革まで射程に含めた経済改革にチャレンジし、産業構造の転換を目論んだが、サブプラにより海外企業が逃げて挫折した。彼の目論見は批判されると同時に、擁護意見も人民日報で見られる。一方、胡錦濤のもう一人の配下である国務院の温家宝は輸出企業救済策を取った。汪洋と温家宝は力比べをしているようだ。

 温家宝は科学、民主、法制、人権を人類の普遍的価値とし、中国での共有を訴えた。それに対し、人民日報と求是が噛みつく。懐かしい言葉で言えば「帝国主義による演変の道具」と。仕鰍ッ人はどうやら日本人の殆どが大嫌いな江沢民。胡耀邦は汪洋、温家宝と距離を置き、「西側と異なる道を歩む」と二〇〇九年三月の全人代で強調する。要は、胡耀邦の改革は挫折した。そして江沢民が出てきて「団結」を訴える茶番。では、胡耀邦は完全に力を失ったのだろうか。否。「反腐敗」を口実に、上海の閥を弾圧した。

 第六章は「軍に傾斜する胡錦濤」と題して。二〇〇九年四月、中国は複数の国々を招いて国際観艦式を史上初めて行なった。軍の透明度を高めるとともに、胡錦濤による軍の掌握を誇示するためである。なお、日比越などの艦艇は呼ばれていない。紛争海域を抱えるとともに、日本の場合は黄海会戦などの歴史的背景もある。さて。「和諧世界」を唱える胡錦濤が、どうして軍のアピールをしたのか。ここに中国の特殊事情がある。人民解放軍は国軍ではなく、党の軍隊である。トウ小平の時代までは革命戦争を闘った人間がトップだったので軍は党に無条件に従った。(と、同時に、軍は党全体の意志を受けた命令でないと動かなかった。文革期もそうであった。)しかし、軍歴のない人がトップに立つと、シビリアンコントロールが機能するのかという問題が発生する。二〇〇八年の四川地震では温家宝が即座に動いたことは記憶に新しいが、軍の動きは鈍かった。実は温家宝首相には軍を指揮する権限がなかった。とはいえ、人命を軽視した軍の責任は重い。災害出動が鈍すぎる。「災害救助は最高の訓練」と日本の右派は言うんだけどね。

 で。胡錦濤は災害救助で活躍した人を登用するなどの対応を取る。「人民への熱愛、国への忠勤」を現代の「革命的軍人の革新的な価値観」として教育するとともに。また、軍人の待遇を改善し、空母建造にゴーサインを出した。三集団の鬩ぎ合いの中で、胡錦濤は軍部を当てにしたということ。彼の理想へ向けた動きは、保守派や既得権益者の警戒と反発を呼び、サブプラ問題で新興勢力の反感を生んだ。それが背景にある。とはいえ、軍は太子党の習近平に期待しているようである。こうして軍の(保守派の)発言権が強まるにつれ、軍は海洋主権を強く主張するようになり、尖閣諸島での漁船などの行動へと繋がる。外交も、世論に引きずられ、「愛国的」なものにされている。

 中国は今、格差拡大による労働者農民の不満、市民社会が出来ないことに対する中間層の不満が渦巻いている。とはいえ、サブプラ問題で露呈したように、資本家保護がなければ外資頼みの経済はキャピタルフライトにより困難となる。それぞれ矛盾しているのだ。こういう場合、世論は得てして右傾化する。だが、愛国が暴走すると亡国である。非常に厳しいかじ取りを、胡錦濤政権は求められている。

 日本は中国よりも50年速く、近代の歴史を進んできた。それの持つ悲劇や危険も経験してきた。徒に中国を敵視するのではなく、アファーマティブに付き合いたいものである。決して「歴史のない国」ではない。魯迅や孫文を産んだ国なんだから。


コメント (9)
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